JBC競走が始まる少し前、盛岡競馬場では岩手県知事杯OROカップが開催されました。
地方競馬で唯一芝コースがある盛岡競馬場の1700m戦で争われるM1競走で、優勝賞金の3000万円は地方重賞でも高額(JBCレディスクラシック2着で2100万円)のレースでした。
数少ない地方芝の重賞レースとあって、地方れ移籍した元JRAの活躍馬達が集まった本レース。JBC競走の盛り上がりに花を添えるレースになると、多くのファンが期待していたことでしょう。
2015年新潟2歳Sなどを制したロードクエストをはじめ、2016年ファルコンS勝ち馬トウショウドラフタ、2018年ステイヤーズS勝ち馬リッジマン、2018年日本ダービー3着馬コズミックフォース…。その元JRA馬たちのなかに、芝重賞2勝馬トーセンスーリヤの姿もありました。
しかし、ロードクエストが得意の捲りを繰り出し、コズミックフォースが日本ダービーを思い出させる粘りを見せ、その2頭をアトミックフォースが抜き去って勝利する…その直線の攻防に、トーセンスーリヤの姿はありませんでした。
向こう正面で転倒。から馬の状態でゴールまで戻ってきましたが、左肩関節脱臼のため、予後不良と発表されました。
今回は、彼の冥福を祈ると共に、勇姿を振り返る記事といたします。
大井デビューから、3歳春に中央移籍。
トーセンスーリヤはもともと大井競馬場の橋本厩舎でデビュー。2歳10月の新馬戦(2着)から、現役生活をスタートします。
このレースの勝ち馬は、後に繁田健一騎手(現調教師)と共に大井競馬代表として東京大賞典とマイルチャンピオンシップ南部杯で3着に好走するモジアナフレイバーでした。
そんな次代を担う素質馬には敗れたものの、2戦目の200万下クラスで勝利たトーセンスーリヤ。年末の川崎ジュニアオープンで4着となった後に、美浦の小野次郎厩舎に移籍します。つまりトーセンスーリヤは、いわゆる○地(元地方競馬所属を意味する)の馬なのです。
中央デビュー戦の若竹賞を4着で終えると、次走のゆりかもめ賞は2400mが長かったか14着に敗退。それ以降は芝1800~2200mのレースを中心に走ることになります。
月1~2レースの間隔で元気に出走を続けたトーセンスーリヤ。夏の函館開催で3戦連続2着、そして夏の終わりの札幌競馬場で中央初勝利を挙げました。
以降も、好走すれどもなかなか勝てないレースが続きますが、一人のジョッキーとの出会いを経て、飛躍の時を迎えることになります。
横山和生騎手と掴んだ"サマーチャンピオン"の称号。
2019年初戦、京都競馬場の2勝クラス戦に出走したトーセンスーリヤ。鞍上には、これが初コンビとなる横山和生騎手を迎えて、2着に好走します。その後、四位洋文騎手や荻野極騎手、柴田善臣騎手が乗り、再び横山和生騎手とのコンビを結成したのは年末のことでした。
ここからトーセンスーリヤのレーススタイル「先行抜け出し」が確立されます。
コンビ結成する前は、それなりに上りは使えるものの最速まではいかず、あと一歩届かないレースが続いていました。しかし前でレースを進めることで後続の末脚を凌ぎ切ろう、という作戦で3着に粘ると、その次走でさっそく勝利を挙げます。この時も2着、3着の馬は鋭い脚を使ってトーセンスーリヤを追っていましたが、トーセンスーリヤ自身は上り35秒台で凌いでいます。
JRA初勝利が通算13戦目、更に2勝クラス突破が通算24戦目でしたが、3勝クラス突破の時は通算27戦目と早くに訪れました。それも2着(横山和生騎手)→3着(大野騎手)→1着(横山和生騎手)という戦績ですから、新しいレーススタイルが安定感をもたらしたことがわかります。
そして通算28戦目、トーセンスーリヤは新潟大賞典に挑みます。ただ、3勝クラスを突破した直後ということもあり、ハンデは54キロ、人気も16頭中10番人気と、あくまで伏兵扱いでした。
トーセンスーリヤは好スタートを決めると、前に馬を行かせて4番手、しっかりと折り合って向こう正面を進みます。逃げるのはアトミックフォース、1000m通過が59.7秒のまずまずのペースでコーナーへ。
直線に入ったところでは重賞馬ブラックスピネル、サウスポーのダイワキャグニーらと並んでいましたが、最内が空くと勢いよく先頭に出ます。
トーセンスーリヤとアトミックフォースが最後まで競り合い、後ろの馬群は内外広がった中からプレシャスブルーとブラヴァスが突っ込んで来ましたが、最後までロスの無い競馬に徹したトーセンスーリヤが勝利しました。
この勝利で、なんと次走ではG1宝塚記念に挑戦したトーセンスーリヤ。今度は自身が逃げてペースを刻みますが、稍重発表とはいえかなりタフネスの要る馬場になってしまい、上位勢は後方からの差し馬が占める結果に。しかしG1初挑戦で14番人気ながら7着、しかも逃げて踏ん張っての結果ですから大健闘と言えるでしょう。
その後は札幌記念を使って休養に入り、2021年は2度目の挑戦になった新潟大賞典で復調。サンレイポケットのパワフルな末脚に敗れたものの4着に入り、サマー2000シリーズの函館記念へ向かいます。
そしてその函館記念。
スタートしてすぐにレッドジェニアルがハナに立って、マイネルファンロンはおさえきれず2番手、トーセンスーリヤは我関せずの離れた3番手で折り合います。
残り400mでばてた前の2頭を外からトーセンスーリヤが交わしてラストスパート、コーナーを回り切って残り200mを過ぎたころには後続を寄せ付けず、3馬身差をつける快勝をおさめました。
トーセンスーリヤの馬体が、夏の日差しで輝いているように見えたのが印象的な函館記念でした。
さらにトーセンスーリヤは、勢いそのままに新潟記念へ続戦。しかし今度は先行せず、行きたい馬たちを前にやって外枠から出たなりにレースを進めます。
逃げるショウナンバルディに対して先行馬群が早めにとりついていたため、コーナーを抜けたときにはトーセンスーリヤは馬場の大外にいました。新潟コースは開催が進んで外埒側の芝がきれいなので、トーセンスーリヤはそのまま外を進んで1頭ずつ交わしていきます。
しかし、その更に外からマイネルファンロンが末脚全開で全馬差し切ってゴール。新潟記念特有の外埒ギリギリを攻める追込みを決め、トーセンスーリヤは半馬身差の2着でした。斤量差2.5キロ、しかも新潟の馬場を読んでの後方勝負での結果でしたから、この時のトーセンスーリヤは充実期と言って良い走りでした。
この夏の2戦でトーセンスーリヤはサマー2000シリーズチャンピオンに輝きます。
そして秋の大舞台に向けて歩を進めていったのです。
歴史的一戦となった天皇賞(秋)参戦、そして太陽の子は再び大井の地へ──。
サマーチャンピオンの称号を得たトーセンスーリヤは、天皇賞(秋)に挑戦。トーセンスーリヤはカイザーミノルが逃げて刻んだ1000m60.5秒のペースを2番手で追走しますが、このレースは3冠馬コントレイル、牝馬最強格のグランアレグリア、そしてこの年の皐月賞馬エフフォーリアが集った歴代でも最高クラスの1戦。4コーナーまで前を走って粘るも、ロングスパートを得意とするトーセンスーリヤには厳しい上がり勝負の競馬で15着に敗れました。
JRAで迎えた5度目の冬、中山金盃でトップハンデ57.5キロを背負い5着となったトーセンスーリヤ。勝ったのは同世代のレッドガランでした。そしてこのレースを最後に、トーセンスーリヤはJRAの登録を抹消、大井競馬の橋本厩舎に戻ってきました。
トーセンスーリヤに対する評価で「ダートが合わない」という意見も目にしました。しかし、○地であり、当時の勝利実績もありましたし、ダートが全く適性外だったとは思いません。まだダートでは試行錯誤のなか、移籍後に出走したレースの条件がピタリと合わなかった可能性はあるでしょう。
初戦の大井金盃は大井競馬の重賞で最も長い2600m戦、しかもトップハンデ58キロを背負っていましたし、続くダイオライト記念も2400m戦。やや長かったのかもしれません。
さらに柏の葉オープン、神田川オープンではこれまでの実績から斤量59キロを背負うことになり、多摩オープンでは57キロに斤量が減るものの7頭立て5着。大井競馬に戻ってからはJRAの実績馬であるがゆえに、条件の合わないレースに向かうか、重い斤量に耐えるかの戦いの日々を過ごしていたように感じます。
そして、2022年11月3日。
最後に芝を走った中山金盃からおよそ10か月ぶりに、適鞍のレースに挑むことになったトーセンスーリヤ。
ファンも最終的には3番人気で彼を送り出しました。JRA所属時代の小野次郎調教師の姿もありました(おそらく、元同厩のリュウノユキナが出走していたからでしょう。リュウノユキナもまた○地の活躍馬です)。
OROカップ、トーセンスーリヤは転んでも痛みに耐えて立ち上がり、ゴールへと向かいます。そしてゴール通過して、ラストランを終えました。
スーリヤとは「太陽の神」の意味だそうです。名は体を表すとはよく言いますが、ファンの撮影した写真の中にいる彼はいつも太陽に照らされて、鬣は赤く輝いていました。
きっと彼は、私が記事を書いているころにはお天道さまのもとへ還ったことでしょう。
多くの人が最後を知って悲しみの涙を流していますが、トーセンスーリヤの勇姿が、やがて思い出となって、ファンの心を照らす日が来ることを願っています。
トーセンスーリヤ、通算43戦出走、お疲れ様でした。どうかゆっくり休んでください。
写真:かぼす、安全お兄さん、ぶるらぴ、ウカ、かずーみ