
東京から北海道へ向かう交通手段はいくつかある。羽田から新千歳まで空路なら約90分、東京駅から北海道新幹線だと約4時間で新函館北斗へ到着する。馬産地は新千歳、札幌も新千歳、だが、函館なら新函館北斗。これが私の北海道旅。ちなみに函館~札幌間は函館本線の特急北斗号で約3時間50分。北海道は広い。訪れる目的によってそのアプローチは大きく変わる。北海道新幹線の終着駅新函館北斗からはこだてライナーで約20分ほど南に戻ると、函館本線の終点函館に到着する。駅を出ると右には函館港と隣接する市場があり、まっすぐ進むと市電の電停がみえる。南に向かう谷地頭、函館どつく前行きに乗ると、ここが江戸末期安政年間に諸外国に開いた港町であることがわかる。箱館奉行所によって整備された町には赤レンガ倉庫群や旧函館区公会堂、旧イギリス領事館、函館ハリストス正教会など、かつて新たな時代の風の象徴だった建物が並ぶ。函館駅から市電を逆方向、湯の川行きに乗ると、五稜郭がある。箱館戦争終結の地は武士の時代が終わったことを告げる。函館は新旧の風が混ざり合って生まれる不思議な空気の街だ。函館競馬場は五稜郭からさらに4駅ほど進むと、姿をあらわす。
海を臨む向正面には下北半島と函館山が左右にみえる。もっとも函館山は靄で霞む日が多く、下北半島も快晴でなければみえない。北海から冷たい風と太平洋からの湿った空気が重なる函館はなんともいえない空をみせる。これも函館の魅力。スルメイカは不漁でも、競馬場の背景が心を満たす。
函館が好きなのは人間だけに限らない。函館の水が合う馬もいる。もちろん、競走馬は函館山の麓を散策したり、五稜郭に思いを馳せたり、ラッキーピエロに並んだりはしないが、それでも函館の空気は心地いいものだ。その一頭がトーセンスーリヤ。2017年函館記念を勝った。単に函館記念ウイナーでは函館を愛したとはいえない。だが、彼の競走成績をたどると、函館愛がみえてくる。

競走馬として第一歩は大井競馬場で踏み出した。大井小林の橋本和馬厩舎。これが最初のプロフィールになる。デビュー戦はモジアナフレイバーに完敗だった。相手はのちに大井記念、勝島王冠を勝ち、マイルチャンピオンシップ南部杯で3着に入る強豪。むしろ8頭立て8番人気での2着は合格点といっていい。順調に次走で初勝利をあげた。翌年、中央の小野次郎厩舎へ移籍し、JRA所属馬となる。芝での活躍を見込まれての移籍だった。だが、移籍初戦の若竹賞4着をはじめ、掲示板に来ることはあっても勝利は遠かった。500万下のまま春シーズンを終えたトーセンスーリヤは北海道シリーズへ転戦する。その最初のレースが函館の奥尻特別だった。中山での好走が目立ち、小回り芝1800mへの適性に可能性を見出した。4番人気で出走し、外枠から好位3番手をすっと確保すると、後ろからマクって出る馬の動きにも惑わされず、ひと呼吸置き、函館特有のタイトなコーナーも我慢しながら前を目指し、2着に入る。これがはじめての函館だった。次走八雲特別も2着に終わり、この年、函館で勝利こそなかったが、この連続好走が札幌の富良野特別での勝利につながった。
しかしJRA初勝利のあとは、またも足踏み状態に陥る。そして4歳夏もトーセンスーリヤは北海道で凄いた。その初戦は函館の北斗特別。今度はインの2、3番手に潜り込み、直線も内から抜け出すも2着。それでも函館芝1800mだと競馬の形がいい。函館にくると、走りが変わるようだ。この年の暮れ、得意の中山芝1800mで3勝目をあげ、5歳春にも勝ち、トーセンスーリヤはついにオープン入りを果たす。
函館記念に出走したのは6歳夏のこと。ここまでオープン重賞で7、6、5、8、4着。2000m以上も不良馬場も経験したトーセンスーリヤは満を持して函館記念を迎える。だが、2000mで結果を残せていない。1800mだったら、ある程度自信をもって臨める。5歳春からずっと騎乗する横山和生騎手も距離に対して思うところはあったはずだ。一方で、2年ぶりに函館にやってきたトーセンスーリヤは久しぶりの海峡を渡る風に気分がよかったにちがいない。調教時は朝霞の馬場と寒いぐらいの気候。潮風が夏の湿り気を流してくれる。風の街にある競馬場はトーセンスーリヤに活力を授けてくれる。
1番人気こそダートGⅠ馬カフェファラオに譲ったが、2番人気はトーセンスーリヤ。重賞未勝利、掲示板がやっとといった戦歴ながら、北海道での成績がファンの目に留まった。16頭立て8番枠から飛び出すと、最内を進むカフェファラオの鼻先をかすめるようにインに入っていき、逃げるレッドジェニアル、2番手マイネルファンロンから離れた3番手につける。飛ばす2頭と抑える後続の間、ポケットのようなポジションで海峡を渡る風を受けながら向正面を進む。残り600m標識を過ぎ、前を行く2頭が後退していくと、外からトーセンスーリヤが交わしていく。函館の4コーナーは慣れたもの。2年分の急カーブもなんのその。右に馬体を傾け、絶妙なバランスでコーナーを通過し、直線に入るとすぐさまラストスパートの態勢を整える。早々に先頭に立ちながら、不安を残す残り200mでさらにスピードを増し、追いすがる好位勢を突き放していく。函館山の方向から差してくる夏の日差しを浴びて、ひときわ栗毛が輝く。追い込んだ2着アイスバブルとの差は3馬身。函館を愛する馬がみせた最高のパフォーマンスだった。

と言いつつ、函館での勝利はこれが最初で最後。ほかはすべて2着だった。大好きだけど、なかなか勝てない。そんなツンデレなところも競馬のおもしろさ。好きだけど、手に入らないもどかしさは苦い思い出としても心に刻まれ、ふとその奥底から上へ浮かびあがっては、なんとも言えない味が口のなかに広がる。
トーセンスーリヤは7歳になると、競走馬としての最初の所属先である大井小林の橋本和馬厩舎へ戻る。その秋、東京と北海道の間に位置する盛岡でレース中に肩関節を脱臼してしまい、命を落とす。残念ながら、大好きだった北海道へ戻ることは叶わなかった。だが、その魂は今も海峡を渡る風の中にあり、函館山の上から注がれる夏の日差しに照らされて輝いているような気がする。北の大地に夏がやってくるたび、トーセンスーリヤのことも思い出してほしい。

写真:やま