ヤマニンキングリー〜未来を変えた、札幌記念での激走〜

札幌の短い夏を賑わせる伝統の一戦・札幌記念。
札幌競馬場の芝コース完成の伴い1990年から芝の重賞となって以降、芝の実績馬たちが夏に使う一戦として重宝されてきた。

90年代はメジロパーマーやエアグルーヴ、セイウンスカイらが勝利。
00年代はファインモーションやヘヴンリーロマンス、アドマイヤムーンらが勝利。
10年代はハーブスターやアーネストリー、ブラストワンピースらが勝利。
歴代の優勝馬たちを見てきても、まさに「スーパーG2」と呼ぶに相応しい。
だからこそ「G1馬が夏の調整に使う一戦」とイメージするファンも少なくない。

──しかし一方で、GIでは勝利出来ずとも、ここでG1馬を撃破して勝利を手にした馬たちもいる。

2009年。
日本競馬界は夏場にして、フランスへと想いを馳せていた。
その熱視線の先は、フランス。目標は、秋の大一番・凱旋門賞だ。
当時の凱旋門賞は今とは違い、毎年のような日本馬参戦はなかった。
そもそも60年代に1頭、70年代に1頭、80年代に1頭、90年代に1頭と、10年に一度のペースで挑戦を続けてきたレースである。
2002年にマンハッタンカフェが出走して以降はタップダンスシチー (2004年)、ディープインパクト(2006年)、メイショウサムソン(2008年)と、ようやく2年おきのペースで出走するようになってきてはいたものの、1年で複数頭の出走はなく、まだまだ「日本ナンバーワンの馬が挑戦できるレース」というイメージのあるレースだった。

そんな一戦に対して「有資格者」と、多くのファンが認めた3歳牝馬がいた。
初の牝馬による凱旋門賞挑戦が期待された馬。
ブエナビスタ。
名牝ビワハイジの仔であり、3歳夏の段階ですでにGIで3勝をあげていた実績馬である。

ブエナビスタは、のちに「伝説の新馬戦」と呼ばれる一戦で、アンライバルド・リーチザクラウンの後塵を拝したのちは、5戦全勝という圧倒的な戦績をあげていた。
デビュー戦から全てで上り最速を叩き出し、桜花賞・オークスでは「まさか」というポジションから差し切り勝ち。特にオークスでは、四位騎手の会心の騎乗により絶妙なタイミングで抜け出したレッドディザイアを、ハナ差で差し切っていた。上りは33.6。上り2番手のタイムを出していたレッドディザイアよりも、0.6も速いタイム
だった。
さらに皐月賞でアンライバルドが勝利し、ダービーでリーチザクラウンが2着に食いこんだことで、同世代でも最強クラスの実力を持っているというのは周知の事実となっていた。

そんなブエナビスタ陣営が選んだのは、秋華賞ではなく凱旋門賞への挑戦。
同じく洋芝である札幌記念を勝利して、ハンデ面で有利な3歳牝馬として凱旋門賞へと挑戦する──新しい試みであり、どこか「この馬ならば勝てるのではないか?」という希望を感じさせた。
当時のブエナビスタは、それほどに雰囲気を持っている馬だった。

そして、札幌記念。
有馬記念を制したマツリダゴッホ、目黒記念・七夕賞と重賞を連勝中だったミヤビランベリ、前走・函館記念で強い勝ち方を見せたサクラオリオン、前年度の札幌記念覇者・タスカータソルテなどが参戦するも、ブエナビスタの人気は絶大だった。
彼女の単勝オッズは、なんと1.5倍。
マツリダゴッホは6.9倍と10倍を切ったものの、そのほかの古馬たちは軒並み10倍以上のオッズがつけられていた。16頭中6頭が100倍以上の単勝オッズをつけられていたことからも、その人気の偏りが窺える。
斤量の上でも唯一の52キロで、鞍上の安藤勝己騎手の猛烈な減量は当時の話題となった。

そしてそのレースに、7番人気28.2倍で挑む馬がいた。
ヤマニンキングリー。
父アグネスデジタル、母ヤマニンアリーナという血統の重賞馬である。

半姉のヤマニンメルベイユは重賞2勝、さらに近親のヤマニンシュクルは阪神JF馬と、活躍馬の血統ではあるものの、当時のヤマニンキングリーといえば年明けから3戦連続で2着と、なかなか勝ち星を掴み取れずにいるもどかしい馬だった。
前年末にデムーロ騎手とのコンビで中日新聞杯を制しているものの、大舞台となるとなかなか結果が出せず、朝日FSで7着、菊花賞で9着、さらにG2の神戸新聞杯で8着という戦績に終わる。
ただしG3では打って変わって、1着1回、2着3回、3着1回、着外2回という好成績。その着外も、のちのダービー馬・ディープスカイらを相手にした毎日杯での4着が含まれていて、まさに抜群の安定感だった。G3唯一の大敗は2歳時に挑んだ札幌2歳Sであり、それ以降は札幌でも函館でも走っていなかった。

要するに、いわゆる「G3番長」とも呼べるような戦績の馬、それがヤマニンキングリーへの評価だった。

その馬が、約1年ぶりのG2挑戦、しかも5か月の休養明け、苦手そうな洋芝と、むしろ人気を集める要素はなかったといっても良いだろう。それまで5戦連続して2番人気以内に支持されていたにもかかわらず、札幌記念ではいきなりの7番人気と、人気面での落ち込みは大きかった。
コンビを組むのは、柴山雄一騎手。
半姉・ヤマニンメルベイユの鞍上を務め、彼女のデビュー戦や初勝利、引退レースでも騎乗。彼女があげた重賞2勝も、いずれも鞍上は柴山騎手だった。
そんな柴山騎手とヤマニンキングリーが菊花賞以来のコンビ復活。
もしかすると、虎視眈々とジャイアントキリングを狙っていたのかもしれない。

各陣営の思惑、そしてファンの興奮が入り混じるファンファーレが鳴り響き、レースがスタートする。

中舘英二騎手とドリームサンデーがハナを主張し、マンハッタンスカイやブラックアルタイルといった面々がそこに続く。
ヤマニンキングリーは好位、ブエナビスタは後方にポジションをとっていた。
さらにブエナビスタをマークするような形でマツリダゴッホらが追走。
異様な熱気と共に、レースが進んでいた。

いつ追い込むか?
いつポジションがあがるか?
いつ、あの鋭い末脚を爆発させるのか──。

そして、マツリダゴッホが先に動き外側からポジションを押し上げる。
札幌の観衆の声援がピークに達した瞬間、ブエナビスタは動いた。
小回りの札幌競馬場のコーナーを大外からまくり、最終直線。
少し戸惑いを見せたように見えつつも、いつものようにスピードに乗り始める3歳女王。
ゴール板が近づいてきたときに、どうやら1頭の先行馬が抜け出していることに気が付く。
先行からきれいに抜け出したのは、7番人気・ヤマニンキングリー。
1歩1歩差をつめるブエナビスタを、クビ差おさえた。

ヤマニンキングリー、待望のG2制覇。

3歳女王に、4歳牡馬が古馬の壁を見せつける結果となった。
ブエナビスタは凱旋門賞への挑戦を断念。そしてその敗北を機に、長いトンネルに入ることになる。
国内の山間を目指した秋華賞は降着して3着、古牝馬との対決となったエリザベス女王杯ではクィーンスプマンテ・テイエムプリキュアの大逃げに屈して3着、乗り替わりで挑んだ有馬記念ではドリームジャーニーの前に2着と黒星を並べた。

一方、ヤマニンキングリー。
G2札幌記念を制覇したことで、これまでのG3路線から一転、G1路線を歩むことになる。
さらには海外へ遠征して、シンガポール航空インターナショナルカップにも挑戦。
一度の勝利が、まさに馬の歩む道のりを変えた。

G1戦線では結果がでなかったものの、長く現役を続けていたこともあってか、新たな活躍の場を模索してダートを試す機会に恵まれる。
そして初ダートとなった重賞シリウスSで、なんと重賞3勝目をあげる。そうして足を踏み入れた新天地のダート路線では、遂にG1級競走における過去最高着順となる東京大賞典・6着も経験。翌年のシリウスSでも2着に食いこむなど、ダート戦線をも盛り上げた。

ブエナビスタがあそこで勝利していたら、仏遠征を敢行して凱旋門賞を獲っていたのだろうか?

ヤマニンキングリーがあそこで敗北していたら、ダート戦線での開花はあったのだろうか?

もしかするとブエナビスタは凱旋門賞を勝利していたかもしれないし、逆にヤマニンキングリーはダート路線転向が早まってG1を制していたかもしれない。
しかし一方で、ブエナビスタが古馬になってジャパンカップを制した感動の一戦はなかったかもしれないし、ヤマニンキングリー感動の復活勝利もなかったかもしれない。

さらにはオルフェーヴルの遠征先は凱旋門賞にならなかったかもしれないし、札幌記念でハープスターとゴールドシップが激突することもなかったかもしれない。

運命は、たった一戦で変わる。
ひとつひとつのレースは、「日本競馬界」全体を変えるだけの力を持っている。
そのひとつひとつを、我々ファンは注視して、見守っていくのだ。
運命を背負った馬たちが、自らの未来を切り開く、その瞬間を。

写真:Horse Memorys

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