コスモバルクと見続けた「次への夢」。判官贔屓な私が目撃した、コスモバルクの弥生賞。

判官贔屓な私の心を震わせた1頭

判官贔屓【ほうがんびいき】
弱者や薄幸の者に同情し、味方したり応援したりすること。また、その気持ち。

──出典:三省堂 新明解四字熟語辞典

私のスポーツ観戦においては、甚だしく「判官贔屓」だ。

例えば高校野球。春の選抜高校野球で出場校が決まると、まず確認するのが21世紀枠の出場校。その高校が北国で冬場の雪のハンデがあり、しかも部員数も少ない公立高校ならば、私の地元出場校そっちのけで応援してしまう。夏の全国高校野球大会ならばエースが一人で予選を投げ抜いて勝ち上がってきた高校や、練習設備も充分とは言えない県立高校が県代表になると、「甲子園での1勝」に向けてその高校と一体のようになって応援している。

競馬に目をやってみても、その気は変わらない。競馬新聞の未勝利レースで、馬柱の父欄にマイナー種牡馬の名が記されていると、印の有無に関係なく、つい1票を投じてしまう。地方所属馬の中央競馬へのチャレンジ、□地馬も結構応援していると思う。毎年、夏の北海道シリーズの2歳特別戦にホッカイドウ競馬所属の馬が出てくるが、優先的に軸として馬券を買っている。過去にはトラストやハッピーグリンが北海道シリーズに出走して馬券に絡み、それが縁で以降も応援し続けて恩恵を受けたのも、「判官贔屓」の賜物と言えるのかも知れない。


2003年秋の百日草特別から2009年の有馬記念まで足掛け7年間、ホッカイドウ競馬から中央の重賞レースにチャレンジし続けた一頭の馬がいた。

地方所属馬ながら、3歳クラシック三冠から、天皇賞・宝塚記念・ジャパンカップ・有馬記念まで中央競馬の主要G1レースを走破したコスモバルクという馬。

全48戦中35戦をJRAの各競馬場で走り、日曜日の15時を過ぎた頃にパドックを周回する彼の姿を見ながら、いつも元気をもらっていた。惨敗を目にした帰路の車中でも落ち込むことなく、次のチャレンジを楽しみに待てる不思議な馬。コスモバルクこそ私の競馬史における「判官贔屓」そのものかも知れない。

コスモバルクとの出会い

コスモバルクを初めて見たのは、モニター越しだった。

11月1週の土曜日。遅い昼食ついでにメインのブラジルカップの馬券を買うため、仕事を抜け出して立ち寄った浅草のWINZで、コスモバルクの存在を初めて知ることになる。

9レースの秋陽ジャンプステークスが終わり、続く10レースは2歳の百日草特別。新馬戦を5馬身差で勝ち上がった評判馬、ハイアーゲームが1本被りの人気となっている。馬柱を見ていると、ハイアーゲームの隣に全く印の無い地方所属の馬の名が目に留まった。

「6枠7番コスモバルク/五十嵐冬」

人気は11頭中9番人気で単勝は50倍を超えている。改めて成績を見直すと、8月末に旭川でデビューし、前走の門別でのオープン特別まで4戦2勝2着2回。11月になりホッカイドウ競馬の開催終了で中央にチャレンジしてきたのかなと思いつつ、パドックの映像を見ていると溌溂と周回している。ハイアーゲームの馬体は際立っていたもののそれ以外とは遜色なく見え、小銭入れに残っていた100円玉4枚で、コスモバルクの単勝200円とハイアーゲームとの馬連200円を投じることとなった。

結果は、逃げたコスモバルクの脚が最後まで衰えず、直線で迫ってきたハイアーゲームを振り切って1馬身3/4差での優勝。65倍の単勝と45倍の馬連を挨拶代わりに授けてくれたコスモバルクとの長い付き合いは、ここから始まった。

ハイアーゲームを倒したコスモバルクの優勝は、人気薄の逃げ残り、誰もがフロックだと思っていた。ところが、それを覆す事件がハイアーゲームを相手に再び起こることとなる。

──1か月半後の12月27日。
有馬記念前日の2歳重賞として定着しているラジオたんぱ杯2歳ステークスに、コスモバルクは出走してきた。

G1レースのホープフルステークスとして改称する前は、ダービーを目指す2歳の登竜門的な重賞レースとして親しまれていた同レース。当然、出走メンバーも百日草特別の比ではなくレベルUPしていた。圧倒的な1番人気は、2000mの新馬戦を勝ち上がった武豊騎手・ブラックタイドのコンビ。京都2歳ステークスを勝ったミスティックエイジが2番人気で、雪辱を期すハイアーゲ―ムはその後に続いた。コスモバルクは中央の有力馬三頭から遅れての4番人気となっていた。

相手関係が強化されても、コスモバルク&五十嵐冬樹騎手は、そのスタイルを変えることなく、スタート直後からハナを奪って先頭に立つ。

直線に入ってもコスモバルクは快調に飛ばし先頭キープ。外から伸びてきたのがミスティックエイジで、一瞬コスモバルクと馬体があい、つかまえたかに見えた。しかしここからコスモバルクの底力を見ることになる。並ばれたと思った瞬間、そこからコスモバルクは一気にスパート。五十嵐騎手の風車鞭に応えるかのようにミスティックエイジとの差を広げ、その後ろから追い込んでくるブラックタイドとハイアーゲームを置き去りにしてしまった。結局、有力馬3頭の猛追も1馬身差で振り切り、2歳登竜門の重賞レースを制覇してしまった。

心配された北海道から阪神競馬場までの輸送もクリアし、来年を占う需要な1戦で良血のライバルたちを一蹴したコスモバルク。あっと言う間に、2004年クラッシック戦線の主役の1頭として各メディアから注目を浴びる存在となる。

弥生賞の先に見えたもの

中央所属馬なら特別戦→重賞と連勝すれば、3歳三冠レースの出走は収得賞金上確定する。ところがホッカイドウ競馬所属のコスモバルクの場合、皐月賞に出走するためには、トライアルレースで優先出走権を得ないと出走できないルールとなっていた。

3歳になったコスモバルクは、いくつかのトライアルレースから弥生賞を選択することが早々に発表され、今までにない3歳春の主役を歓迎するムードが次第に高まる。

第41回報知杯弥生賞は、晴天・良馬場の中山競馬場に10頭が出走。1番人気は東京スポーツ杯2着、京成杯優勝の横山典騎乗のフォーカルポイント。コスモバルクは僅差の2番人気。以下、重賞2勝で朝日杯FS2着のタイキシャトルの仔メイショウボーラー、シンザン記念を制覇した武豊騎乗グレイトジャーニーなど、重賞勝ち馬も4頭と中身の濃い10頭が集結。過去2戦、コスモバルクの後塵を拝したハイアーゲームも自己条件のフリージアステークスで2勝目を上げ、ここに駒を進めてきた。

定刻の15時35分、4コーナー奥に置かれたゲートから弥生賞出走の10頭が一斉にスタート。

まず先頭に立つのは福永騎手のメイショウボーラー。スタート同時にスタートダッシュで、内へ切れ込み気味に楽に先頭に立つ。コスモバルクも促されながら2番手に上がり、内のテイエムサンタオーと共に1周目のゴール板を通過する。

メイショウボーラーを先頭とする隊列は落ち着き、2コーナーから向正面に入る。コスモバルクは五十嵐騎手ががっちり抑えて2番手をキープ、安藤勝己騎手のメテオバーストが早めに先頭集団の後方で様子を伺う。人気のフォーカルポイント、ハイアーゲームは依然後方待機で、様子を伺っている。

しかし、4コーナー手前になってもメイショウボーラーのスピードは衰えず、このまま押し切ってしまいそうな勢い。すぐ後ろを追走していた五十嵐騎手が見かねたように鞭を入れ、コスモバルクにスパートを知らせる。

第4コーナーから直線へ。メイショウボーラーとコスモバルクは並ぶように直線に鼻先を向ける。後続との差はそこから3馬身ほど、2頭が完全に抜け出した形で直線の攻防が始まる。福永騎手の鞭が飛んでメイショウボーラーがラストスパートし、コスモバルクも負けじと追う。その差半馬身から一気に縮まり、馬体が重なる間もなく外のコスモバルクの馬体が前に出る。メテオバーストがただ1頭追い込むも、2頭には追い付かず、コスモバルクの馬体が1馬身余り飛び出したところでゴールとなった。

ゴール板通過後、五十嵐騎手は派手なガッツポーズで、ホッカイドウ競馬所属のコスモバルクが制したことをスタンドに向けてアピールした。

戦い終えて、各馬が検量室に帰って行く。

コスモバルクは最後からただ一頭、勝利を噛みしめるようにゆっくりとスタンド前に戻って来る。

カメラマンたちが待ち構える前で立ち止まると、五十嵐騎手は帽子を取りコスモバルクのたてがみに顔を埋めるようにお辞儀をした。

コスモバルクへの激走に対するお礼だろうか。

声援で後押ししてくれたスタンドの観衆へのお礼だろうか。

カメラのシャッター音だけが聞こえる一瞬の静寂を、すぐさま拍手と歓声が飲み込む。

中央での負けの無い、芝のレースで負けない、「ホッカイドウ競馬所属のコスモバルク」がここに誕生した。

3月とは言え、昼間の最高気温が10℃に満たない肌寒い表彰式。

ウイナーズサークルに登場したコスモバルクとその陣営は、弥生賞のその先に馳せる夢を描いているかのように、清々しい笑顔がこぼれていた。

夢の"皐月賞1番人気"

遠い昔、大井競馬出身のハイセイコーが1番人気で皐月賞を優勝したが、大井競馬所属時代ではなく中央に転厩してからの事である。水沢のメイセイオペラは地方競馬所属でG1フェブラリーステークスを制覇したものの1番人気では無かった(2番人気)。

「地方競馬所属の馬が伝統のクラシックレースで1番人気になる?」

「ホッカイドウ競馬所属の馬が皐月賞馬になる?」

これはもう過去にないほどのビッグニュースで、もしコスモバルクが皐月賞制覇すれば、歴史が動く瞬間に立ち会えることとなるかも知れない──そんな気持ちで皐月賞を待つ者たちが結構多かったように思う。

馬券の中心となるスターホース不在の2004年皐月賞において、コスモバルクの存在は、レースを盛り上げるのに充分足りうる絶好の話題馬。直前1週間のスポーツ新聞各紙は、コスモバルク中心に回っていたとすら感じられた。

2004年4月18日、晴れの中山競馬場。

1番人気コスモバルクに続いて、スプリングステークス優勝のブラックタイド、朝日杯FS優勝馬コスモサンビームが人気上位3頭。以下、フォーカルポイント、ハーツクライ、メイショウボーラーと続く。

皐月賞のゲートが開いた。

スタートと同時にポンと飛び出したのは4枠のメイショウボーラー。コスモバルクが弥生賞と同じように2番手につけるかと思われたものの、大外18番ゲートからのスタートでポジションを奪えない。逆に7枠から猛烈にダッシュして2番手に取り付いたのが、10番人気のダイワメジャー。前走スプリングステークス3着でようやく出走権を得た1勝馬が、先頭のメイショウボーラーを追う。

1番人気馬として、大事に乗っているのか、それともいくにいけないのか──。

向正面に入っても五十嵐騎手の動きはなく、コスモバルクはやや離れた6番手の外。

──このまま、メイショウボーラーが逃げ切るのか?

4コーナーに向かうメイショウボーラーはここで加速。
ダイワメジャーがそれを追いかけ、他馬との差が少しずつ開いていく。

3番手まで上がってきたコスモバルクが追撃の末脚を繰り出したのはゴール前200m地点。猛然と追い込んでくるものの、先頭に立ったダイワメジャーとの差がなかなか詰まらない。メイショウボーラーを交わし2番手に上がった時、前を行くダイワメジャー騎乗のデムーロ騎手の左手が、大きく上がっていた。

人気薄のダイワメジャーを捉えきれなかった、悔しい2着。

それでもコスモバルクは皐月賞2着により、「次への夢」への権利、日本ダービーの優先出走権を手に入れることとなった。

コスモバルクと見続けた「次への夢」

日本ダービーは皐月賞とは一転、NHKマイルカップ制覇から転戦してきたキングカメハメハの登場で、絶対的な軸馬を中心に展開するダービーとなった。皐月賞馬ダイワメジャーが4番人気に対してコスモバルクは2番人気と、まだまだみんなの「諦めない夢」を背負っている。

結果は安藤勝己騎乗のキングカメハメハが圧倒的な強さを見せ、人気に応えて優勝。コスモバルクは3番手追走から直線入り口で先頭に立つも、力尽きて8着に敗れた。

夏を過ごしたコスモバルクは地元の北海優駿に出走し貫禄勝ちで秋のスタートを切る。そして「次への夢」へのチャレンジとして、菊花賞のトライアルレースセントライト記念を選択。再び中央の舞台に登場してきた。

セントライト記念は15頭立てで、コスモバルクは1.3倍の圧倒的な1番人気で出走。

レースは先行したスマートストリームを早めに捕まえ、先頭のまま押し切り。ホオキパウエーブの追撃をクビ差凌いで優勝した。

優先出走権を得た菊花賞では、逃げに逃げて粘りこみ、デルタブルースの0.3秒差4着と健闘。その後、舞台を府中に移し、ルメール騎乗でジャパンカップに挑戦。ゼンノロブロイには完敗も、2番手のポジションを最後までキープし、ゴール前迫ってくる菊花賞馬デルタブルースに先着を許さずクビ差抑えての2着。

中央での勝利こそセントライト記念が最後になったものの、8歳の暮れまでの丸5年の間、私はコスモバルクと「次への夢」を追うことができたのだった──。


競馬場には、次々とスターホースが登場し、そして去って行く。その馬が走っていた頃と自分の生活を重ねて思い出を語ることが、私は大好きだ。辛い時期に出会った馬たちほど、その当時の思い出を懐かしい記憶に変えてくれる。でもスターホースほど出走数も少なく、思い出を共有できる時間は短い。

コスモバルクは足掛け7年、私に寄り添い思い出を紡いでくれた。そして、敗れても敗れても「次への夢」に向けてチャレンジするコスモバルクは、私の元気の源となり「がんばれる明日」を7年間に渡り創出してくれた。

コスモバルクこそ私の『判官贔屓』そのものであっても、何ら不思議ではない。

Photo by I.Natsume

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