青葉賞勝ち馬は日本ダービーを勝てない。

──まことしやかに囁かれるそんな噂を、あなたは耳にしたことがあるだろうか。

青葉賞はシンボリクリスエスやゼンノロブロイなど多くの名馬を輩出しているレースだ。
それでも未だに過去の勝ち馬は日本ダービー2着が最高位。1番人気にすらなったことがない。
それがいつしか「青葉賞馬は日本ダービーを勝てない」と言われるようになったというわけだ。

ジンクスとして定着しつつあるこの説。
しかし、そんな青葉賞馬も過去には勝利まであと一歩のところまで来ている。

そこで今回は日本ダービー2着となった青葉賞勝ち馬たちをご紹介したい。

……と、その前に。
そもそも青葉賞とはどんなレースなのだろう?

正式名称はテレビ東京杯青葉賞。
4歳(現3歳)馬限定の日本ダービー指定オープンとして行われていた『青葉賞』が前身だ。
1994年にGⅢとしてレース名も現在のものに改名され、2001年には今のGⅡに格上げされた。

2着まで(2009年以前は3着馬まで)に日本ダービーへの優先出走権が付与されるトライアル競走で、東京の芝2400mという日本ダービーと全く同じ舞台となっている。
1994年以降で青葉賞を勝ち、日本ダービー2着となった馬は全部で6頭いる。

  • 1994年:エアダブリン
  • 2002年:シンボリクリスエス
  • 2003年:ゼンノロブロイ
  • 2006年:アドマイヤメイン
  • 2011年:ウインバリアシオン
  • 2012年:フェノーメノ

今回はその中から、4頭をピックアップしたいと思う。

手の届かなかった栄冠。
青葉賞を勝ち、日本ダービーで2着に敗れてしまった馬たちは、どんなドラマを見せてくれたのだろうか。

2002年 青葉賞優勝馬 シンボリクリスエス

シンボリクリスエスはアメリカ生まれの外国産馬。
日本の地で、サンデーサイレンスに変わる新たな種牡馬なることを見据えて生産された。
デビューは2歳の10月。
新馬戦をクビ差制すとその後は3連敗するが、山吹賞で1着となり青葉賞に駒を進めた。

そして1番人気で迎えた青葉賞。

中団インコースに位置していたシンボリクリスエスは、最後の直線、内から抜け出すとそのまま2馬身半差をつけて圧勝。しかし当時は外国産馬には日本ダービーへの優先出走権は与えられない決まりとなっており、シンボリクリスエスは収得賞金順で日本ダービーへの出走資格を得た。

日本ダービーでは3番人気に支持され、人気の一角となる。

最後の直線で先頭集団に取り付いたものの、外から1番人気タニノギムレットに差され、アタマ差の2着に終わった。

しかし、シンボリクリスエスはここから花開く。
休養を挟み、秋緒戦の神戸新聞杯を勝つと、次走は三冠目の菊花賞ではなく天皇賞(秋)を選択。
古馬たちを相手に優勝すると、鞍上の岡部幸雄騎手に現役最後のGⅠ勝利をもたらした。
続くジャパンカップこそ3着に敗れるものの、年末の大一番・有馬記念では見事勝利を収め、年度代表馬に輝いた。
翌年の天皇賞(秋)では、史上初の連覇を達成。
ラストランとなった有馬記念も9馬身差で勝利し、こちらも史上4頭目の連覇となった。

こうして2年連続の年度代表馬となり有終の美を飾ったシンボリクリスエスは、父となってもその才能を発揮。
エピファネイア、ストロングリターン、サクセスブロッケンといった活躍馬を送り出している。
シンボリクリスエスは、まさしく青葉賞が送り出した名馬であると言えるだろう。

2003年 青葉賞優勝馬 ゼンノロブロイ

父は大種牡馬サンデーサイレンス、母はアメリカGⅠ馬ローミンレイチェルといった良血馬で、セレクトセールにて9000万で落札される。
体が弱かった影響で仕上がりが遅れ、デビューは3歳の2月となった。
新馬戦、山吹賞を勝ち3戦2勝で挑んだ青葉賞では、1番人気に応え初重賞制覇を遂げる。

そして迎えた日本ダービー。

ネオユニヴァース、サクラプレジデントに次ぐ3番人気に支持されると、道中では2番手を追走。
前をうかがっていたが、直線で1番人気ネオユニヴァースに半馬身交わされた。
その後のゼンノロブロイの活躍といえば、何と言ってもテイエムオペラオー以来史上2頭目の秋古馬三冠達成があげられる。

4歳になると、天皇賞(秋)・ジャパンカップ・有馬記念を立て続けに制覇するという偉業を成し遂げた。
そしてこの年、サンデーサイレンス産駒としてはじめての年度代表馬にも輝いている。
翌年のラストラン・有馬記念での8着を除けば、すべて掲示板(5着以内)という堅実な成績を残した名馬だった。

種牡馬としてもサンテミリオン、マグニフィカ、バウンスシャッセなど数多くの重賞ウィナーを輩出している。

2011年 青葉賞優勝馬 ウインバリアシオン

ウインバリアシオンもまた「悲運の青葉賞馬」と呼べるだろう。

日本ダービー本番で戦った相手は、のちの三冠馬オルフェーヴルだったのだ。

2歳8月にデビューすると2勝するが、その後ラジオNIKKEI杯2歳ステークス、きさらぎ賞をともに4着、その後の弥生賞では7着となり、皐月賞から日本ダービーへと目標を変更する。
そして迎えた青葉賞では道中後方を進み、直線で一気に末脚を爆発させ見事勝利を収めた。
日本ダービーでは10番人気と評価は低めだったが、オルフェーヴルの2着と大健闘する。
続く神戸新聞杯、菊花賞もオルフェーヴル相手に2着。
その後2012年宝塚記念、2013年有馬記念でもオルフェーヴルの前に2着に敗れる。

競馬にたらればは禁物だが、ウインバリアシオンについては生まれた時代が違っていればとつい考えてしまうのは、私だけだろうか。暴君に果敢に挑み続けるその姿に、ファンも多い馬だった。

引退後は青森にて種牡馬生活を送っている。

主役になりきれなかった……けれどもその実力は確かなものだった。なんとも切ない一面を持つ、名馬である。

2012年 青葉賞優勝馬 フェノーメノ

最後に紹介する青葉賞勝ち馬はフェノーメノだ。
2歳10月にデビュー勝ちを決めるとホープフルステークスに進むが、ここでは7着。
500万以下を勝利し皐月賞トライアルの弥生賞に出走したものの6着となり、皐月賞への出走は叶わなかった。

青葉賞は1番人気に応えての勝利。
日本ダービーで怒涛の追い込みをみせたが、栄光にはハナ差届かず。
僅差の1着はディープブリランテだった。

青葉賞馬が、日本ダービーの戴冠に一番近づいた瞬間だったと思う。
ダービー初制覇を目指していた名手・蛯名騎手が流した悔し涙も印象に残っている。
その後はセントライト記念を制し、菊花賞を回避すると天皇賞(秋)を選択。
1番人気となるが、エイシンフラッシュに半馬身及ばずの2着だった。
次走ジャパンカップ5着の後は、翌年3月の日経賞を勝利。
天皇賞(春)では、3コーナーから徐々に進出し直線抜け出すと、後続を押し切って初のGⅠ制覇を果たした。

そして宝塚記念4着、日経賞5着の後、再び迎えた天皇賞(春)の舞台で、大仕事をやってのける。
メジロマックイーン、テイエムオペラオーに次ぐ史上3頭目の天皇賞(春)連覇を達成したのだ(ちなみにこの時の2着は前述のウインバリアシオンだった)。

引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬となっており、産駒は2019年にデビュー。
日本ダービーでの雪辱は、子どもたちが果たしてくれることを期待したい。

青葉賞勝利からの日本ダービー2着を経て、織り成される4頭のストーリー。
それぞれの異なるストーリーは、名馬としての輝きを放ち、後世に語り継がれることだろう。
同じ青葉賞馬、同じ日本ダービー2着でも、それぞれにドラマがある。

今年は一体どんなドラマが見られるのか。
そして今年こそ、青葉賞勝ち馬の日本ダービー制覇の瞬間は訪れるのか。

青葉賞勝ち馬に注目する日本ダービーの楽しみ方も面白そうだ。

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