2007年、戦後初となる牝馬によるダービー制覇。
3度のドバイ遠征。
安田記念の連覇に、天皇賞・秋やジャパンCでの勝利。
東京競馬場における古馬芝G1、完全制覇。
ディープインパクトらに並ぶ、G1・7勝。

多くの功績を残した名牝ウオッカが、2019年4月1日、安楽死の措置をとられました。配合のため、アイルランドからイギリスへ渡った先の出来事でした。
その報せを受けた時、私は「今から仕事だ……」と、完全にその事実をシャットダウンしました。心を無にしたのです。

角居廐舎のファンになってから12年ほど。

ウマフリへの寄稿やブログ作成など、様々な活動をしてきた私ですが、ウオッカの死と向き合うのは大変難しく、受け止め難いことでした。
ふとグリーンチャンネルで彼女の映像が流れた瞬間に、涙が止まらなくなる事もありました。

しかし一方で、彼女がどうなってしまったかという事実に向き合わず、逃げてしまっていた事も感じていました。

今回、ウオッカへ手紙を書く事で、そうした事実に真正面から向き合おうと思い、筆を取ります。

私の思いを全てさらけ出したつもりです。
最後まで読んでいただけたら幸いです。

『ウオッカへの手紙』

ウオッカ……元気にしてますか?
こんなこと聞くの、おかしいよね?

でもね。

あの日から今まで、あなたに話しかけたくて、どうしようもなくて……どうしても「元気?」と聞いてしまいたくなる私がいます。

それからもうひとつ、あなたに謝らなきゃいけない事があるんです。
あの日からずっと、今の今まで、あなたの存在を避けてきた……。

写真も、映像も。
あなたの話をすることも、考えることも。
……そして、思い出すことも。

全部、全部、避けてきた。

『ウオッカは心の中に、ずっとずっといるよ!いてくれるよ!』

あなたが元気な時、そんな風に言っておきながら。私はまだ、今のあなたから、ずっと目をそらしてる。

本当に、ごめんなさい。

だけど……ようやく、ちゃんと向き合おうと思う。そして、しっかり受け止めようと思う。
あなたが、空へいってしまったことを。

だから、あなたに伝えたいこと、伝えたかったことを手紙にしようと思ったんです。

あなたを初めて知った時。

こんなにも素敵な出逢いがあるなんて──何をどう伝えればいいのか、どれだけの言葉を並べても上手く伝えられない。
それほど、衝撃的な出来事でした。

それからの私は、あなたのことを、もっともっと知りたくて、たくさんの映像、本、写真……私が手に入れられるものを全部見たい!と思うほどでした。簡単に言えば、一心不乱とでも言うのでしょうか。
そして知れば知るほど、どんどんあなたが愛おしくなっていきました。
でも──その頃から、私のそんな気持ちとは関係のないところで、あなたを傷つけるような噂や言葉を目にすることも多くなりました。

そうした心ない言葉を見かけた時、悲しくて苦しくて、『文字』に押しつぶされそうになったのも事実です。

でもそんなときも、ただひたすらに一生懸命なあなたの姿を見ると
『弱音なんか吐いてる場合?応援することしか出来ないのに?ホント、何やってんだよ!』
と、自分に言い聞かせる事が出来たのです。

あなたにどうしても逢いたくて、2009年10月11日、初めて東京競馬場に行きました。
あなたは多分、知るよしもないでしょう。

競馬場はすごい人で、あなたの姿は見ることができたけれど、近いところには行けず、私のところから見たあなたがすごく小さかったのを覚えています。

そして、その日のレース(毎日王冠)は2着……。
悔しくて……悔しすぎて、何も見えなくなって、しばらく涙が止まらなくなりました。
そして次のレースの天皇賞・秋でも、3着。
また、心ない言葉がたくさん聞こえてくるようになりました。言葉では何も話せないし理由も説明できない……そんなあなたに対する誹謗中傷ひとつひとつが、つらかった。

それでも私は
『絶対、大丈夫!大丈夫!!』
そう自分に言い聞かせていました。

そして、あの日。
2009年11月29日、ジャパンカップ。

あなたは、勝った!!!
1着でゴールしてくれた!!!

今度は悔しくてではなく、嬉しくて涙が止まらなくなりました。
『よかったね……よかったね、ウオッカ』そんな気持ちで、只々涙しました。

あなたには関係ないかもしれないけれど、あの日……11月29日は、私の誕生日だったの。

だから
『ウオッカがジャパンカップの勝利をプレゼントしてくれた』
と、勝手にそう思っていた……。

それからすぐに、あなたは日本から遠い異国の地へ行く事になりました。
また帰ってくるって信じてたいたし、無事を疑うこともしなかった。またすぐに『おかえり』って言えるからって、心から思っていたんです。
でも、その異国の地で現役最後のレースを終えたあなたは、そのまま、お母さんになるためにアイルランドへ。

あなたを乗せた飛行機が飛び立つ時間がきたとき、大泣きしたの。その日からはしばらくは、仕事も手につかなくなって、隠れて泣いてばかりだった。

そんな私を救ってくれたのは、やっぱりウオッカ、あなたの存在だったんだよ。
遠い異国の地で言葉もわからない場所で頑張っているあなたがいたから、私も立ち直れた……。それからずっと、私の生活には、あなたがいてくれたんです。

毎年4月4日のあなたの誕生日、私はBIRTHDAYケーキを注文してお祝いしていました。

あなたのお腹に新しい命が宿ったときも、報せを聞いて、長野県の善光寺へ、安産祈願に行ったなぁ……。

あなたの写真を持っていったんだけど、受け付けのところで
『馬の安産祈願は初めてですね。そうですね……当日、馬は連れて来られますか?』
と聞かれて、ビックリしたこともあったんですよ。

だから、善光寺で安産祈願をしたお馬さんは、あなたが第一号だったんだよ!

あなたがいるアイルランドへ、お手紙と一緒に送った安産のお守りは、そのときのものです。

英語なんか全く出来ないから、知り合いに相談して英訳していただいたり、住所もわからないから、どうしたらいいかって住所を聞いてくださる方がいたり……。

そうした活動にたくさんご協力くださったのは、あなたもよーく知ってる先生──そう、角居先生です。そんな風にたくさんの方々のとってもあたたかい気持ちがあったから、あなたに届けられた。

本当に本当に、感謝しています。

無事に届いたことを知ったときは、ほっとしました。それから毎年、善光寺で安産祈願をしていただいていました。

「母子ともに元気です!」

その報せが来るまでは、毎日、近くの安産の神様のところで手を合わせていましたよ。

やっぱり、アイルランドは遠い。

遠すぎるよ……。

そう思いながら、携帯電話にアイルランドの時計を設定して、少しでもあなたに寄り添おうとしたりしていました。

いつか必ず会いに行くって心に誓っていたのに、それなのに……あなたは、もっともっと遠いところへ行ってしまった……。

本当に、手の届かない場所へ。

私の中で『ウオッカ』という存在は永遠で、いつまでも憧れの女性です。

出来ることならば、頑張ってるあなたを抱きしめたかった。

抱きしめて、ありがとうって言いたかった。

あなたの名前を呼びたかった。

だけど、いちばん言いたかったのは、別の言葉です。

『ずっとずっと大好きだよ!ずっとずっと愛してるよ!ずっとずっとね!』

今は、自信をもって心から言える!

ねぇ、ウオッカ。

あなたは永遠に私の中で生き続けています。

これからも、ずっとずっと。

写真:大島りえ

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