[スプリンターズS]スノードラゴン - 弥々拓かれて、浩々に輝いて。"新潟"の6ハロン。

「男になる」という言い回しがある。
それは、一人前になることを意味する、やや古臭い表現だ。決して「女性が一人前になることができない」ということはなく、そうした誤解を避けるためにも、今後は使われにくくなっていくであろう。
ただ今でも、成果を上げた男の背中は、変わらず何だか頼もしい。


騎手にとっての「一人前」とは、何なのだろうか。
騎乗する馬の能力を遺憾なく引き出す責務を負い、同時に他を妨げないことは、大前提だろう。しかし、常に命の危険や重傷の危険が付きまとうにもかかわらず、騎手にはそれ以上の「何か」が求められる。
プロスポーツゆえの運命──なるべく多くの勝ち星を求めて。技術だけではなく、勝ち馬に乗る過程を踏まなければならない。

大観衆の声援を全身で浴びたとき、一般紙の扱いが少し大きくなったとき、スポーツ新聞が一面を飾ったとき、テレビのスポーツニュースで数秒だけ名前が出たとき──。大レースの頂点に上り詰めた騎手を「一人前」と呼ばずしてなんと呼ぼうか。

しかし一方で、この世界には、規則を守る「一人前」な騎手を称える制度も存在する。
1年間で30勝かつ、制裁点数が10点以下の者が表彰されるフェアプレー賞だ。

美浦所属の大野拓弥騎手は、2005年に騎手デビュー。2011年に、中日新聞杯(GIII)で重賞初勝利。2012年には勝利数を伸ばし、中央競馬騎手年間ホープ賞を受賞。2013年は、フェアプレー賞を初めて受賞した。

重賞勝利をきっかけに飛躍を遂げ、さらにフェアプレイまで達成。

その難しい両立を実現した大野騎手は、翌2014年10月5日、頂を掴み「男になる」。

混迷のスプリント界

2014年のスプリンターズステークスは、中山競馬場の改修工事のため、新潟競馬場で行われた。大野騎手が騎乗したのは、芦毛のスノードラゴンである。

それまでのスノードラゴンは、5歳の春、22戦かけて条件戦を突破。3歳以降はひたすらダートを主戦場としていた。昇級初戦の京葉ステークスこそ勝利したものの、その後は5連敗。半年間勝利のない状況で起用されたのが、大野騎手であった。テン乗りとなったカペラステークスでいきなり2着、ジャニュアリーステークス勝利、オーシャンステークス2着。そして、GI・高松宮記念2着。北海道スプリングカップ2着。半年の間に急カーブを描いて出世していき、大野騎手は、成果でもってスノードラゴンをお手馬とした。

GIタイトルまであと少し。
スプリント界の頂点を狙うスノードラゴンと大野騎手は、スプリンターズステークスに参戦した。

この年のスプリントGIは、春秋ともに左回りで行われた稀有な年であった。スプリンターズSが、例年の中山開催ではなく、新潟開催で実施されたのである。
シンプルに捉えた場合、同じような条件ならば、春の高松宮記念と同じような結末になるのではないかと考えるだろう。高松宮記念は、1着:コパノリチャード(3番人気)、2着:スノードラゴン(8番人気)、3着:ストレイトガール(1番人気)という結果だった。

──ただこの年の高松宮記念は、不良馬場での開催。

イレギュラーな状況での決着を額面通りに評価するのか、意見が分かれていた。
さらに、参戦にあたって、コパノリチャードが一頓挫あって直行に。スノードラゴンはダートグレード、前哨戦で2連敗。ストレイトガールは前哨戦で囲まれて11着と大敗。春のスプリントGI好走馬たちは、それぞれに不安を抱えていた。

そんな中、1番人気に推されたのは、高松宮記念5着(2番人気)、前年の中山のスプリンターズステークス2着のハクサンムーン。続く2番人気はストレイトガール、3番人気はコパノリチャード。人気上位3頭は、高松宮記念の人気上位3頭を入れ替えただけ……つまりは、高松宮記念以前の実績が高く買われていたのである。

絶対王者・ロードカナロアが引退し、主役不在となっていたスプリント界。そして参考にしにくい高松宮記念に、イレギュラーな新潟開催。正確な物差しはなかったと言って良いだろう。GI未勝利の大野騎手、重賞未勝利のスノードラゴンが信頼を勝ち取ることはできず、単勝オッズ46.5倍、13番人気。

果たして、高松宮記念2着はフロックだったのか、それとも──。

運命ともいえる新潟開催

当日は、高松宮記念のような曇天。良とはいえ、変則開催で2か月間使用した馬場は既に傷んでいた。スノードラゴンは高松宮記念に続いて、ピンク帽の8枠18番。しかも今回は大外枠からの発走だった。
スタートから、ダッシャーゴーゴー、ハクサンムーンが先手を主張。スノードラゴンは中団に位置した。直線が近づくにつれて、逃げ馬の直後にいるハクサンムーンをめぐる争いとなる。外からグランプリボス、ストレイトガール、レッドオーヴァル、大外からスノードラゴンが追い上げる。内をついたのは、アドマイヤ軍団のような勝負服であるマジンプロスパー、ノースヒルズ軍団の勝負服ベルカント。

ハクサンムーンが伸びあぐねている中、最初に抜け出したのは……武豊騎手のベルカントであった。

その瞬間、12年前の状況が心に浮かぶ。平坦な新潟、ノースヒルズの勝負服と武豊騎手が紺色のゼッケンが最も内をつく様子。2002年9月29日、初めて新潟競馬場で行われたGI、スプリンターズステークス。春の高松宮記念を制したショウナンカンプ。高松宮記念2着、安田記念を制したアドマイヤコジーンを内から差し切り優勝したのは、武豊騎乗のビリーヴであった。

──戻って2014年。

ベルカントが同じように抜け出したかに思えたが、引き離すことはできなかった。今度は、ハクサンムーンを遅れて吸い込んだ後続の脚が目立ち、ストレイトガール、グランプリボス、レッドオーヴァル3頭がベルカントに並び横一線の争いに。しかし次の瞬間、大外から芦毛が猛追し、それらをまとめて差し切った。入線後は、大野騎手は、利き手の左手、ステッキを持つ手でガッツポーズ。スノードラゴン、大野騎手にとって待望の初GIタイトルであった。

高松宮記念2着、デビュー10年目の騎手、芦毛の6歳馬。2002年の新潟を思い出さずにはいられない。

ビリーヴに半馬身届かなかった、2着アドマイヤコジーン。

そう、スノードラゴンの父である。

背中には、当時デビュー10年目の後藤浩輝騎手。2歳GIを制したのち3年勝利できず、オープンでも着外になっていた6歳馬だったアドマイヤコジーンを、後藤騎手は乗り替わり初戦の東京新聞杯で蘇らせていた。続く阪急杯で連勝。高松宮記念2着。8枠18番の大外枠だった安田記念を制して再びGIの頂に到達、後藤騎手にとって初のGIタイトルとなった。そして迎えた新潟のスプリンターズステークスだったが、2着。結局引退まで、スプリントGIを勝利することはできなかった。

2014年、アドマイヤコジーンの主戦・後藤騎手は、スノードラゴンが差し切る姿をフジテレビ系列の実況席で、解説者として見届けている。

それから

大野騎手はその後、ホワイトフーガでJBCレディスクラシック優勝。スノードラゴンと同じ高木登厩舎所属のサウンドトゥルーの主戦となり、東京大賞典、チャンピオンズカップ、JBCクラシックを優勝。2014年はフェアプレー賞2年連続受賞を達成、さらに2013年から2020年までの8年間で5回フェアプレー賞を受賞した。誰もが認める「一人前」のジョッキーだ。

スノードラゴンは、2019年まで、11歳となるまで走り続けたが、スプリンターズステークス以降は新たに勝利することができなかった。さらに、GI馬にもかかわらず1番人気にも2番人気にも推されず、馬券ファンからの信頼は決して大きいものではなかった。

しかし大野騎手は、スノードラゴンの主戦騎手であり続けた。GIのときは決まって騎乗し、スプリンターズステークスは2016年12番人気5着、2017年最低人気ながら4着。GI馬を侮るファンを見返す順位には最後まで到達できなかったが、たびたび上位に食い込む活躍。長く現役を続ければいつかもう一回……と夢を見させてくれる存在だった。

どんな友情、どんな関係にも終わりがあるように。大野騎手のスノードラゴンのコンビにも終わりが来る。大野騎手が勝利数を75まで伸ばし12位と躍進する一方、スノードラゴンの成績は落ちていった。そしてスノードラゴンの61戦目、引退レースである2019年の高松宮記念の背中には、大野騎手はいなかった。スノードラゴンにとって大野騎手のいない初めてのGI。大野騎手はナックビーナスを選んだ。

大野騎手の判断は正しいといえる。近2戦は共にブービー、11歳のスノードラゴンにこれ以上何を求めるというのか。対して6歳のナックビーナスは、大野騎手が騎乗して前哨戦2着、2着。ファンもナックビーナスを6番人気、スノードラゴンを10番人気に推していた。しかもナックビーナスは、大野騎手の師匠である杉浦宏昭厩舎である。
騎手は、勝利に導く騎乗をすることで誰かの願いを叶える職業である。騎乗依頼した馬主か、騎手になりたなかった大野騎手の父や家族のためか、自身に賭けてくれた、応援してくれたファンか。この場合、面倒を見てくれた師匠の願いを叶える、またとない機会であった。空いたスノードラゴンの背中には、デビュー4年目の藤田菜七子騎手。初騎乗は、コパノキッキングに騎乗して、フェブラリーステークス5着。GI2回目の騎乗はGI優勝馬であった。

結果から言えば、両者ともに二桁着順での惨敗。
スノードラゴンは後方のまま、ナックビーナスは道中不利もあり、早々と消えていった。
ミスターメロディやセイウンコウセイが競り合う中、脚を失ったナックビーナス。今回は、師匠にGIを届けることができなかった。
行きついた先はスノードラゴンの目の前。スノードラゴンにとって、大野騎手の背中を目指して走ったのが、最後の走りとなった。入線後、大野騎手とスノードラゴンは、限りなく接近した。
GI2戦目の藤田菜七子騎手は、11歳のスノードラゴンから何かを感じ取っただろう。藤田騎手が「男になる」もとい「女になる」のは、そう遠くはないはずだ。

引退後のスノードラゴンは、北海道新ひだか町のレックススタッドにて『男となった』。
初年度に集めた牝馬は20頭。うち生産されたのは、11頭。
2002年から24年後、2014年から12年後、2026年の新潟競馬場。スプリンターズステークスを先頭で駆け抜けるのは、芦毛6歳のスノードラゴン産駒、背中には大野騎手、あるいは藤田騎手と予言しておく。

写真:math_weather、Horse Memorys

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