[富士S]エアスピネル、エイシンアポロン……富士Sで大活躍した、4歳馬たち。

古くからの競馬ファンにとって富士ステークス(以下富士Sと略)はジャパンカップに出走する馬の前哨戦のイメージが強かった。1984年から始まった富士S。1987年にはG1レース8勝を挙げ「鉄の女」と呼ばれていたフランスのトリプティクが驚異的なレースぶりで優勝した。

その後1998年に芝1400mの重賞競走に昇格。2000年からはマイルチャンピオンシップ(以下マイルCSと略)の前哨戦として位置づけられた。2020年からはG2レースに昇格した。

重賞昇格から2020年までの勝ち馬の年齢を見た時、4歳馬が7勝を挙げている。続いては3歳馬と5歳馬が6勝。勝率でみると4歳馬が12.3%、連対率を見ると4歳馬が22.8%、複勝圏内率では4歳馬が33.3%と抜けた実績を持っている。

だが、4歳馬が初めて富士Sを制したのは2002年(この年は中山競馬場で実施)。名馬ラムタラの子メイショウラムセスだった。ラムタラ産駒では、メイショウラムセスがJRAの平地重賞では唯一の勝利となった。メイショウラムセスの優勝以降は2010年のダノンヨーヨーまで4歳馬による富士S制覇はない。

しかし翌年の2011年。混戦ムードの中で1頭の4歳馬が勝ち名乗りを挙げて、後のマイル路線の天下を取った馬がいる。

エイシンアポロン(2011年)

芝・ダートを問わず活躍し、連戦にも耐え「アイアンホース」との異名を残したジャイアンツコーズウェイ。アメリカで種牡馬生活を送り、シャマーダルやファーストサムライといった子供達が活躍。2014年に生まれたブリックスアンドモルタルはブリーダーズカップ・ターフなどを制し、日本で種牡馬生活を送っている。

しかし、日本で走っているジャイアンツコーズウェイの子供はスズカコーズウェイが京王杯スプリングカップを制したものの、G1レースを制した馬はいなかった。2009年の朝日杯フューチュリティステークス(以下朝日杯FSと略)でエイシンアポロンの2着が最高位である。

3歳のエイシンアポロンは弥生賞、毎日王冠の2着が最高で、天皇賞・秋(17着)以降は休養していた。この休養中に松永昌博厩舎へ移籍。4歳は10月の毎日王冠から始動した。毎日王冠では10番人気の低評価であったが、田辺裕信騎手との新コンビで4着。

次走を2週間後の富士Sに狙いを定めた。1番人気に支持された理由として、レース前の芝コースが不良馬場になり、重馬場の弥生賞で2着に入った実績も後押ししたのだろう。

ゲートが開いた。レインボーペガサスが主導権を握り、続いてブリッツェン、マイネルラクリマが続く。すんなりと隊列が決まり、エイシンアポロンは11番手、並ぶようにして安田記念2着馬ストロングリターン、ゴールスキーが追走し、人気所の馬達は後方で競馬を組み立てる。

前半800mの通過タイムが47.5秒。不良馬場の中でのレースでは速い展開でレースが進む。4コーナーに回ると、馬場の悪化で逃げるレインボーペガサスが外に出してきた。残り200mを通過すると、アプリコットフィズが先頭に立つ。アプリコットフィズの外からエイシンアポロンがやってくる。じわじわと迫ってくるエイシンアポロン。切れ味は他の馬が優勢に立つが、不良馬場ならば底力が問われる。アプリコットフィズを最後はハナ差交わしてのゴールイン。上がり3ハロンのタイムはメンバー中最速とは言え、34.8秒掛かった。

富士ステークスを制したエイシンアポロン。次は初のG1レース制覇を目指し、マイルCSに向かった。直前で田辺騎手が騎乗停止を受けてしまったが、池添謙一騎手が騎乗。フィスペトルとの接戦を制し、ジャイアンツコーズウェイ産駒で初めてとなる日本のG1タイトルを獲得した。騎手時代にはナイスネイチャとのコンビでG1レースを惜敗し続け、調教師時代にはウインバリアシオンを管理するも、オルフェーヴルに阻まれた松永昌博調教師。同師にとって、競馬人生を通して初めての中央G1レース制覇だった。

引退後は種牡馬入りしたエイシンアポロン。7年間の種牡馬シーズンで血統登録が60頭。子供達はJRAでは勝ち星を挙げることはできなかったが、地方競馬では37頭が勝ち上がった。その中には岩手競馬のハヤテスプリントなど地方のダート重賞を3勝制しているエイシンハルニレがいる。2020年でもって種牡馬生活にピリオドを打ち、現在は悠々自適な日々を送っている。

エアスピネル(2017年)

どの時代においても、「いつG1レースを勝ってもおかしくはない」という馬はいる。生まれた年が1年、2年ずれていたら……と思う馬は多い。エアスピネルもそんな1頭である。

2歳の秋、武豊騎手を背にデビューしたエアスピネルはデビュー2戦目にはデイリー杯2歳ステークスを制し、次は朝日杯FSに進んだ。朝日杯FSは武豊騎手が史上初となる中央G1完全制覇がかかっていた。単勝オッズが1.5倍と圧倒的な支持を得ていたエアスピネル。しかし、残り50m地点でミルコ・デムーロ騎手騎乗のリオンディーズがエアスピネルを交わして先頭に立ってゴール板を過ぎた。武豊騎手の偉業はお預けとなった。

3歳になったエアスピネル。皐月賞、日本ダービーは4着、菊花賞では3着に終わったが、見せ場十分のレース内容。それでもエアスピネルにG1ホースになれなかったのには、2016年の牡馬クラシック勢のレベルが高かったというべきなのか。

4歳を迎えたエアスピネルは芝1600mのマイル路線でG1獲得を目指した。菊花賞以来となった京都金杯はブラックスピネルの強襲があったもののハナ差で勝利した。だが、安田記念は勝ったサトノアラジンとは0.2秒差の5着。芝2000mの札幌記念も5着と不完全燃焼に終わった。

そして、秋競馬の初戦に選んだが、富士Sであった。

2014年の皐月賞を制したイスラボニータをはじめ強豪がそろう中、僅かな差ではあるが1番人気に支持されたエアスピネル。雨が降り、馬場状態は不良馬場の中で富士Sがスタートした。

押し出されるようにして先頭に立ったのはレッドアンシェル。2番手にはマイネルアウラートが続く。3番手の一角にエアスピネルが走る。エアスピネルを見るような様子でイスラボニータが並びに掛かってくる。前半800mの通過タイムは47.8秒。だが、11秒台のラップが2回刻まれるなど淀みない展開でレースが進む。

4コーナーでは早くも先頭集団に取り付くエアスピネル。最後の直線に向くと逃げるレッドアンシェルが最内に切れ込んだが、エアスピネルは馬場の良い外側へ武豊騎手がエスコートする。内にはデムーロ騎手騎乗のペルシアンナイト、外にはルメール騎手騎乗のイスラボニータ。しかし、武豊騎手はそのまま先頭でゴール。2着のイスラボニータに2馬身(0.3秒)差を付けての快勝。G1レース前哨戦を勝利で飾った。

富士Sの勝利でマイルCSの有力候補になったエアスピネル。短期期間の騎手免許で来日していたライアン・ムーア騎手に乗り替わり、稍重馬場で行われ2番人気に支持されたエアスピネルが先頭に立つ。「6度目の挑戦で遂にエアスピネルがG1ホースになれる!」と思った次の瞬間、馬群を縫って来たのはまたしてもデムーロ騎手騎乗のペルシアンナイトだった。最後はペルシアンナイトがハナ差でエアスピネルを交わした。

富士S以降エアスピネルは約4年間勝利の女神から遠ざかっている。ダートに活路を見いだし、2020年のプロキオンステークス、2021年のフェブラリーステークス、さきたま杯の2着が最高順位。それでも、フェブラリーステークスでは勝ったカフェファラオから0.1秒差の2着と健闘している。

ノームコア(2019年)

近年の欧州の競馬において、芝2400mのクラシックディスタンスで活躍した馬は障害競走専門の種牡馬に転用されるケースがある。最近では2020年の凱旋門賞で2着に入ったインスワープも障害競走専門の種牡馬に転身した。それを考えると、日本で種牡馬を送っているハービンジャーも社台グループに売却されなければ、障害専門の種牡馬になっていたかも知れない。もしそうなれば、ディアドラやペルシアンナイト、それにノームコアも生まれてこなかったことになる。

2歳の夏にデビューしたノームコア。新馬戦と500万円下(現在の1勝クラス)のアスター賞と連勝し、牝馬クラシック候補として名乗りを上げてきた。しかし、アスター賞のレース後に骨折が判明し、休養へ。春は2戦使い、秋の紫苑ステークスを快勝したノームコアだったが、激走に伴う馬のダメージが酷く秋華賞は断念。体調が戻ったエリザベス女王杯では5着に入った。

4歳は年明けの愛知杯から始動したが2着に敗退。中山牝馬ステークス(7着)後のレースに選んだのはアスター賞以来の芝1600m戦となるG1レース・ヴィクトリアマイルであった。騎手を短期騎手免許で来日中のダミアン・レーン騎手に乗り替えて5番人気の支持を得た。道中は7番手に待機したノームコアは直線では馬場の真ん中を突いてきた。外から猛然と襲ってきたプリモシーンの追撃を交わしてのゴールイン。勝ちタイムの1分30秒5はJRAどころか世界レコード(当時)の驚異的なタイムを叩き出してのG1レース制覇となった。だが、ノームコア自身へのダメージが大きかったのか、レース後に軽度の骨折が判明した。

骨折が癒え、秋初戦に臨んだのは、富士S。

富士S出走馬の中でG1レースを制した馬はノームコアと、朝日杯FS・NHKマイルカップを制したアドマイヤマーズの2頭。ところが単勝の最終オッズはアドマイヤマーズが2.1倍に対し、ノームコアは4.8倍と離れていた。G1レース2勝のアドマイヤマーズと牝馬限定G1レース1勝のノームコアでは実績に差がある上、ノームコアのハンデが56Kg。牡馬に換算すると58Kgと想定され、単純計算で57Kgのアドマイヤマーズよりも1Kgハンデが重いことになる。短距離では、ハンデ差1Kgの場合は約半馬身の差があるという。

ゲートが開くと、カテドラルが大きく出遅れた以外はまずまずのスタート。トミケンキルカスが先頭、2番手にショウナンライズが続き、後続の馬の隊列もすんなりと収まる。アドマイヤマーズは中団を形成。その後ろにはノームコアが続く。しかし、敵はアドマイヤマーズだけじゃない。ノームコアの後方には出遅れた分を取り戻すシュタルケ騎手騎乗のカテドラル、戸崎騎手騎乗のクリノガウディー、そしてスミヨン騎手騎乗のレイエンダが控えている。ルメール騎手は後方の馬の動きにも気を配る必要があった。

前半の800mの通過タイムは47.0秒。2ハロン目(200~400m)のラップが10.9秒と激しかった以外はまずまず流れている。4コーナーを回り直線に入る。アドマイヤマーズは外に馬を出し、続くようにノームコアは外へ進路を取る。大外に回したのはスミヨン騎手のレイエンダ。カテドラル、クリノガウディーはインコースから抜け出しを図る。

最後の坂を上り切った時にアドマイヤマーズが失速。代わってノームコアが加速する。普通ならば、ノームコアのパフォーマンスをベストに持ち込みたいのだが、外にはレイエンダがいる。スミヨン騎手のアクションに応えるかのようにレイエンダが加速する。競馬大国のフランスで一時代を築いたルメール騎手とスミヨン騎手の凄まじい叩き合い。

最後はルメール騎手が勝った。

日本のレースでは負けられない、ルメール騎手のプライドがそこにはあったのではないか。

続く香港マイルでは4着に敗れたが、5歳時には札幌記念でG1レース3勝馬ラッキーライラックを破る殊勲の星。そして、引退レースとなった香港カップではウインブライト以下を退け、有終の美を飾った。

写真:Horse Memorys

あなたにおすすめの記事