JBCを勝つのはいつも中央競馬所属馬、地方競馬所属馬は勝負にならない。でもひょっとしたらひょっとして……。
2005年名古屋競馬場で行われたJBCクラシックにおいて、地方競馬ファンの想いが結実しそうになった瞬間がありました。
その直線は、映像越しに見ても場内が異様な空気につつまれていたことが伝わってきました。実際に現地で応援していた方のお話を聞いてみましたが「とんでもないことが起こるのでは!? ということが分かり、場内の盛り上がりがとてつもなかった」とのことでした。歴史的偉業まであと少しだったのが、今回の主人公レイナワルツです。
レイナワルツは父ブラックタイアフェアー、母レイナロバリー。レイナロバリーはダートの新馬戦を勝っていますが、ライデンリーダーが勝って盛り上がった4歳牝馬特別で5着だった馬……といった方が通じるかもしれません。父、母ともにダートに強かったことから、レイナワルツは中央競馬の京都競馬場ダート1800mでデビューします。鞍上にクリフトフ・ルメール騎手を配して、一番人気に支持されますが結果は3着。次のレースも3着でしたが、3戦目に見事1着に輝きます。3戦ともに1番人気だったことからも、素質を見込まれていたことがわかります。
当時の3歳牝馬は、ダートに強くても素質を見込まれたらとりあえずはクラシックレースを目指す事が多い時代。レイナワルツも昇級後は芝のレースに出走して4着、1着。そしてGⅡフィリーズレビューでは2番人気でヤマカツリリーの3着と頑張り、桜花賞に出走します。桜花賞ではスティルインラブの14着に敗れたところを見ると、さすがに芝のG1では厳しかったようです。
その敗戦以降、レイナワルツは精彩を欠きます。桜花賞を含めて10回連続5着以下、うち8回は二けた着順と惨敗してしまい、かつての輝きは鳴りを潜めてしまったのでした。
17戦目からは名古屋競馬場の瀬戸口悟厩舎に転厩。転厩後は上松瀬竜一騎手が騎乗して7戦3勝2着1回、少しずつ輝きを取り戻します。とはいえ、金沢、浦和、盛岡への遠征では結果が振るわず……。この頃からレイナワルツは「地元では強いけど遠征すると結果が出ないタイプ」と評されるようになります。
上松瀬竜一騎手とのコンビでさらなる活躍が楽しみだったのですが、上松瀬騎手が引退し、名古屋競馬のベテラン兒島真二騎手が手綱を取ることになります。兒島騎手が乗ってからJBCクラシックに出走するまで、15戦8勝で名古屋重賞3勝と大活躍!
それでも船橋、佐賀、中京、川崎、金沢への遠征では勝ち星を挙げることができません。もしかしたら中央競馬時代も、栗東トレーニングセンターから各競馬場までの輸送が必ず伴いますので、そうした輸送の影響などから不振に陥ったのかもしれません。
むかえた地元・名古屋競馬場でのJBC。
当時レディスクラシックはなかったので、JBCクラシックにレイナワルツは出走します。いくら地元で強く上り調子といえども、この日のレイナワルツは単勝150倍以上の9番人気と完全にノーマーク。それも仕方がないと思える好メンバーが、この年のJBCクラシックには揃っていました。
中央競馬からは、タイムパラドックス、ユートピア、サカラート、パーソナルラッシュ、シーキンザダイヤと、今でも名を馳せる名ダート馬がそろって参戦。地方競馬からもナイキアディライト、グレートステージ、ミツアキサイレンスが参戦します。
この豪華メンバーに入っては、単勝150倍を超える9番人気は仕方のないところです。
ところが2005年名古屋競馬場でのJBCクラシックは、レース前から波乱が起きる予兆はありました。JBC専用のファンファーレが鳴り響き各馬がゲートに入りますが、ナイキアディライトがなかなかゲートに入らず、なんとゲート前で座り込んでしまったのです。そのため発走がやり直しとなり、もう一度鳴り響いたファンファーレは、なんと名古屋競馬場重賞ファンファーレ!
発走のやり直しでファンファーレが2度鳴ることはありますが、違うファンファーレが鳴ったというのは聞いたことがありません。またテレビ中継もレース中に放送終了時間がきてしまい、レースがすべて放映されなかったという事態も発生しました。
そんな波乱の予兆を見せていたJBCクラシックも、ようやくレースがスタート。
逃げたのはユートピア、そこにゲートで座り込みをしたナイキアディライト&石崎駿騎手が絡んでいきます。1周目のゴール前でナイキアディライトが前に出て、ユートピア、サカラート、シーキンザダイヤ、パーソナルラッシュと続いて向こう正面。
レイナワルツは最内5番手あたりにいますが、手応えはあまり良くみえません。
ナイキアディライトにマークされたユートピアが失速。続いてナイキアディライト自身も失速して、外から有力中央競馬所属馬が上がっていきます。
そして先頭に映像が切り替わった時に、信じられない光景が映し出されます。
失速するナイキアディライトの最内をついて、いつの間にかスルスルとレイナワルツが上がっていき、なんと先頭に立っているではありませんか!
3、4コーナー中間でレイナワルツが手応え抜群で先頭にたち、後ろの馬たちの手応えは悪く見えたのですから、何が起こったのかレースを見ているすべての人が把握できませんでした。レイナワルツはそのまま直線に入り3馬身ほどの差をつけて先頭をキープ。実況アナウンサーも興奮してきたのか「先頭は! 先頭はレイナワルツだ! レイナワルツが先頭だ! さあ後はどうする!?」と絶叫。
たしかに残り150mでレイナワルツは、後ろを3馬身近く離して先頭でした。
名古屋競馬場も異様な盛り上がりを見せはじめます。
「レイナワルツそのまま!」
「レイナワルツ逃げきれ!」
レイナワルツの馬券を買っていようがいまいが、地元の代表馬を場内のファンが一所懸命に応援します。
──しかし無常にも残り50mで、武豊騎手が必死で追ったタイムパラドックスと、一度は下がったはずが再び盛り返したユートピアに捕まり、レイナワルツは3着でゴール。
レースを見ていた多くの人が一体何が起こったのか分からず、「ひょっとしたらひょっとするのか!?」という空気につつまれた、スリリングな残り100mでした。
レイナワルツの複勝は1,970円、3連単は236,450円とレースは大荒れ。しかし、馬券の当たり外れを超えて、いいレースを見たという満足した気持ちになった2005年名古屋競馬場でのJBCクラシックでした。
個人的には、今でもタイムパラドックスが勝ったレースというより、レイナワルツがあわやの3着に粘ったレースとして記憶に残っています。
兒島真二騎手もレース後のコメントで「直線で歓声は届いていましたよ。皆さんに夢を与えられたのではないかと思っています。向こう正面からの手応えは抜群だったので、他馬に挟まれない様に、3コーナー手前から仕掛けていきました。次につながるレースが出来たと思いますよ。ただ遠征は苦手なので、名古屋限定ですが」と最高のレースだったと振り返ると同時に、やはり地元名古屋だったからこそできた素晴らしい走りであったことを示唆しました。もし当時JBCレディスクラシックがあったら……と思わずにはいられません。
牝馬ながらJBCクラシック3着という立派な成績をおさめたレイナワルツ、その後は地元・名古屋のレースだけではなく、交流重賞も数多く使うことになります。しかしついに遠征で勝つことはできず、2007年7月の川崎競馬場スパーキングレディカップ2着を最後に引退となりました。
レイナワルツ60戦17勝、名古屋重賞5勝、名古屋記念では3連覇を達成!
交流重賞でも入着を続け、獲得賞金は1億円を越える大活躍でした。
レイナワルツはその後7頭の産駒を競馬場に送ることとなり、産駒は中央競馬や地方競馬でそれぞれ勝ち星をあげます。
しかしレイナワルツは、残念ながら2019年にこの世を去りました。それでも佐賀競馬でワタシノワルツが連勝するなど、母としても輝きを見せました。
レイナワルツのような「ひょっとしたらひょっとして……」という馬が、次なるJBC各レースでも出てくることを、毎年願ってやみません。
写真:ふく