鳴尾にあった競馬場で最後に競馬が開催されたのは1943(昭和18)年4月。阪神競馬場の前身である鳴尾競馬場は1907(明治40)年開場。戦時中に海軍によって接収、飛行場となり、戦後は米軍のキャンプ基地となった。競馬会は鳴尾競馬場の代替地として一旦は逆瀬川にある宝塚ゴルフ倶楽部のあたりを選んでいたが、それもGHQの要求により、代替の代替地を探すこととなった。鳴尾競馬場の代替の代替地──それが、現在の阪神競馬場である。鳴尾競馬場、その敷地の一部は今の武庫川女子大学に払い下げられ、現在に至っている。
仁川、逆瀬川、そして鳴尾。
阪神競馬場の歴史を彩る地名は現在もレース名として残されている。そのなかでももっとも格が高いレースが、発祥地の名前を冠したGⅢ鳴尾記念である。
宝塚記念の前哨戦として位置づけられた鳴尾記念は、初タイトルを手中に収める上がり馬がしばしば活躍するレースである。
今年は世界的なパンデミックの影響から各有力馬が海外遠征を中止する事態となっているが、ラヴズオンリーユーもその1頭。
ドバイ中止からヴィクトリアマイル、そして鳴尾記念出走は、決して予定通りの道のりではなかった。戦略家である矢作芳人調教師はGⅠ馬でありながら54キロで出走できるという規定を見逃さなかったのだ。
昨年の菊花賞以来となるサトノルークス、今年オープン入りを果たしたレッドガラン、以下重賞ウイナーのレッドジェニアル、パフォーマプロミス、ブラックスピネル、サトノフェイバー、アメリカズカップらが顔をそろえた。
レース概況
逃げると目された3歳馬キメラヴェリテ(鳴尾記念が6月阪神に移行されて以来、3歳馬の出走は今回が初めて)が、スタートで後手を踏み、出ムチを入れても先団にとりつけない。かわりに積極策で復活を目指すサトノフェイバーの先手を奪う事から、レースがはじまった。
外からレッドガラン、インコースからトリコロールブルーがそれを追い、ブラックスピネルがそれを抜いて番手を目指す。初角から2角にかけてアメリカズカップが騎手の制御を振り切るように上がっていく。
ラヴズオンリーユーはそれらの見ながら背後に位置し、その背後のインコースにパフォーマプロミス、アドマイヤジャスタらが追走。
テリトーリアルや後手を踏んだキメラヴェリテが続く。レッドジェニアル、サトノルークスの4歳上位人気馬は後方に控えていた。
勝負所でも動く馬がいない静かな流れのなか、最後の直線でサトノフェイバーが一旦突き放しにかかると、トリコロールブルー、レッドガランが離されまいと食らいついていった。
その外からラヴズオンリーユーが襲いかからんとした、そのときだった。
インコースでその気配を殺していたパフォーマプロミスが飛び出すようにおどり出て、ラヴズオンリーユーの内から出し抜けを食らわせてきたのだ。
抵抗するラヴズオンリーユーとの叩き合いはゴール板までもつれ、写真判定の結果は内のパフォーマプロミスに凱歌があがった。
ラヴズオンリーユーは2着、3着はインコースから馬群をさばいてきたレッドジェニアルだった。勝ち時計2分0秒1(良)。
各馬短評
1着パフォーマプロミス(10番人気)
枠に入ると一部のファンからは不安がられることもある、福永祐一騎手。本人はさぞ不本意だろう。というのも福永騎手は枠番別成績に偏りがなく、むしろ内枠の成績がいいジョッキーだからだ。
今回も、立ち回りの上手さに定評がある福永騎手の真骨頂ともいえるレース運びだった。
6週間休んだ阪神の芝は絶好の状態であり、インコース断然有利な馬場状態。1番枠から一切外には出さずに中団のラチ沿いというベストポジションを終始キープ。最後の直線で前にいる先行馬3頭のすぐ外にジャストタイミングで持ち出すという最小限の動きで馬の消耗を抑えた。
昨年の天皇賞(春)以来の1年1カ月ぶりの実戦。そこで掴み取った勝利は、厩舎力も素晴らしいが、福永騎手の手腕によるところも大きかった。
2着ラヴズオンリーユー(1番人気)
パンデミックによってすっかり狂わされた4歳春シーズン。ヴィクトリアマイル7着から鳴尾記念出走は意外な印象だが、54キロで出走できるという利点を見逃さない陣営は、さすがのひとことだ。
ヴィクトリアマイルよりスムーズに流れに乗れたあたり、やはり2000m以上がベストという印象。100点に近い内容だったが、相手がそれ以上のレースをしたということだろうか。運がなかった。
3着レッドジェニアル(4番人気)
開幕週の馬場での後方待機は厳しかった。しかしながらこれが、この馬の競馬である。
馬場と馬の性質を考慮し、外に出さずに終始インコース、ロスを避け最後もインコースから馬群をさばく競馬だからこその3着。
状況と馬のこと、バランスをうまくとった騎乗だった。乗り慣れた酒井学騎手だからこそできた競馬だろう。
総評
勝ったのはベテラン8歳馬パフォーマプロミスだったが、その掲示板4着に10歳サイモンラムセスが載ったのは驚きだった。キャリア68戦目の引退レースで4着は、頭が下がる思いだ。
馬券圏内ではなかったので見逃されがちだが、これは讃えるべきだろう。深いブリンカー、頭の高い独特な走り、気難しさがあるサイモンラムセスは時より大逃げで大穴をあけた。
逃げられないレースが続くと、今度は控えてなるべく気難しさを出さないような競馬を試すようになっていた。
引退レースはレッドジェニアルの後を追うように馬群を縫ってインコースから伸びてきたのだから、さらに驚きである。
最後の最後に見せてくれた器用な競馬は、さらに彼の印象を深めた。
そして思った──サイモンラムセスにならって、私もまだまだ進化していこう、と。