イギリスの女王エリザベス2世が9月8日(現地時間)、滞在先のスコットランドのバルモラル城で亡くなられた。96歳であった。ほんの2日前の9月6日にイギリスの与党である保守党の党首選挙に勝利したメアリー・エリザベス・トラス(リズ・トラス)氏を新首相に任命。トラス氏と握手するエリザベス2世の写真がニュースで伝わった。それから僅か2日後の訃報である。
今回は追悼の意味も込めてエリザベス2世が競馬界に及ぼした影響や功績を振り返る。
エリザベス2世を悼む競馬界
エリザベス2世の死を受けてイギリスは9月9日から服喪期間に入った。公的機関の建物は半旗を掲げた。サッカーのプレミアリーグは週末の試合延期を決めた。ロンドン動物園やテーマパーク「レゴランド」は9日に臨時休業した。
競馬界も例外でなかった。英国競馬統括機構(BHA)が9月8日の一部のレースと、9月9日、9月10日の全てのレースをキャンセル。9月10日に行われる予定だったイギリス牡馬三冠レースの1つであるセントレジャーステークスは9月11日に延期となった。BHAはレースのキャンセルの声明の中で「女王陛下は競馬の歴史の中で最も偉大で影響力のあるサポーターの1人です」と追悼した。2021年に創設されたイギリスの競馬の殿堂と称される「ブリティッシュ・チャンピオンズシリーズ名誉の殿堂」においても、エリザベス2世は功労者の部門で殿堂入りを果たした。
イギリス王室と競馬の関係は深いものである。イギリス王室が所有するアスコット競馬場を創設したのはアン女王(在位1702~1714年)。エリザベス2世の曽祖父エドワード7世(在位1901~1910年)は、1900年のイギリス三冠(2000ギニーステークス、ダービーステークス、セントレジャーステークス)を制したダイヤモンドジュビリーや歴代国王の中で唯一在位中にダービーステークスを制したミノル(1909年)の馬主としても有名だ。エリザベス2世の父ジョージ6世(在位1936~1952年)も1942年に1000ギニーステークスとオークスステークス、それにセントレジャーステークスを制したサンチャリオットを所有していた。
エリザベス2世も5歳の時から乗馬に親しみ、また若かりし頃には自らレースにも出場したことがあるらしい。女王に即位してからはスポーツ団体に勅許を与えてジョッキークラブの決定に法的基盤を付与した。これにより200年以上にわたって「先例」でしかなかったジョッキークラブの裁定には法的な根拠が認められることになり、権威と権限が大幅に強化されることなった。さらに1954年と1957年にはイギリスのリーディングオーナー(所有馬の獲得賞金額首位)に。在位中にこのタイトルを複数回獲得した君主は、歴史上エリザベス2世のみだ。
2022年の6月にはエリザベス2世の所有馬に騎乗した騎手がエプソム競馬場に集合。紫色の胴部に金ボタンと刺繍をあしらい、袖色は赤のエリザベス2世の勝負服を纏い、エリザベス2世の即位70周年(プラチナジュビリー)を祝した。騎手の中にはランフランコ・デットーリ騎手や女性騎手のホーリー・ドイル騎手など現役騎手をはじめ、スティーヴ・コーセン元騎手やウィリー・カーソン元騎手など、かつてエリザベス2世の馬に騎乗した事のある騎手40人が集った。
そして、イギリスのクイーンエリザベス2世ステークス、アメリカのクイーンエリザベス2世チャレンジカップステークス、イギリスの植民地であった香港ではクイーンエリザベス2世カップが代表で、日本ではエリザベス女王杯がエリザベス2世の名前を冠したレースが世界各地に存在している。日本のエリザベス女王杯は2012年には一般的にイギリス連邦以外では許可されないエリザベス女王即位60年記念「ダイヤモンドジュビリー」を日本で実施することについて特別に許可が下り、「エリザベス女王即位60年記念」の副題がつけられた。2013年からはバッキンガム宮殿の許可が下り、欧文表記がそれまでの「Queen Elizabeth II Commemorative Cup (日本語訳:エリザベス2世女王来日記念カップ)」から「Queen Elizabeth II Cup」へと変更された。
エリザベス2世が所有した名馬たち
エリザベス2世が所有した数々の名馬たち。その中でも、日本の競馬に影響を及ぼした名馬をピックアップして振り返りたい。
ゲイタイム
エリザベス2世が女王に即位したのが1952年。この頃エリザベス2世が所有していたのがゲイタイムという牡馬であった。
元々ゲイタイムは他の馬主が所有し、ダービーで2着になった実績馬。ダービー後にエリザベス2世に馬主が変わり、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスで2着、セントレジャーで5着と健闘した。引退後はイギリスで種牡馬になるはずだったが、喘鳴症(馬の咽頭で発生する病気。俗称「喉鳴り」)のため種牡馬生活を送れるかどうか微妙な状況であった。
この時、日本がゲイタイムの購入を検討していた。そして1953年12月に日本へ輸出。1954年から日本で種牡馬生活を送る事となった。
1957年に初年度産駒がデビューし、3頭の重賞勝ち馬を送るなど順調なスタートを切ったゲイタイム。1962年には産駒のフエアーウインで日本ダービーを制した。1963年の皐月賞・日本ダービーを制したメイズイ、1967年の宝塚記念を制したタイヨウもゲイタイムの息子である。
ゲイタイムが亡くなったのは1970年。メイズイをはじめ多くの後継種牡馬を送り出したが、この頃は日本産の種牡馬が不遇の時代であったため、ゲイタイムの父の系統は3代続くことはなかった。ただし、1982年の有馬記念を制したヒカリデュールや1974年の日本のオークスを制したトウコウエルザ、それに1977年のオークスを制したリニアクインの母の父としてゲイタイムは記録に残っている。そして、メイズイの全姉にあたるメイワのひ孫には、1983年の皐月賞・日本ダービー・菊花賞の日本の牡馬三冠を達成したミスターシービーがいる。
話は変わって1973年9月。当時の田中角栄首相がイギリスを訪れ、エリザベス2世と会った時の話である。この頃の日本は経済成長が著しく、イギリスで活躍した種牡馬を買っていた。この状況を憂いていたエリザベス2世は田中首相に苦言を呈したらしい。ところが日本経済賞(現在の日経賞)を制したマキノホープを所有するなど馬主でもあった田中首相が、かつてエリザベス2世が所有したゲイタイムから2頭の日本ダービー馬を送り出した事、エリザベス2世が日本に来日した際には東京競馬場を案内する事を話すと、お互いに笑ったという。エリザベス2世の日本訪問は1975年に実現したが、残念ながら競馬場の訪問は無かった。しかし、エリザベス2世の来日を記念して、1970年に創設されたビクトリアカップは1976年からエリザベス女王杯と名前を変えて行われるようになった。
オリオール
エリザベス2世が即位した1952年、エリザベス2世が所有する1頭の競走馬がデビューした。オリオールという競走馬である。
1953年のイギリス牡馬三冠に出走したオリオールであったが、ダービーステークスの2着が最高着順。だが、4歳となった1954年に本格化を遂げる。コロネーションカップを快勝したオリオールはキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスで本領を発揮したのだった。
スタート前に騎手を振り落とすなど気性の悪い面を見せたオリオールは、スタートで大きく出遅れてしまう。だが、すぐに馬群に追いつくと、途中で先頭へ。スタートで出遅れ、レースの途中で先頭に立つ荒削りの競馬を披露したオリオールだったが、そのまま先頭でゴールインした。この時、アスコット競馬場のロイヤルボックスで観戦していたエリザベス2世は自分の両親の名前がレース名の由来となっているキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスを制した事で喜びを隠せず、レース後の祝勝会には報道関係者達に自らシャンパンを振る舞ったらしい。そしてオリオールの活躍もあってか、1954年のイギリスのリーディングオーナーに輝いた。
引退後は種牡馬になったオリオール。種牡馬としても1960年、1961年のリーディングサイアー(最も賞金を稼いだ種牡馬)に輝いた。子供には凱旋門賞やエクリプスステークスを勝ったセントクレスピンなどがいる。セントクレスピンはアイルランドで種牡馬生活を送った後、日本が輸入。1973年の天皇賞・春を制したタイテエムや1976年の天皇賞・春を制したエリモジョージの父として知られている。また母の父としても、名種牡馬マグニチュードを送り出した。オリオールの子供で種牡馬として輸入されたオーロイからは「稀代のクセ馬」と呼ばれ1967年の天皇賞・秋と有馬記念を連勝したカブトシローが活躍した。
さらにオリオールの娘のヴィエナは1968年の凱旋門賞を制したヴェイグリーノーブルの父としても有名である。ヴェイグリーノーブルの代表産駒は牝馬で1973年、1974年のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスを制したダリアがいる。ダリアは母として6頭の重賞優勝馬、4頭のG1レース優勝馬を送り出している。ダリアの子供は種牡馬や繁殖牝馬として日本に輸入された。その中の1頭であるリヴリアは1993年の皐月賞を制したナリタタイシンの父として有名である。
ハイクレア
1974年の1000ギニーステークス、そしてフランスオークス(ディアヌ賞)を制したハイクレア。このハイクレアもエリザベス2世が馬主であった。ちなみに、前記のダリアが勝った1974年のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスで2着に入ったのはハイクレアであった。
引退後は繁殖牝馬になったハイクレア。日本に種牡馬として輸入されたミルフォードやプリンセスオブウェールズステークスを制したハイトオブファッション(後述)と2頭の重賞馬を送り出したものの、4頭のG1レース優勝馬を送り出したダリアに及ばなかった。しかし、ハイクレアのさらなる活躍は、孫世代になってから。
ハイクレアの2番仔であるバークレアー。2022年のアイビスサマーダッシュを制したビリーバーや2017年のアメリカのブリーダーズカップ・ターフを制し、日本で種牡馬生活を送っているタリスマニックの母方にはバークレアーの血が入っている。
そして、1991年にアルザオとの間に産まれたウインドインハーヘア。ウインドインハーヘアは1995年にアラジとの仔を受胎中でありながらドイツのG1レースであるアラルポカルを制したが、繁殖牝馬として日本の競馬で活躍馬を送り出している。ウインドインハーヘアの3番仔のレディブロンドは僅か3か月半の競走馬生活で6戦5勝と活躍。レディブロンドは2012年の帝王賞を勝ったゴルドブリッツを送り出した。レディブロンドの孫には2017年の日本ダービー、2018年の天皇賞・秋を制したレイデオロがいる。
ウインドインハーヘアの6番仔は、ブラックタイド。ブラックタイドは種牡馬として天皇賞・春などG1レース7勝を挙げたキタサンブラックを送り出している。そして、キタサンブラックの子供には2022年の日本ダービーで2着のイクイノックスがいる。
そして、ウインドインハーヘアの7番仔はディープインパクト。もはや説明不要の名馬であり、競走馬としても種牡馬としても成功を収めている。ハイクレアの血を持つディープインパクトの活躍に対して、エリザベス2世が自身の所有する繁殖牝馬ディプロマを日本のノーザンファームへ送り、ディープインパクトと交配させている。ちなみに生産者はHer Majesty The Queen、つまりエリザベス2世名義である。2018年に産まれた牝馬にはエリザベス2世が所有し、ポートフォリオと名付けられ、2021年7月3日にイギリスで初勝利を挙げた。続く7月16日に行われたレースでは日本でもお馴染みのライアン・ムーア騎手が騎乗し2連勝を達成している。
また、ハイクレアの6番仔のハイブロウの孫からは2009年のイギリスG1レース・コロネーションカップを制したアスクを送り出し、ハイクレアの8番仔ワイリトリックの子には2003年の香港ダービーを制したエレガントファッションを送り出している。ハイクレアの血は、世界中に広がっている。
ハイトオブファッション
ハイクレアの4番仔として生まれたのがハイトオブファッションという牝馬である。ハイトオブファッションも母ハイクレアと同様、エリザベス2世が馬主となった。ハイトオブファッションは競走馬として7戦5勝の好成績を残し、2歳時にはG2レースのフィリーズマイル(現在はG1レースに昇格)など重賞競走を3勝挙げた馬であった。
引退後はドバイの王族であるハムダーン・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム(略称 シェイク・ハムダン)に購入されアメリカに渡り繁殖牝馬として生活を送る。ハイトオブファッションの3番仔であるナシュワンは、1989年の2000ギニーステークスやダービーステークス、それにキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスなど7戦6勝(うちG1レース4勝)という抜群の戦績を収め、引退後は名種牡馬となる。ナシュワンはキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスを制したスウェイン、凱旋門賞を制したバゴらを送り出している。バゴは日本に輸入されると数々の名馬を輩出。2020年、2021年の宝塚記念や2020年の有馬記念を制したクロノジェネシスや2021年の神戸新聞杯を制したステラヴェローチェの父として知られている。
ナシュワンの後は活躍馬を出していなかったハイトオブファッションだったが、1998年に産まれたネイエフは2003年のイギリスのG1レース・プリンスオブウェールズステークスなどG1レース4勝挙げた。
2000年に老衰のため21歳で亡くなったハイトオブファッション。しかし、母のハイクレアと同様、孫以降の世代からも活躍馬を送り出している。例えば、アメリカの大種牡馬であるミスタープロスペクターとの間に産まれた6番仔のバシャヤー。バシャヤーの孫には2007年のブリーダーズカップ・フィリー&メアターフなどアメリカのG1レースを2勝したラフドゥードがいて、さらにそのラフドゥードの孫には2022年のイギリスのG1レース・コロネーションカップを制したフクムがいる。
そして、フクムの全弟には10戦10勝でG1レース6勝を挙げ、「ロンジンワールドベストレースホースランキング」で世界ランキング1位(2022年8月13日現在)のバーイードがいる。
つまり、ディープインパクトとバーイードの母を辿っていくと、ハイクレアという牝馬に辿り着くのである。バーイードは次のレースでもって引退するとの事。引退レースはイギリスのチャンピオンステークスかフランスの凱旋門賞のどちらかを予定しているが、種牡馬入りするはずである。
エリザベス2世が残したハイクレアの血は、日本やヨーロッパの競馬にこれからも大きな影響力を持ち続けるのであろう。
写真:Breeders’ Cup