TVドラマ「水戸黄門」から学んだこと
YouTubeもTitterも動画配信も無い時代。昭和という時代に成長期を過ごした私にとって、唯一の娯楽はテレビだった。子供のころは、「〇曜日はこの番組」という超高視聴率番組がいくつも存在し、それを家族揃って見るのが昭和のお茶の間風景。我が家も月曜の夜8時は、祖母の意向で「水戸黄門」をみんなで見るのが毎週の慣例だった。私も自分の部屋へ行くことなく、いつも祖母と一緒に「水戸黄門」を見ていた。
お馴染みのストーリーは、旅の途中で事件が勃発し、8時半を過ぎると悪事が暴かれ始め、黄門様一行対悪人たちとの大立ち回り。悪人たちがある程度打ちのめされた頃合いに発せられる、「もういいでしょう」からの「鎮まれ!」のセリフ。「この紋所が目に入らぬか!」から、8時45分頃に決まって登場する、クライマックスとも言うべき葵御紋の印籠……。
番組後半は、祖母の口が半開きになったまま、手を合わせて嬉しそうに見入っている。その横で父が「ほら、来た」と馬鹿にしながらも、クライマックスシーンに満足気な表情を見せる。私はこの団らんシーンと、ワンパターンでも「逆境からの完全懲悪ストーリー」が大好きだった。
「人生楽ありゃ苦もあるさ~。涙のあとには虹も出る」
水戸黄門の主題歌は、大人になってからのカラオケで歌う定番曲だ。仕事で行き詰まり、部下たちとよく行った居酒屋経由のカラオケ。嫌な事を呑んだ酒で流し、完全懲悪シーンを思い浮かべながら主題歌を熱唱する。世の中、すべてが上手く行くわけがない。挫折時にも腐らず、機を伺い努力し続ければ、きっとチャンスがやって来る。主題歌を歌いながら自分に言い聞かせ、折れた心を奮い立たせて、明日からまたがんばる…という行動を何回繰り返しただろう。
「泣くのが嫌なら、さあ歩け~」
いつも、心の中のもう一人の自分に語りかけるフレーズである。
トウカイテイオーは「心を熱くする馬」№1
平成を経て令和の現在まで、数え切れない程の名馬が登場し、様々な感動シーンを与えてくれた。強いと思った名馬ベスト10なんて、どんなに時間をもらっても選択できない。
切り口を変えて、感動的なレースを見せてくれた名馬ベスト10ならどうだろう。この切り口なら、私は迷うことなく1頭の名馬を真っ先に挙げることができる。平成の初めの頃、何度も挫折から立ち上がり復活の勝利で、観ていた競馬民の心を熱くさせた名馬、トウカイテイオーだ。
1990年、ダービーに19万人を超える観客が府中に押し寄せ、暮れの有馬記念ではオグリキャップが感動のラストラン。JRAのテレビCM、「好奇心100%の競馬です」シリーズが話題となり、若いカップルの来場も急増した。
トウカイテイオーは1990年暮れの中京でデビューした。血統、容姿、ダービーに向けたローテーション、どれをとってもサラブレッドの理想形とも言える「生まれながらの貴公子」的な存在だった。
彼はデビュー前から、皇帝シンボリルドルフの初年度産駒として注目され「トウカイテイオーは皇帝の御曹司」というイメージが浸透していた。左回りを経験させたいという理由での中京デビューにも、期待に応えて新馬勝ち。トライアル重賞には見向きもせず、シクラメン賞→若駒ステークス→若葉賞と京都、中山のオープン特別を選択して3連勝。万全を期して皐月賞でベールを脱ぐという、まるで帝王学の特別教育を見ているようなローテーションを取ることとなった。
そして、皐月賞、東京優駿を「楽勝」と言っても過言ではない連勝で世代の頂点に立つ。
親子二代の三冠馬は間違いない、来年は、父が成し遂げられなかった海外のG1制覇も夢ではない・・・。トウカイテイオーの未来は無限に広がって行った。
トウカイテイオーが演じた「3年間の連続ドラマ」
しかし、トウカイテイオーの「本当の連続ドラマ」は、東京優駿制覇の3日後からスタートする。
左第3足根骨骨折・全治6か月──。
ここから、試練のような挫折と困難、そして復活が繰り返され、足掛け3年間にわたるこのドラマは波乱に満ち、絶望感に打ちひしがれ、そして歓喜を呼ぶ波乱万丈のストーリーで完結していく。
東京優駿から315日ぶりの実戦となった産經大阪杯を楽勝すると、天皇賞(春)へと、駒を進めた。そこには連覇を目指す長距離王者メジロマックイーンが、万全の態勢で立ちはだかる。「世紀の対決」と言われ、岡部騎手と武豊騎手のコメントの応酬合戦が対決ムードをさらに盛り上げた。
結果はメジロマックイーンの優勝で、無敗だったトウカイテイオーは初の敗北を喫した。更にレース中に剥離骨折を発症し、2度目の休養を余儀なくされ、二風谷育成センターで療養、再起に向けて挫折感を癒す時間を過ごした。
復帰戦は、熱発等のアクシデント発生で調整が狂い、天皇賞(秋)にぶっつけ本番で挑むことになってしまう。1番人気に支持されたものの、前半1000mが57秒5という驚異的なハイペースに巻き込まれたトウカイテイオーは直線で失速した。2度目の骨折を経験してしまったから、二冠制覇した4歳時(現3歳)の末脚を望むのは無理なのだろうか。「骨折さえなかったら……」の「たら」「れば」が囁かれる中、私もトウカイテイオーの姿を見るのは、天皇賞が最後かもしれないと思っていた。
しかし、天皇賞(秋)で敗れたトウカイテイオーは、4週間後のジャパンカップに登場する。イギリス二冠牝馬ユーザーフレンドリーを筆頭に、ジャパンカップ史上最強のメンバー構成となった1991年のジャパンカップ。トウカイテイオーは生涯最低の5番人気となり、今回戦うメンバーと、前走惨敗から28日で出走する状況で、V字回復は見込まれまいというのが多くの評価だった。
しかし、関係者の彼を信じる強い気持ちが、トウカイテイオーを奮起させた。残り200m地点で抜け出したトウカイテイオーは、ナチュラリズムとの激しい叩き合いをクビ差制した。冷静な岡部騎手が右手でガッツポーズしたシーンは、トウカイテイオーへの最大の賛辞だったのだろうか。
トウカイテイオーは完全に復活した。ジャパンカップの勝利で誰もがそう信じ、有馬記念のファン投票で17万票以上を集めた。イギリスの牝馬二冠馬やダービー馬に勝ったトウカイテイオーが暮れのグランプリを制覇するのは必然事象。再び1番人気に推され、絶好調と報じる新聞もあった。
鞍上は主戦を務めた岡部騎手の騎乗停止で、田原騎手にスイッチ。単勝2.4倍の支持を受けたトウカイテイオーは、ファンファーレと共にゲートに入った。
しかし、レースでは良いところなく後方追走ままの11着……。生涯最低の着順で終わることとなる。
追い切り後の体調不良、スタートでのアクシデントなど不運が重なったトウカイテイオー。年が明けるとスタート時に痛めた左中臀筋を治療のため鹿児島県山下牧場での休養に入る。この時私たちは、思いたくなくとも「引退」の二文字を頭に描くようになり、トウカイテイオーがターフに帰ってくることは無いのではと、覚悟もしていた。
嬉しいニュースが届いたのは3月、トウカイテイオーは帰厩して宝塚記念を目指すという。もう一度、トウカイテイオーを競馬場で見られるという喜びと共に、私は迷わずカレンダーの6月13日に赤丸のチェックと「阪神行」の文字を書き込んだ。
しかし、勝利の女神は、更なる試練を彼に与える……。
左前トウ骨剥離骨折。レースに向けての最終調整過程で、三度目の骨折に見舞われてしまう。
天国から地獄、希望からの絶望。しかし、ここでもトウカイテイオーを支える関係者たちは諦めない。困難を何度も克服し続けた彼の「復活する力」に夢を託した。
秋が深まる10月に、トウカイテイオーは栗東へ帰厩する。次走については、松元調教師から「暮れの有馬記念で復帰する」の発表があった。前走から364日ぶりの復帰戦。誰もが菊花賞を制した伸び盛りの4歳馬(現3歳)、ビワハヤヒデの独壇場を想定する中、4番人気で出走したトウカイテイオーは、自らが主演した3年間の連続ドラマを「奇跡」の二文字で締めくくる。
「僕がどうのこうのでは無く、彼自身がここまで立ち直って、彼自身が掴んだ勝利です」
「1年も、本当にきつかったと思うんですけどね。頭が下がり、本当にありがとうと言いたいです」
田原騎手の涙の優勝インタビューが、エンドロールが流れるドラマの最終回をさらに印象的なものにした。
トウカイテイオーが教えてくれたこと
「泣くのが嫌なら、さあ歩け~」
水戸黄門の主題歌は、トウカイテイオーが自ら歩んだ道と重複する。
私たちは、生きている中で様々な困難にぶつかり、挫折を味わうことがある。その場に立ち止まり、直面した現実に嘆くのが大半の人々の行動である。しかし大切なことは、その後どう立ち直っていくべきかということ。それをトウカイテイオーと彼を支えた関係者たちが私たちに教えてくれた。
挫折から立ち上がろうとする時の執念や強い気持ちがトウカイテイオーにはあった。しかし、ひとりでは成し遂げるものでは無く、彼に関わりあった仲間たちとの縁を大切に紡ぎながら、一丸となって復活への道を歩んだことが最短の近道となった。関係者のトウカイテイオーの未来を信じる強い気持ちが彼に伝わり、不屈の精神を奮い立たせたはずだ。
有馬記念の直線、トウカイテイオーがビワハヤヒデに並び、そして抜き去って行くシーンは、「チーム・トウカイテイオー」の集大成。彼の蹄跡は、「栄光」「挫折」「奇跡」のスパイラルとも言えるだろう。
トウカイテイオーの奇跡の有馬記念から、30年。私も含めて、トウカイテイオーに涙し、熱くなっていた連中も、人生の4コーナーを回って最後の直線で勝負をかける世代に入っている。今はネットを介して当時の感動がパソコンやスマホで蘇らせることができる時代。トウカイテイオーの蹄跡を振り返り、「トウカイテイオーの不屈の精神」をもう一度心に注入して、「最後の直線での一鞭」としたい。
Photo by I.Natsume
製品名 | トウカイテイオー伝説 日本競馬の常識を覆した不屈の帝王 |
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著者名 | 著:小川 隆行 著・その他:ウマフリ |
発売日 | 2023年06月21日 |
価格 | 定価:1,375円(本体1,250円) |
ページ数 | 192ページ |
シリーズ | 星海社新書 |
内容紹介
その道は奇跡へと続いていた!「不屈の帝王」
父シンボリルドルフの初年度産駒として生まれ、新馬戦デビュー以降、追ったところなしに手応えよく抜け出して4連勝。そのまま無敗で皐月賞、日本ダービーを制覇。他にも初の国際G1となったジャパンカップで当時史上最強と言われた外国招待馬をまとめて蹴散らして勝利。ラストランとなった1993年の有馬記念では前年の有馬記念より1年(364日)ぶりの出走で奇跡の優勝を果たした。通算成績12戦9勝。成績だけを見ると父の七冠には及ばずも、3度の骨折を経験しながら復活を遂げた姿は、見るものに大きな感動を与えた。美しい流星と静かな瞳を持つ、この不屈の名馬が駆けぬけた栄光と挫折のドラマを振り返る。