晩秋の府中、東京競馬場で行われる国際招待競走ジャパンカップ。レース発走時刻を迎える頃になると、西日が競馬場を照らし、トップホースたちの共演、そして勝者の栄光をより一層輝かしく黄金色に演出する。まさにそのシーンは競馬ファンにとってはもちろん、勝利した陣営・馬自身にとっても「絶景」と言っても過言ではないだろう。
本題の2011年ジャパンカップから遡ること1年、好天の下で行われた2010年のジャパンカップにおいて、その絶景が約束されたかのように支持されたのがブエナビスタ(馬名の由来:絶景)だった。
幻となった"絶景"
この時点で阪神JF、桜花賞、オークス、ヴィクトリアマイル、天皇賞・秋とGIを5度制してきたブエナビスタだが、ジャパンカップで勝利するために必要な実績が十分揃っていた。距離に関してはオークス勝利の裏付けがあり、牡馬との力関係は前走の天皇賞・秋で2馬身差の完勝劇を演じたことで、強さを証明済みであった。
反面、ブエナビスタは取りこぼしも多かった。秋華賞の3着(2着入線降着)、エリザベス女王杯3着、有馬記念2着、ドバイシーマクラシック2着、宝塚記念2着と安定感はあるものの勝ち切れないレースも多かった。
しかし東京コースは3度のGI勝利で負けなしの得意舞台であることから、6度目のGI勝利=ジャパンカップ勝利を信じるものは多く、単勝オッズは1.9倍まで下げていた。単勝1万円を購入していた筆者もその内の一人だった。
この日、筆者は東京競馬場のウィナーズサークル付近で観戦していたが、例年通り西日に照らされ、辺りは黄金色に輝いていた。絶好のコンディションの中、ブエナビスタは短期免許で来日していたスミヨン騎手を背にその期待に応え、2着入線のローズキングダム以下を遥か2馬身後方に突き放し、楽々と1着入線。鞭を観客に向けて投げ入れるスミヨン騎手のファンサービスも混じえつつ、大歓声に包まれながらウイニングランを終えたブエナビスタとスミヨン騎手は近馬道へと消えていった。
その後、着順掲示板に目をやると、審議の青ランプが点灯していることに気づいた。ターフビジョンではぎこちない表情を浮かべる陣営も映っていた。現地では解説がなく、テレビのように何度もリプレイが流れるわけでもないので、状況を正確に把握出来ていた観戦客はいなかったように思うが、時間の経過とともに不安が高まっていくのは感じ取れた。「まさかブエナビスタが降着じゃないか」と。
数十分後、ブエナビスタが背負っていた馬番16は2着の欄に点灯した。ブエナビスタがジャパンカップを制した絶景が幻となった瞬間だった。
ブエナビスタとスミヨン騎手が地下馬道から戻ってくることはなかった。
遠のく"絶景"
ジャパンカップで辛酸を嘗めたブエナビスタには、さらなる試練が待っていた。
休養を挟み、前年と同じくドバイの地で復帰したブエナビスタだったが、出走したドバイWCの馬場であるオールウェザーが合わず、8着に大敗(1、2着は日本馬ヴィクトワールピサ、トランセンド)。
日本に戻り、岩田康誠騎手との新コンビでヴィクトリアマイルの連覇を狙うも3冠牝馬アパパネの2着に敗れた。続けて前年2着の雪辱を果たすべく宝塚記念に出走するも、アーネストリーを差し切れずまたも2着惜敗、ついに1度も勝ち星をあげることなく2011年の上半期を終えてしまった。
このままで終わるわけにはいかないブエナビスタは前年同様に宝塚記念2着から直行で天皇賞・秋連覇を狙ったが、最後の直線で前が開かず、得意の東京競馬場で4着という屈辱を味わう。
結局、前年の天皇賞・秋の勝利から丸1年、悲劇のジャパンカップ降着以降一度も勝利を挙げることが出来ないまま、再びジャパンカップを迎えることとなった。
一年越しで夢見た"絶景"
2011年11月27日、ジャパンカップが行われる東京競馬場の上空はまさに秋晴れの競馬日和と呼ぶにふさわしい天気だった。
この時代のジャパンカップは、海外の芝中距離の強豪馬が香港のレースに照準を合わせるケースやシーズンオフに入ってしまうケースが増えていたことから、なかなか一線級の馬が来日してくれない状況が続いていたが、この年は違った。
凱旋門賞を2.24.04のレコードタイムで5馬身差(0.8秒差)圧勝したドイツの3歳牝馬デインドリーム(シュタルケ騎手)が来日し、ジャパンカップを本気で勝ちに来ていたのだ。
凱旋門賞の好タイム実績から日本の高速決着にも対応可能と見られていたこと、その凱旋門賞では前年のエリザベス女王杯を4馬身差圧勝していたスノーフェアリー(3着)を子ども扱いしていたこと、さらに3歳牝馬の軽い斤量といった要素が評価され、ブエナビスタを抑えてデインドリームが1番人気に支持された。
ブエナビスタ(岩田康誠騎手)は2番人気で、生涯譲ったことがなかった1番人気の座を初めて譲ることになった。ちなみにブエナビスタがデビューから記録していた1番人気最多連続記録は19回で、この記録は未だに破られていない。
当時の雰囲気としては、ブエナビスタはまだやれるという意見もあれば、近走の不振から衰えたという意見も出てきていたように思う。単勝オッズ(3.4倍)が示す通りこれまでのブエナビスタを基準にすると半信半疑に思われていたことは否めなかった。
人気順では以下、前走天皇賞・秋で上がり最速で3着に入っていたペルーサ(横山典弘騎手)、ドバイWCを制して凱旋帰国のヴィクトワールピサ(Mデムーロ騎手)、前年の天皇賞・秋を制していたダービー馬エイシンフラッシュ(池添謙一騎手)、札幌記念から前走天皇賞・秋と連勝していたトーセンジョーダン(Cウィリアムズ騎手)、ダービー・菊花賞とオルフェーヴルの2着に敗れていたが3歳世代屈指の実力馬ウインバリアシオン(安藤勝己騎手)が続き、GI馬が10頭、他の6頭も重賞ウィナーという超豪華なメンバーが揃った。
ちなみに筆者は前年のジャパンカップと同様、ウィナーズサークル付近でブエナビスタの単勝1万円と同馬を軸にした連系馬券少々を手元にレースが始まるのを待ち続けていた。ブエナビスタが衰えているとは思ってなかったが、勝ち運がもうないのではないか、内枠(1枠2番)でまた包まれるのではないか、自分(当時馬券が絶不調)が買うと負けるのではないか、と言った不安要素を感じながらも、力関係と適性を考慮すれば抜けている、と予想していた記憶がある。
ゲートが開くと、ややブエナビスタは内から出して行ったかのように見えたが、逃げ・先行馬が外から押し寄せて来ると、インの6番手をキープし、しっかりと折り合いながら1コーナー、2コーナーへと進んで行った。
他の有力馬の位置取りは、トーセンジョーダンが2番手、エイシンフラッシュ、ペルーサはブエナビスタを見るような位置で8~10番手付近、1番人気のデインドリームが後方集団の13番手あたり、さらに後ろにウインバリアシオン、そして最後方にヴィクトワールピサがついた。
逃げた米国のミッションアプルーヴドの1000m通過タイムは61.8を計時し、隊列はそのままにレースは3コーナーまでは進んだ。
そして3コーナーに入ったところで1頭捲るように後方から一気に上がっていったのが名手安藤勝己騎手が騎乗するウインバリアシオン。大欅のあたりで2番手まで押し上げると、そのまま先頭のミッションアプルーヴドと共に4コーナーから最後の直線へ。
早々とウインバリアシオンが抜け出しを図ろうとするところに外から襲いかかるのが天皇賞・秋からの連勝を狙うトーセンジョーダン。
インで道中じっと我慢していたブエナビスタは先頭集団が入れ替わるその後ろで進路を探していた。
筆者の脳裏には天皇賞・秋で進路をなくしたシーンがよぎったが、岩田康誠騎手の判断は早かった。トーセンジョーダンが先頭に立つタイミングでは既にブエナビスタを外に移動させてトーセンジョーダンの真後ろにつけていた。そしてトーセンジョーダンが1頭抜け出したときにはブエナビスタの進路が開けており、そこからはもうやることは一つだけだった。岩田康誠騎手の激しいアクションに応えるようにブエナビスタのフォームが沈み、トーセンジョーダンを一完歩ずつ追い詰める。ブエナビスタの外から伸びて来る馬はおらず、しぶとく粘るトーセンジョーダンをクビ差交わしたところでゴールを迎えた。
右手を大きく上げてから、脇に拳を握りしめて渾身のガッツポーズをする岩田康誠騎手、そして2着のCウィリアムズ騎手が何かを語りかけながら右手を差し伸べると、それに応えるように岩田康誠騎手も左手を差し伸べてハイタッチ。激しい叩き合いを労う感動的なシーンがターフビジョンに映された。
そのまま2コーナーを過ぎた付近で各馬を騎手が止めるシーン流れる中、ブエナビスタの頭を撫でる他馬騎乗の騎手が一瞬映し出された。前年ブエナビスタと共に悔しい思いをしたサラリンクス鞍上のスミヨン騎手だった。一緒に悲願を達成することが出来なかったとは言え、かつての相棒の勝利を称えるそのシーンは素晴らしいものだった。
気づけば西日が傾き、黄金色に照らされたターフをカーペットに、ブエナビスタと岩田康誠騎手は10万人を超えるファンが待つスタンド側へ進んだ。その時、着順掲示板に審議の青ランプが灯っていないことを確認したのは、きっと筆者だけではなかったはずだ。
迎えた松田博資厩舎の山口厩務員に引かれ、ウィナーズサークルに凱旋するブエナビスタ。その上に跨った岩田康誠騎手と1年前に幻のウイニングランを直に体験した山口厩務員の目には込み上げてくるものがあった。
そこには、一年越しで夢見た絶景が広がっていた。
前年は地下馬道から戻ってくることがなかったものの、翌年は地下馬道から陣営と共に戻ってきたブエナビスタ。
余談だが、その陣営の中で1口馬主として所有していた草野仁氏が一際存在感を放って歩いていたのも筆者の脳裏には焼き付いている。
「見よ勇者は帰る」が流れる中、滞りなく表彰式が行われた。大人数の関係者に囲まれて口撮り撮影が行われたが、ブエナビスタは動じることなく威風堂々としていた。
その日のゲストだったSDN48(そのうちの1人がグリーンチャンネルでもお馴染みの津田麻莉奈さん)から花束を贈られ、表彰式を終えた岩田康誠騎手はウィナーズサークルで勝利ジョッキーインタビューに応じた。
ヴィクトリアマイルでブエナビスタとコンビを組んでから、2着、2着、4着と悔しい結果が続いていた岩田康誠騎手にとっても、ジャパンカップにかける思いは相当なものであったのだろう。
「ブエナビスタが一番強いんだという気持ちで最後まで追った」
「悔しい思いが全部晴れた、やっと勝たせることが出来た」
「本当に最強馬だな、と思う。ブエナビスタはまだ終わっていない」
言葉の端々から、歓喜と安堵、そしてブエナビスタに対する自信と信頼が伝わる岩田康誠騎手のセリフが東京競馬場にこだまして、ファン・陣営・そしてブエナビスタ自身が1年越しで夢にまで見た絶景=2011年ジャパンカップが幕を下ろした。
今でも輝く黄金色の"絶景"
ジャパンカップの後、最終レースが終わる頃にはすっかり暗くなる晩秋の東京競馬場。筆者の帰路は南門(2023年閉鎖)から住宅街をくぐり抜け、是政駅から西武多摩川線で武蔵境駅へと向かうルートだが、GIの後でも普段と変わらず閑散としている。特にジャパンカップデーの終わりは東京競馬場の1年の終わりを意味し、それも相まって周囲の暗さ、閑散、そして晩秋の肌寒さが哀愁に満ちる。
しかし、この哀愁に趣きを感じてしまうのは日本人の性なのだろうか。特にジャパンカップは毎年豪華メンバーが揃い、名勝負を繰り広げるので余計に終わった後のギャップが著しく、その哀愁を増長させる。
ジャパンカップはそんな哀愁も副産物としながら、師走の中山競馬へと襷を渡し、秋の終わり・冬の始まりを毎年告げている。
結局、次走の有馬記念(7着)を最後に引退し、オルフェーヴルを始めとした次の世代へとその主役を引き継いだ。
ブエナビスタが引退した翌年以降のジャパンカップも、3冠牝馬vs3冠馬の鍔迫り合い、キタサン祭り、天才少女の脅威のレコード、3冠馬3頭の頂上決戦等、毎年のように名勝負を生み続けている。
しかし、どんなに歴史を積み重ね、2011年のジャパンカップが遠い昔の話になったとしても、ブエナビスタが魅せてくれた黄金色の絶景が色褪せることはない。
あの時の黄金色の絶景は今でも、そして未来永劫私たちの記憶に刻まれ続けるのだ。