ヤング・テイエムオペラオー - 後の絶対王者が過ごした雌伏の時

1999年3月28日、日曜日の昼下がり。牡馬クラシックの第一戦・皐月賞を目指す上で『東上最終便』とも呼ばれる4歳限定の重賞・毎日杯が、阪神競馬場において行われた。

毎日杯はクラシックのトライアルレースという位置付けではなく好走馬に優先出走権は与えられないものの、重賞のため、1,2着には獲得賞金が加算される。獲得賞金の順位が皐月賞出走のボーダーライン上の陣営にとっては、まさに最後のチャンスとなっている。

1番人気は前年の朝日杯3歳ステークスの3着馬で同年のアーリントンカップの2着馬である関東馬のバイオマスター。2番人気は前年の東京スポーツ杯3歳ステークスの2着馬のビッグバイキング。だが、見渡したところ抜けた存在はいない。ここに顔を揃えた14頭、どの馬にもチャンスがあるレースであり、言い換えれば皐月賞への最後の切符がどの馬の鼻先にもぶら下がっている状況と言えた。

ここに、一頭の栗毛馬がいた。

名前はテイエムオペラオー。

父オペラハウス、母ワンスウェド、母の父ブラッシンググルームという欧州型の重厚な血統を持つ馬である。半兄のチャンネルフォーをはじめとしてきょうだいは短距離志向が強かったため、距離適性を補強するためにあえて長距離実績のあるオペラハウスを配合相手に選んだという。

テイエムオペラオーはデビュー戦として京都競馬場の芝の新馬戦を2着したものの、軽い骨折で休養する。復帰後、未勝利戦はダートの2戦で卒業し、芝に戻した500万条件のゆきやなぎ賞を4番手から直線抜け出して快勝。ここ毎日杯が重賞初出走であったが、あわよくば…と、皐月賞の出走権を狙える素材であった。

毎日杯がスタートした。テイエムオペラオーは好発から最内枠を利して前々のポジションにつけた。向う正面、1番人気のバイオマスターが早めにハナに立つ。先頭から最後方まで6馬身ほどの凝縮した馬群が3コーナーに向かう。テイエムオペラオーは5番手の内で4コーナーを回る。直線に向いた。先頭はバイオマスター。テイエムオペラオーは最内から巧く外に出した。馬場の真ん中を力強く伸びてくる。バイオマスターには抵抗する力は残っていない。テイエムオペラオーの独走になった。結局、2着に伸びてきたタガノブライアンに4馬身の差をつけて、栗毛の弾丸が颯爽とゴールに飛び込んだ。

タイムは2分4秒1と芝2000mにしてはやや平凡だが、タイム差以上の力差を見せつけての快勝だった。見事1着賞金を獲得したテイエムオペラオーであったが、皐月賞に進むにあたって別の問題が浮上していた。実は陣営は、デビュー後の骨折の際に皐月賞には間に合わないと判断し、2回目のクラシック登録を行っていなかったのだ。かつてオグリキャップが中央入りの際に問題となったクラシック登録の壁であったが、オグリキャップの後に整えられた追加登録制度のおかげで陣営が追加登録料200万円を支払って、晴れて皐月賞へと向かうことになった。

1999年4月18日の日曜日、テイエムオペラオーの姿は、皐月賞の舞台となる中山競馬場にあった。

天候は雨。馬場コンディションは良発表であるが、雨を含んで荒れた馬場が波乱の予感を醸し出していた。

1番人気に推されたのは弥生賞2着のアドマイヤベガだった。父はサンデーサイレンス、母は2冠牝馬のベガで鞍上は武豊騎手。クラシックで1番人気に推されるべく産まれてきたような馬である。2番人気は弥生賞の勝ち馬ナリタトップロード。父サッカーボーイの血を色濃く伝える栗毛の馬体に眩い流星が美しい駿馬であった。

テイエムオペラオーは5番人気の伏兵馬扱いであったがそれも仕方のないことで、毎日杯を勝って皐月賞馬となった例は1977年のハードバージ以来なかったのだ。

フルゲートの18頭立てだったがワンダーファングが除外となり17頭で争われる。そぼ降る雨の中、ゲートが開いた。

ほぼ揃ったスタート。最低人気のアドマイヤラックが逃げる展開になった。ナリタトップロードは8番手の内を追走。アドマイヤベガはこれを見るような位置取り。さらに2馬身後ろの外目にテイエムオペラオー、テンから行きっぷりが今一つだったが、鞍上の和田竜二騎手は落ち着いていた。4コーナー、アドマイヤベガの武騎手が外へと出して、さらに外へと弾かれたテイエムオペラオーにスイッチが入る。直線、先頭に立ったオースミブライト。その3頭分外を回ったナリタトップロードと渡辺薫彦騎手が迫る。アドマイヤベガは──伸びない。一部の歓声が悲鳴に変わる。

さらにさらに大外をぶん回して1頭、弾かれたように伸びてくる。

栗毛だ!

雨に湿った芝を蹴立てて、外からテイエムオペラオーがやってきていた。1頭次元の違う強烈な脚でゴールへと飛び込む。2着オースミブライト、3着はナリタトップロード。アドマイヤベガは後方6着に敗れていた。テイエムオペラオーは晴れて皐月賞馬に。追加登録料を払って参戦した馬にとって、これが初めてのクラシック制覇となった。

1999年6月6日、日曜日。東京競馬場では競馬の祭典・日本ダービーが開催された。テイエムオペラオーが差し切った雨の皐月賞の後、競馬ファンは彼に全幅の信頼は置いていなかった。アドマイヤベガは弥生賞後の体調不安が凡走の原因であったと考えられること、全出走馬の中で一番強い競馬をしたのはナリタトップロードだと思われたことから、日本ダービーでも1強ではなく3強の争いになるものと考えてられていた。

1番人気はナリタトップロード、皐月賞後に馬体を立て直したアドマイヤベガが2番人気、3番人気が皐月賞馬テイエムオペラオーという人気からもそれは読み取れる。

この3強の戦いは、そっくりそのまま鞍上の3騎手の戦いと捉えているファンも多かった。前年に念願のダービー制覇を成し遂げた武豊騎手と相対する若手の渡辺騎手・和田騎手の勢いとの勝負とみられていた。特に和田騎手はまだあまりにも若く、前年には競馬学校で同期だった福永祐一騎手が有力馬キングヘイローで苦戦をしていたことも記憶に新しい。大舞台で緊張すると普段通りの騎乗は難しいのではないだろうか…競馬ファンのシビアな見方が、この単勝人気に影響を与えていたことだろう。

ゲートが開いて、日本ダービーのスタートが切られた。皐月賞を除外になったワンダーファングが今度こそとばかりに逃げる。テイエムオペラオーが中団の外目、ナリタトップロードはその後ろに位置。アドマイヤベガはさらに後ろ、後方から数えて3頭目で瞬発力を活かすために折り合いに専念していた。3・4コーナー中間の大欅の向こう側、後方がどっと押し寄せてくる。4コーナーを回って直線。外を回してテイエムオペラオーが加速していく。その外からナリタトップロード。アドマイヤベガはさらにその外へ出した。

やはりというべきか、3強が激突する競馬になった。

和田騎手とテイエムオペラオーが馬場の真ん中を通って先頭に立つ。そのすぐ外を渡辺騎手とナリタトップロード。ナリタトップロードの脚色がいい。テイエムオペラオーのリードがじりじりと狭まる。和田騎手の渾身の右鞭。しかし、その頃のテイエムオペラオーには東京競馬場の直線は長いように見えた。ナリタトップロードがテイエムオペラオーを交わして先頭に立つ。勝負あったというまさにその時、大外を回って白い帽子、武豊騎手とアドマイヤベガが乾坤一擲の末脚を爆発させた。内の2頭を一気に交わし去り、1着でゴール。「武、2連勝!」実況の絶叫が響いた。

ナリタトップロードが2着、テイエムオペラオーは3着。武豊騎手の2連覇で幕を閉じたダービーであったが、やはりここは既にダービー優勝を経験していた武騎手の手腕が光ったレースだったと言えるだろう。レースを読む目、位置取り、仕掛けのタイミング…若手二人のジョッキーと比べて一枚も二枚も上手だったと言って良い。和田騎手と渡辺騎手は悔しさを噛みしめながら、クラシックの残る一冠に向けてリベンジを誓ったのではないだろうか。そう、リベンジの舞台は5か月後、秋の京都競馬場である。

1999年11月7日、日曜日。京都競馬場ではクラシック三冠最終戦、菊花賞が行われる。3強はそれぞれ順調に夏を越し、前哨戦に臨んでいた。ダービーの1・2着馬であるアドマイヤベガとナリタトップロードは揃って菊花賞トライアルの京都新聞杯に出走。1着アドマイヤベガ、2着ナリタトップロードとダービーと同じ着順になっていた。一方でテイエムオペラオーは古馬相手の京都大賞典を選択。

一つ年上のダービー馬であるスペシャルウィークらの胸を借りた。結果は勝馬ツルマルツヨシの3着と、前哨戦としてはまずまずの仕上がり。

今ひとたびの3強対決──。

1番人気はアドマイヤベガ、テイエムオペラオーは2番人気、3番人気がナリタトップロードとなる。なかでも、未だ1冠も獲っていないナリタトップロード陣営、特に渡辺騎手の意気込みは格別だった。

アドマイヤベガやテイエムオペラオーの鋭い末脚とヨーイドンになっても勝ち目はない。彼らに勝つためには、彼らに先行して直線早めにスパートし、父サッカーボーイの伝える豊富なスタミナを味方にアドバンテージをもってゴールに飛び込むしかない。渡辺騎手は腹を括っていた。

3分間の戦いが始まる。ゲートが開いて、15頭がスタートを切った。タヤスタモツとメジロロンザンが行く。最内枠を利してナリタトップロードが4番手を進んだ。中団を並んでアドマイヤベガとテイエムオペラオーは8、9番手。その後方に2頭を見るようにサイレンススズカの弟ラスカルスズカ。スローペースで流れる。3コーナー、徐々に前を行くタヤスタモツのリードがなくなってくる。人気馬たちの鞍上の手も動き始める。ナリタトップロードが前に並びかけていく。テイエムオペラオーは外のアドマイヤベガを気にしてだろう、まだ好位の後ろにいる。

4コーナーを回って直線。馬場の真ん中に出して先行馬に襲いかかるナリタトップロードが一気に前を飲み込んで先頭に立つ。好位からラスカルスズカが伸びてくる。アドマイヤベガは伸びない。ナリタトップロードが先頭。ラスカルスズカが2番手。好位からワンテンポ遅れてテイエムオペラオーが脚を伸ばす。ラスカルスズカとテイエムオペラオーの激しい2着争いを尻目に、一歩先に抜け出したナリタトップロードがゴールへと飛び込んだ。渡辺騎手の右手が高々と上がる。テイエムオペラオーはラスカルスズカとの激しい鍔迫り合いを制して2着。アドマイヤベガは6着に終わった。

菊花賞はスローペースで上がりの速いレースとなったため、一歩先にスパートを開始したナリタトップロードに勝利の女神が微笑んだ。テイエムオペラオーにとって、ナリタトップロードとの位置取りの差が如実に表れたものと言えるだろう。仮想敵がナリタトップロードではなかったからかもしれないが、陣営にとっては悔やんでも悔やみきれない位置取りの差だったことだろう。

菊花賞で2着に敗れたテイエムオペラオーの次走は1999年12月4日の中山競馬場メインレース・ステイヤーズステークスとなった。詰まったローテーションとなったが、陣営は皐月賞で勝利したのを最後に勝ち運に見放されているテイエムオペラオーに勝ち癖をつけることを優先したのだろう。

ここは相手にも恵まれ、テイエムオペラオーの単勝は1.1倍の圧倒的な一番人気だった。競馬ファンも勝つかどうかよりも、どのように圧勝するかを見届けたかったに違いない。しかしながら、レースでは直線で先頭に立ったテイエムオペラオーであったが、さらにその内で脚を溜めていた菊花賞7着のペインテドブラックがテイエムオペラオーに並びかけてこれを交わし、そのままゴール板を通過していた。

場内は唖然。GⅠならまだしも、GⅢでも敗れるとは──。すっかり勝ち味の遅いキャラクターが板についてしまったテイエムオペラオー。陣営に対して、馬主の竹園正継氏は主戦の和田騎手の交代を申し入れたという。しかし、岩元市三調教師はこれに応じなかった。転厩をも覚悟して突っぱねた岩元調教師に対して、竹園オーナーはこれを了としたという。そんな師弟愛で、テイエムオペラオー陣営は次走へと臨むこととなった。

そして迎えた、1999年12月26日、日曜日。1年の総決算・有馬記念の日である。

1番人気はこの年の宝塚記念を制しているグラスワンダー。2番人気は前年ダービー馬のスペシャルウィークと、年長馬の横綱級が顔を揃えた。他にも前年の天皇賞・春の覇者メジロブライト、京都大賞典の勝ち馬ツルマルツヨシ、前年の牝馬二冠馬のファレノプシスに古豪ステイゴールドなど、古馬のタレントが揃う。

テイエムオペラオーは5番人気も、人気の面では上位2頭に大きく水を開けられていた。

レースはゴーイングスズカが逃げる超スローペース。菊花賞馬のナリタトップロードが2番手につけ、テイエムオペラオーはそれを追う。

グラスワンダー的場均騎手は後方の外、スペシャルウィーク武豊騎手はさらにその後ろ、じっくりと最後方から。4コーナーで大外をグラスワンダーが一気に前との距離を詰めると、その後ろからスペシャルウィークがこれを追って続く。直線を向き、ナリタトップロードが先頭となるが、すぐにその外からツルマルツヨシがこれを交わして抜け出す。その外からグラスワンダー的場騎手が一気に前の数頭を呑み込む。呑まれるまいとテイエムオペラオー和田騎手の左鞭が飛ぶ。

先頭グラスワンダー、2番手にツルマルツヨシ。一気に前との差を詰めてきたテイエムオペラオーがツルマルツヨシと馬体を合わせて並びかける。しかし、内で鎬を削る3頭を尻目に、大外からスペシャルウィークの末脚が炸裂。ゴール前、外の2頭が首の上げ下げ。グラスワンダーか、スペシャルウィークか。的場か、武か──。

騎乗していたジョッキーも勝ち負け判断つかない写真判定は、わずか4cmの差でグラスワンダーに軍配が上がった。テイエムオペラオーはグラスワンダーからハナ+クビ差の3着。ぐんぐん伸びた最後の脚は、十分に見せ場を感じさせるものだった。

10戦3勝、2着3回、3着3回…。

テイエムオペラオーの1999年は、数字だけを見てしまうと勝ち味に遅い、シルバー&ブロンズコレクターのように錯覚してしまう。しかし、あの有馬記念で年長馬2頭に伍して喰らいついていったテイエムオペラオーの末脚は、たとえその時は勝てなくとも将来の逆転を予想させるものだった。

スペシャルウィークはターフを去ったが、恐らくは後輩の健闘に満足してターフを後にしたのではないか。グラスワンダーは、次なるグランプリ4連覇に向けて、最も恐れなければいけない新たなライバルの出現を見ていたのではないか。

そう思わせるほどの有馬記念であった。

それを裏付けるかのように、テイエムオペラオーはこの年のJRA賞『最優秀4歳牡馬』に選出されている。クラシック三冠は分け合ったものの、どの馬が一番強かったかというポイントにおいて、投票者たちの心を掴んだテイエムオペラオー。陣営の意気、騎手の思い、ファンの期待が、翌年のテイエムオペラオーを強く支えていくのが目に見えるようだった。

そして、2000年。快進撃が始まった──。

写真:かず

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