[連載・片目のサラブレッド福ちゃんのPERFECT DAYS]受胎告知(シーズン1-21)

綺麗な黒い〇(マル)が見えました。「これは受精卵だな」と獣医師さんが言い、13日目の受胎が確認できました。綺麗な黒丸が見えたとき、モノクロにもかかわらず、僕の目の前に太陽が急に現れたようにまぶしく感じました。胸を撫でおろし、ガッツポーズしたい気持ちでしたが、そこは冷静を装って「ありがとうございます」と獣医師さんにお礼を言います。獣医師さんが絶妙なタイミングでゴーサインを出してくれるからこそ、受胎の確率も上がるのですから、感謝の気持ちで一杯です。生産はひとりでは何もできないのです。

ちなみに、今回受胎した配合相手はダノンレジェンド。これまでの反省を生かし、ダートムーアにとってインクロスが限りなく少なくなる配合にしてみました。ノーザンダンサーの5×5で5代血統表にはインクロスが1つ存在しますが、実はその奥まで辿ってもダノンレジェンドに流れているノーザンダンサーの血はこの1本のみ。それ以外は完全な異系同士の配合になるのです。

ここまでインクロスを避けた配合で受胎しなかったら、もう僕にできることはありません。医学的な処置をしてもらうか、非科学的な療法を試してみるか、それとも最後は神に祈るか。そのような経緯もあって、今回の妊娠鑑定は正念場かつ最後の砦でした。受精卵が輝いて見えたのは、ただ単に受胎したのが嬉しかっただけではなく、不受胎も流産も奇形も疾病も、全てインクロスによって確率が上がるという僕の仮説が間違っていなかったのだと分かって、明るい未来が見えたからでしょう。インクロスを避けることで、生産における不幸なできごとのほとんどを遠ざけることができるのです。

専門的な話を付け加えておくと、なるべくインクロスを避ける配合をしようとすると、相手の種牡馬はかなり限られてきます。繁殖牝馬の血統によりけりですが、人気の種牡馬との間にはかなりの確率で5代前までにクロスが存在してしまうはず。その時代に走った牡馬と牝馬を配合しようとすると、似たような血統構成であることが多く、インクロスが生じてしまうのは必然です。たとえ5代前まではクロスがなくても、もう少し遡ってみると案外とクロスが多かったりするはずです。サンデーサイレンスやノーザンテーストはもちろん、その奥にいるヘイルトゥリーズンやノーザンダンサーの血は日本に溢れており、それらがなるべくクロスしないようにこだわると人気のある種牡馬は血統的に配合できず、マイナー種牡馬を配合することになるはずです。

ダノンレジェンドはそう言った意味でも、父系はマイナーなヒムヤー系であり、現代の主流血統の繁殖牝馬たちとはクロスする血がありませんし、母系のストームキャットやその父の父ノーザンダンサーにさえ気をつければ、基本的にはインクロスの少ない配合になります。あくまでも推測ですが、だからこそダノンレジェンドの受胎率は良いはずですし、奇形や疾病も少なく、そして何よりも健康に走るのではないでしょうか。

ダートムーアの受胎を目の前で確認し、ひと仕事終わった気持ちになってリビングで淹れてもらったコーヒーを飲んでいると、慈さんがやってきました。「13時にビッグレッドファームの種付けが入りましたので、今すぐ浦河に向けて出発しましょう!」と話はトントン拍子で進んでいきます。ひと息つく間もありません。片道2時間、ダートムーアの23をNO,9ホーストレーニングメソドまで連れて行くのです。北海道まできて乗りかかった舟ですから、僕も一緒にバタバタと準備をして旅立つことにしました。他のスタッフの女の子たちも召集されて、慌ただしく馬運車等の準備が始まりました。

ダートムーアの23は、母と1年前に種付けに行ったとき以来、馬運車に乗ったことがありません。このときは1回の種付けでダートムーアは(福ちゃんを)受胎しましたので、ダートムーアの23が馬運車に乗った経験はたったの1度のみ。そこから1年間開いていますので、久しぶりに、いや初めて馬運車に乗るようなものです。

今回のように1歳馬をコンサイナーの元に連れていくとき、またはセリに連れていくとき、馬運車に乗せるのに苦労することが多々あるそうです。馬運車に乗るまでに時間がかかるのはまだマシで、断固として乗ろうとしなかったり、乗ったとしても馬運車の中で暴れて怪我をしたりすることも。だから時間的に余裕がある場合は、前もって馬運車に乗せて、近くを10分ほどドライブして回ってきたりして練習するといいます。ただ今回は予行演習もなく、ぶっつけ本番。果たしてダートムーアの23は馬運車に乗ってくれるかどうか、それさえ分からない状態でのスタートになるのです。

準備を終えて僕が外に出たときには、ダートムーアの23はすでに馬運車の前まで連れられてきていて、いざこれから乗るというタイミングでした。僕は動画を撮影しながらも、無事に乗ってくれと祈るような気持ちで見守ります。総勢5人がかり。ダートムーアの23の手綱を引く慈さんは、馬運車の手前で立ち止まるダートムーアの23を無理に引っ張ったりせず、自らの意志で入ろうとするのを待ちます。

あとで聞くと、無理矢理に乗せると馬運車の中で暴れることにつながってしまうからだそうです。乗らせることを急いだばかりに、発車してから馬運車の中で興奮してしまっては本末転倒です。馬が安全だと理解し、納得して乗らないといけません。

立往生すること5分ぐらい。ダートムーアの23は意外にもスッと乗り込みました。この先、自分がどこに連れていかれるのか分からない中で、狭くて暗い空間に入っていくのは勇気が要ったはずです。碧雲牧場の皆を信用しているからこそ、乗ってくれたのかもしれません。僕は胸を撫でおろしつつ、助手席に乗り込みました。浦河のNO,9ホーストレーニングメソドに向けて出発です。行きは馬を後ろに乗せているので、時速30kmぐらいの遅さでゆっくりと走ります。急ブレーキを踏むと馬に負担をかけるので、前の車との車間距離や黄色信号には細心の注意を払って運転しなければいけません。慎重に安全に運転して、送り届けなければならないのです。

道中は実にスムーズでした。ダートムーアの23も久しぶりの馬運車だったにもかかわらず、大人しく乗ってくれています。出発する前に鎮静剤を飲ませたのが利いているのかもしれません。慈さんと「もしかして脱出した?(笑)」と冗談まじりに話すほど、後ろからは物音ひとつ聞こえてきません。ダートムーアの23は落ち着いて、手の掛からない馬だと聞いていましたが、最後まで偉い馬だと感心しました。と同時に、お友だち2頭からいきなり引き離されて、知らない場所に連れて行かれるのですから、サラブレッドの宿命とはいえ、可哀そうというか申し訳ないという気持ちです。いつまでも牧場でのんびり過ごしてもらいたい気持ちは山々ですが、ここから先は競走馬としての馬生を歩まなければいけません。

(次回へ続く→)

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