Q:ビワハイジの6番仔といえば?
競馬民が集うカルトクイズ番組であれば、即答されてしまうだろうか。
A:ブエナビスタ。
馬名の由来は、スペイン語の絶景。彼女の競走生活は馬名由来のごとくとは必ずしも言えなかった。デビュー戦は菊花賞当日の新馬戦。のちに“伝説の新馬戦”といわれるレースでアンライバルド、リーチザクラウンに次ぐ3着。初陣で勝利の景色を目にできなかった。
しかしその後は、絶対届かないと思われた位置から一気に追い込んだオークスまで、破竹の5連勝。
その末脚を繰り出す姿はまさに絶景だった。だがブエナビスタの快進撃は続かなかった。牝馬三冠をかけた秋華賞では内枠で苦しみ勝負所で外側へ斜行してしまい、3着降着。次走・エリザベス女王杯はクィーンスプマンテの大駆けを捕らえられず、またしてもかみ合わない。
有馬記念も新たなパートナー横山典弘騎手が積極策をとるも厳しい流れに巻き込まれ、最後にドリームジャーニーに捕まった。
彼女が再び絶景を披露したのは4歳になってからだった。
ヴィクトリアマイルを勝ち、秋はスミヨン騎手を背に天皇賞(秋)を勝った。牡馬相手に内枠から馬群に突っ込み、揉まれてもひるむこともなく抜け出した。その力強さは若いころの危うさがすっかり消え失せ、完全無欠の女王そのものだった。いよいよ完成されたという周囲の評価だったが、その次走のジャパンカップ、最後の直線で内側に斜行。ローズキングダムの進路を妨げてしまい、痛恨の1位入線2着降着となった。またも危うさを露呈してしまった。
それから1年。
その間ブエナビスタは競馬で勝てない日々を送る。連覇を目指した天皇賞(秋)では4着。国内でもっとも悪い着順を記録。さすがに5歳秋でもうそろそろという声が影響したか、第31回ジャパンカップではデビュー以来ずっと座り続けた1番人気の座を凱旋門賞馬・独国の3歳牝馬・デインドリームに譲った。それでもブエナビスタの心にはプライドと闘志が宿っていた。
5歳春からコンビを組んだ岩田康誠騎手を背に、4歳天皇賞(秋)と同じ1枠2番からスタートした。
正面直線から岩田康誠騎手の手綱には適度な遊びがあった。
馬の気に任せつつ、内側をキープしようという意図だろう。ブエナビスタもリラックスしつつも下がることなく、先行集団の背後というポジションを馬自ら取りに行ったようだった。米国のミッションアプルーヴドが逃げ、トーセンジョーダンがそれを追いかける。
先行集団はバラけたが、中団はひと塊。ブエナビスタの手綱はスタート直後と変わらず遊びがある状態のまま。闘志を内に秘めつつ先行集団のインコースに忍び寄る。前半1000m1分1秒8。向正面の前半で無理なく位置を押し上げたのはこれ以上ない好判断だった。
しびれを切らせた安藤勝己騎手とウインバリアシオンが3角で動き、ペースが一気にあがる。
レースは残り800mから持久力戦へと変貌する。前半で位置をとっていたブエナビスタはこのペースアップでも慌てることなく、まるで気配を消しているかのよう。
前にいるウインバリアシオンやトーセンジョーダン、トレイルブレイザーらが激しく手を動かすなか、ブエナビスタは直線を向いても手綱に遊びがある状態。岩田康誠騎手が冷静にこれらライバルの動きをうかがい、スペースを探す余裕があった。後ろからきたトゥザグローリーが伸びきれないと見るや、そこにできたトーセンジョーダンとの間にブエナビスタを誘い、一気に追い出す。静から動へ、瞬時に加速したブエナビスタは前を行くトーセンジョーダンに並びかける。
絶対に捕らえられない位置からレッドディザイアを差し切ったオークスのような末脚。
内包する危うさゆえに勝ち星に恵まれなかったかつての自分を捨て去り、絶対女王として謳歌していた自身の絶頂、そのとき目にした絶景を取り戻すかのように走った。
ブエナビスタは、これまでの競走生活で傷つきながらもプライドだけは捨てていなかった。
このままでは終われない。
彼女はきっと心の底からそう叫んだにちがいない。
トーセンジョーダンを捕らえた直後、ゴール板の先にあったもの。
彼女がずっと見たかった絶景が広がっていた。
写真:Horse Memorys