闘って、強くなる - タニノギムレット

2002年5月。いよいよ週末に迫ったダービーを前に、僕の頭の中ではずっと一つの疑問が渦巻いていた。

「タニノギムレットは勝てるのだろうか?」

僕の中で、タニノギムレットが世代でもっとも強いことは明白だった。例え展開が向かなくとも、例え大きな不利を受けようとも、最後は確実に追い込んでくる。その末脚が繰り出される時、周りの馬は止まって見えた。

皐月賞、3着

NHKマイルC、3着

1番人気に支持されながら、しかし2戦とも勝ちはその手から零れ落ちた。

“敗れてなお強し”

“一番強い競馬をした”

そんな声は、タニノギムレットを評価しているようで、不名誉な肩書きでもあった。勝った馬が強いのか。強い馬が勝つのか。そんな思考の迷宮に迷い込む。G1を勝つには、あと一つ、何かが足りなかった。

皐月賞はもっとも「速い」馬が勝ち、菊花賞はもっとも「強い」馬が勝つ。そして、ダービーはもっとも「運のいい」馬が勝つ。古くから広く知られる格言だ。

もしかしたら、勝てるはずだった2戦を取りこぼしたタニノギムレットは、運の悪い馬なのかもしれない、そう思った。足りないピースが「運」だとしたら?

タニノギムレットがダービーで戦うのは17頭のライバルだけではない。勝ち切れない、勝ち味に遅い。そんな自身の運命もまた立ち塞がっていたのだった。

■ダービー馬のつくり方

クラシックを目指す馬、特にダービーを目指す馬ともなると、陣営は当然、ダービー仕様の育成、先々を見据えた競走プランを立てる。

特に近年は馬への負担軽減、外厩設備の充実なども相まって、極力無駄なレースを使わない。ステップレースやトライアルを重視しない。ダービーだけを目指すならば、皐月賞すらスキップすることもある。

昨今のダービー馬を見ても、コントレイルやクロワデュノールは5戦目、ドウデュースやダノンデサイルが6戦目、シャフリヤールに至っては4戦目がダービーだった。

使い出しの距離も大半は1800メートル以上。ダービーはスピード一辺倒ではこなせない。展開や折り合い面を考えれば、短い距離を使うことのメリットを見出しにくいのだろう。

しかし、時代を遡ればダービーまで数を使った馬も、短距離でデビューした馬もいる。

タヤスツヨシやサニーブライアンはダービーが10戦目だったし、ミホノブルボンやサクラチヨノオーは1000メートルでデビューしている。

ちなみに、三冠馬ナリタブライアンは1200メートルでデビューし、ダービーが11戦目だった。現代では考えられない使い方だ。この30余年でレースへの考え方、サラブレッドの育成方法も大きく変わった。

そんな中にあって、タニノギムレットは異質な存在といえるかもしれない。なんと、デビュー戦は「1000メートルのダート戦」だったのである。

例えば、足元が弱いからダートでデビューする馬はいる。タイキシャトルやエルコンドルパサーが有名だ。

しかし、調べてみてもタニノギムレットの足元に不安があったという話は見つからなかった。ただ、レース後に尻尾の骨折が見つかり、休養を余儀なくはされた。元々弱かったのか、レースでのトラブルだったのか…その辺りの因果関係は私にはわからない。

ただ、タニノギムレットは、若駒時代から馬体の良さが目立っており、いかにも「パワーがありそう」と評判だった。こういう馬体の馬は、得てしてダートや短距離向きの場合が多い。そこから判断して、ダート1000メートルが選ばれたのかもしれない。

推測の域は出ないが、いずれにしろ「ダービー向きではない」と考えられていた可能性はある。

もちろん、ダート戦でデビューしたダービー馬はいる。しかし、ギムレット以前となると1981年のカツトップエースが最後であり、「ダービー馬づくり」のメソッドのようなものが確立した近代の競馬においては、イレギュラーな船出だった。

しかし、怪我の功名とも言うべきか。骨折休養を経て、タニノギムレットは一層逞しくなって帰ってきた。仕切り直し、芝1600メートルの未勝利戦で復帰し、ここを7馬身差で圧勝。一躍、クラシック戦線に名乗りをあげた。

■その身の内に流れるモノ

タニノギムレットを考える上で、ブライアンズタイム産駒であること、そしてカントリー牧場の生産馬であることもまた、重要なファクターだ。

そこに共通するのは「走って、強くなる」こと。

サンデーサイレンス、トニービンとともに「新御三家種牡馬」と呼ばれ、1990年代後半から2000年代にかけて、多くの活躍馬を輩出してきたブライアンズタイム。仕上がりの早さや、中距離適性が高いことも武器だったが、最も大きな特徴は何といっても「使いべりしないタフさ」だったと思う。産駒は総じて、レースを使いながら調子をどんどん上げていく。

例えばマヤノトップガン。1995年1月8日にデビューした後、暮れの有馬記念を勝つまで休まず走って13戦。月に一戦以上のペースで走った計算になるが大きく崩れることもなく、結局12→13戦目でG1を連勝した。

二冠馬サニーブライアンも同様だ。約8か月の短いキャリアだったが10戦を走り抜き、9→10戦目で皐月賞、ダービーと逃げ切った。

先述した三冠馬ナリタブライアンにしても、現2歳8月にデビューしてダービーが11戦目。そして、あのダービーこそもっとも強い走りをした、と評する人もいる。

みんな使いながら、走りながら、強くなっていった。

タニノギムレットも同産駒の特徴を色濃く受け継いでいた。年明け初戦のシンザン記念からアーリントンC、スプリングS、皐月賞、NHKマイルCと約4か月で5連戦。使ってもデキが落ちず、気力が満ちていたからこそのローテーションだった。

しかし同時に「使いすぎ」という批判の声は多かったように思う。皐月賞、NHKマイルC、ダービーの3連戦を中2週の過酷なローテーションで走ることになるからだ。

管理する松田国英調教師には「1600mと2400mという異なる距離のGIで好走すれば、引退後に種牡馬としての価値が高まる」という理念があった。俗にいう「松国ローテ」だ。マイルを走るスピードと2400メートルを走り切るタフネス。血の汎用性を考えれば理屈は理解できる。

前年にはクロフネが挑んだように、厩舎の期待馬だからこその「松国ローテ」だった。

そして、カントリー牧場。

「鍛え抜いて強くする」を信念に掲げ、1960~1970年代に一時代を築いた名門牧場。育成中の故障や事故も辞さないハードトレーニングには賛否もあったが、これを耐え抜いた競走馬たちは強靭な肉体、レースを勝ち抜く精神力を手に入れた。

創業から10年間で皐月賞馬マーチス、ダービー馬タニノハローモア、二冠馬タニノムーティエ、その弟で天皇賞や有馬記念を勝ったタニノチカラなどを輩出。生産規模を考えれば、破格な実績だ。

カントリー牧場のハードさは、「タニノハローモアがダービーを勝ったのは18戦目」、「タニノムーティエはダービーが12勝目」、というこの2頭の戦績を見れば明らかだろう。

逆に言えば、これだけのスパルタをこなせたからこそ、ダービーの頂に届いたともいえる。むろん、共に今なお破られていない記録だ。

一朝一夕ではない。タニノギムレットの根底には、こうしたカントリー牧場が連綿と繋いできた哲学が流れている。故に、タニノギムレットは走らねばならない。勝たねばならない。

■8512頭分の18頭

1999年に産まれたサラブレッドは内国産、持ち込み、外国産を含めて8512頭。その中で熾烈な競走を勝ち抜き、ダービーの舞台までこぎつけた18頭はまさに選ばれた優駿だ。

運について考える。

サラブレッドとして生産されてもデビューできない馬はいる。体質が弱かった。能力喪失級の怪我をした。不慮のアクシデントに見舞われた。生き物である以上、大量生産の規格品のようにはいかない。

無事にデビューする。それだけで、競走馬にとって最大最悪の不運はクリアしている。その意味では、ダービーに集った18頭はすべて「運のいい」側の馬なのだと思った。

レースの勝ち負けに運は関係ない。「運が良かったから勝った」馬などいないし、そんな言葉は競馬に心血を注ぐすべてのホースマンに対して失礼だろう。

皐月賞ではノーリーズンが、NHKマイルCではテレグノシスが、その瞬間は少なくともタニノギムレットを上回る力を発揮して勝った。それ以上でもそれ以下でもない。

タニノギムレットが勝つには、ダービーにすべてを置いてくるしかないのだ。

──ダービー当日は、薄曇りだった。

二度の敗戦、過酷なローテーションへの懸念が囁かれていたが、結局タニノギムレットは1番人気に支持された。これは、その強さが世代一と考えられていることの証明だったし「今度こそ勝って欲しい」というファンの願いでもあった。

ゲートが開くと、大方の予想通りにサンヴァレーが先手を取った。競りかける馬もおらず、すんなりと隊列が決まる。皐月賞から一転、ゆったりとしたペースになった。

先行集団を見る形で、関東の名門・藤沢和厩舎が送りこんだ刺客2頭、シンボリクリスエスとマチカネアカツキ。2頭とも皐月賞には未出走で、タニノギムレットとは未対決。不気味な存在だ。

タニノギムレットは皐月賞馬ノーリーズンと並ぶような形で、馬群の後方を気持ちよさそうに追走している。

レースが動く大欅。サンヴァレーが力尽きると、一気に馬群が押し寄せた。

ノーリーズンは内に進路を取り、逆にタニノギムレットは大外に持ち出した。NHKマイルCでは馬群の中で不利を受けた。思い切った位置取りは、その苦い経験があったからか。

残り200メートルで伏兵ゴールドアリュールが抜け出しを図る。内からマチカネアカツキが猛烈に差し込み、呼応するようにシンボリクリスエスも追い出し始めた。その後ろでノーリーズンは伸びあぐねている。

──大外をタニノギムレットが駆けあがってきた。異次元の末脚で一頭、また一頭と抜き去っていく。邪魔するものは誰もいなかった。

シンボリクリスエスを並ぶ間もなく交わすと、タニノギムレットは先頭でゴール板を突き抜けた。

レースが終わるのを待っていたかのように、ふいに雨が降り始めた。

完璧で、美しい勝利だった。

■宴は終わり、そして始まる

競走馬タニノギムレットの物語は、このダービーで唐突に終わりを迎える。

屈腱炎発症。

秋シーズンに向けて調教を積んでいる最中の出来事だった。復帰を目指すか、引退か。関係各位が協議した末に、引退することが発表された。

タニノギムレットは、僕が競馬を始めて最初に出会ったダービー馬だった。その強烈な末脚、破壊的な走りは、初心の競馬ファンを虜にするには度数が強すぎた。陶酔、覚めやらず。

まだまだ飲み足りない、酔い足りないと思った。

4年後、タニノギムレットは一頭の牝馬をターフへ送り出す。その牝馬は、「ギムレットよりも強くなって欲しい」という願いを込めて、よりアルコール度数の高いお酒から「ウオッカ」と名付けられた。

そして願いは叶う。

64年ぶりに牝馬としてダービーを勝った。6歳まで走り、7つのG1を積み上げた。ウオッカはタフで、強かった。

たとえグラスが空になっても、それを満たしてくれる存在はきっと現れる。競馬という饗宴は終わらない。

写真:RINOT、かず

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