
サンデーサイレンスとはどういう馬か?と聞かれて、あなたはどんな言葉で彼を評するだろうか。どこを取って話すにせよ、我々の想像をはるかに超える異次元さを持ち合わせていたということだけは間違いない。
1994年にデビューしたサンデーサイレンスの初年度産駒は、GⅠ初制覇をフジキセキが朝日杯3歳Sであっさりと成し遂げてしまう。最初の年度から2歳GⅠ馬を送り出すということだけでも十分凄いのだが、彼が恐ろしいのはここから。翌年、国内の5つのクラシック競走のうち、3つを勝利。しかも多くの種牡馬が勝つのを夢見る日本ダービーまで制覇してしまったのだ。
そんな活躍をすれば、2年目にして早くもリーディングサイアーの座を獲得するのは当然とも言える。そしてサンデーサイレンスは、そこから13年連続トップの座を守り続けるという、これまでの日本競馬では考えられないような大記録を達成。人々は脱帽せざるを得なかった。だからこそ、彼の話をする時はどんなシーンを切り取っても、その功績がありありと伝わるのである。
一方、彼がリーディングサイアーの座につく前年、トップに君臨していた種牡馬はトニービン。彼もエアグルーヴやウイニングチケットを筆頭に多くの名馬を輩出した種牡馬であったが、1位の座に輝いたのは、まだサンデーサイレンスの仔が2歳世代のみだった1994年の1度きり。以後、2度とトップに返り咲くことはなかった。
彼にしてみれば異国の地にやってきてリーディングサイアーの座に就き、さあここから数々の名牝を集めて──と思った矢先にサンデーサイレンスが登場したのだから、「やっていられないぜ!」という気分になったのではないだろうか。
そして時は流れ1998年、トニービンとダンスチャーマーの間に産まれた牡馬が、ジャングルポケットだった。

密林から飛び出した勇者
ジャングルポケットを所有したのは齊藤四方司氏で、預託先は栗東の渡辺栄師。この2人のタッグは、どこかで見覚えがあった。
そう、あのサンデーサイレンスの初年度産駒にして最初の怪物、フジキセキと全く同じ陣容である。とはいえ、ジャングルポケット自身が最初からフジキセキと重ね合わせられていたわけではない。
デビュー戦もこの年の朝日杯3歳Sでワンツーフィニッシュを飾ることとなるタガノテイオーとメジロベイリーが人気の中心で、ジャングルポケット自身は8頭立ての5番人気。決してデビュー前から話題を集めていたスターホースではなかった。
だが、そんな低評価を吹き飛ばすようにデビュー戦を快勝すると、続く札幌3歳Sでも、のちに牝馬二冠を制するテイエムオーシャンを当時の3歳レコードタイムで破って2連勝。デビューから僅か1ヶ月足らずでクラシック戦線の主役候補に躍り出た。
幼いながらに外から物凄い勢いで突っ込んでくる豪脚は、確かに将来への強さを感じさせるもの。続くラジオたんぱ杯3歳S(現:ホープフルS)でも当然、主役になると思われていた。
だが、ここでジャングルポケットは完全無欠の最強馬に出会うこととなる。兄にダービー馬を持つ栗毛の光速馬、アグネスタキオンがジャングルポケットを異次元なまでの末脚で突き放し、2.1/2馬身の差をつけてゴール。父サンデーサイレンスの万能さと強さをその身に宿したかのようなアグネスタキオンとの差は、着差以上に大きく見えた。
年明けの共同通信杯を楽勝し、リベンジへの機運が高まったのも束の間、本番の皐月賞で再度、その壁に跳ね返された。だが、陣営はダービーの舞台となる府中でこそ、ジャングルポケットは逆襲のチャンスがあると踏んでいたのである。

曇天切り裂きし豪脚
類まれな瞬発力と前向きな気性を持つ産駒を多く送り出すサンデーサイレンス産駒に比べて、トニービン産駒は「長くいい脚を確実に使う」というものがよく話題に挙げられていた。
反面、コーナーで加速がつけられず、直線の短い競馬場や小回りの競馬場が苦手という面もあったが、裏を返せばそれは「大回りのコーナーが広い競馬場が得意」ということになる。事実、「トニービン産駒が府中に出てきたら狙え」という格言もあったくらいだ。
なかでもトニービンの血を特に色濃く受け継いでいたと噂されていたジャングルポケットは、共同通信杯で見せていた圧倒的な強さもあって、「無敵のアグネスタキオンに勝つとしたらダービーしかない」という評価も多かった。
たしかに瞬間的に速い上りを使い、ここまで4戦して阪神、中山と小回りコースの経験しかないアグネスタキオンより、東京コースで勝利を飾っているうえ、息の長い末脚を存分に発揮できるジャングルポケットの方が有利という見方も納得はいく。3度目の戦いとなるダービーで、真の決着がつくと思われていた。
だが、皐月賞から僅か1週間後、アグネスタキオンは左前浅屈腱炎が判明し休養へ。競馬の祭典という最高の舞台でリベンジすることは叶わぬ願いとなってしまう。一転、ライバル不在のダービーとなるかと思われたが、それでもこの年はクラシックへ外国産馬の出走が認められた門戸開放の元年。その門出を祝うかのように出走してきたNHKマイルC馬のクロフネに、青葉賞を制したルゼルといった2頭の外国産馬はもちろん、皐月賞では先着を許したダンツフレームもいる。アグネスタキオンが出走しないからといって、簡単にダービーという栄光を掴めると判断できるような相手ではなかった。
それでも陣営は、ジャングルポケットを信じていた。共同通信杯で見せた末脚を発揮できれば、ジャングルポケットが負けることはない。と。

ゲートが開き、テイエムサウスポーが逃げ、キタサンチャンネルがそれに続く。1000m通過が58.4秒とかなりのハイペースとなる中、ジャングルポケットは中団からゆっくりとレースを進めていた。
角田晃一騎手は共同通信杯で、スタートから坂の上りまでほとんど手綱を動かさずにレースを進め、坂の上りで追い出しに入るときも、明らかに周りの様子を見ながら追い出すタイミングを計っていた。それは過去、フジキセキの朝日杯3歳S、弥生賞で見せていた騎乗と全く一緒。競馬を教えながら、相棒の末脚の力量を図っていたのだろう。
そしてその経験は、この舞台で花開く。
3コーナーでの、ジャングルポケットの手応えは抜群。直線、2着になる馬の横につけたいと考えていた角田騎手は、周囲の馬の状況を冷静に見渡す。クロフネは既に武豊騎手がやや激し目に手綱をしごいており、過去に対戦した時より、明らかに余裕がない。一方、自身の外を回るダンツフレームは、未だ河内洋騎手が手綱を持ったままだった。
──クロフネより、ダンツフレームの方につけたほうがよさそうだな。
手応えよく4コーナーのカーブに差し掛かるダンツフレームの内に合わせると、角田騎手は相棒にGOサインの合図を送った。
瞬間、ジャングルポケットは馬群を切り裂いて伸び始める。皐月賞の時には鳴りを潜めていたあの豪脚が、2か月ぶりの府中で炸裂せんとばかりにクロフネを突き放し、内で抜け出していたダンシングカラーを一瞬のうちに交わし去ると、残り200mの地点で先頭に立った。

その外、ただ一頭迫ってくるはダンツフレーム。皐月賞2着の実績は、やはり伊達ではない。彼自身も後続16頭を完全に突き放し、猛然とジャングルポケットに襲い掛かる。鞍上の河内騎手も連覇を懸け、物凄い気迫で先頭の黒鹿毛を追っていた。
しかしジャングルポケットは並ばせない。それどころか残り100mでさらに加速し、ダンツフレームを突き放す。
「府中でこそ活きる」とされていた末脚は豪脚へと姿を変え、新緑の府中を切り裂いてゴール坂を駆け抜ける。フジキセキの無念から6年。緑と黄色の勝負服が、10,000頭超の世代の頂点に立った瞬間だった。

府中の鬼
そしてジャングルポケットはこの後、札幌記念、菊花賞こそ後塵を拝したものの、再び府中に戻ってきたジャパンCで王者テイエムオペラオーを差し切り、史上初の3歳にして日本ダービーとジャパンCの同年制覇を成し遂げた。2026年現在でも、日本ダービーとジャパンCを同一年に制覇したのは、ジャングルポケットただ1頭である。
その走りは、ダービーを彷彿とさせる息の長い末脚。府中で3戦3勝の、まさに「府中の鬼」であった。

競馬にたらればは禁物だが、もしもあのままアグネスタキオンとダービーで対決していたらどうなっていたのであろうか。先行押し切りでアグネスタキオンが勝ったか、あるいは豪脚でジャングルポケットが差し切っていたのか…そう考えてしまうほどに、あの日の日本ダービーには凄味があった。
写真:Horse Memorys、かず、 I.Natsume
