2015年12月27日。
有馬記念という祭典の終わり。
気がつけば競馬場一面の夜空。台地を滑る寒風はさらに強烈で、主役の登場を待つ人々は唇を震わせ、足踏みし続けた。やがて芝コースに赤、白袖赤一本輪の勝負をまとった3人があらわれる。横山典弘騎手、岩田康誠騎手、内田博幸騎手。有馬記念後夜祭の"主役"と苦楽を共にしてきた男たちだ。
やがて観客を焦らすようにひと息置いて主役が登場した。
暗闇に映える真っ白な馬体がターフを照らす明かりに輝く。楽しげに、いや再び競馬に向かうと勘違いしたのか、後夜祭の主役ゴールドシップはステップを踏みながら姿を見せた。横につく今浪厩務員と北村浩平調教助手は涙を浮かべ微笑んでいた。4度目の有馬記念を最後にターフを去るゴールドシップの引退式はこうしてはじまった。
最初に有馬記念に出走したのは2012年。ゴールドシップは3歳だった。皐月賞でまさかのワープ戦法を繰り出し、菊花賞を快勝したゴールドシップはファン投票6位で1番人気だった。ゲートでルーラーシップが飛び上がり大きく出遅れ、場内を騒然とさせた。ゴールドシップはそのどさくさに紛れるようにそこそこ出遅れた。後方から先に動いたルーラーシップをやり過ごし、残り800mで馬群の大外に飛び出したゴールドシップは唸るように馬群の大外を駆けあがる。そして最後の4コーナーで一旦急に手応えが悪くなったものの、最後の直線で他馬を圧倒する末脚を披露、内田博幸騎手は大きなガッツポーズでその強さをアピールした。ゴールドシップは有馬記念で年間GⅠ3勝目をあげた。
2度目の出走になる4歳有馬記念はファン投票3位。血統がそっくりな三冠馬オルフェーヴルの引退レースだった。主役の座を譲ったゴールドシップは芦毛に際立つ黒いメンコ、ブリンカーを着用して挑んだ。京都大賞典5着、ジャパンC15着とリズムを崩した要因を精神面にあると陣営は分析した。さらにライアン・ムーア騎手にスイッチ。打てる手はすべて打ち、有馬記念連覇、春秋グランプリ制覇にかけた。スタート後、いつものように進んでいかないゴールドシップにムーア騎手は激しいアクションで奮起を促す。1周目4コーナー手前までは先行集団にいたものの、前年同様に4コーナーで速度を落とし、昨年よりは少し前だが中団より後ろに収まる。オルフェーヴルに負けまいと先んじて仕掛けるも4コーナーで外を駆け抜ける同馬に脚色で見劣る。それでも最後の直線では再び加速、ウインバリアシオンに先着を許すも3着でゴールした。
我々の感覚だと年を重ねると若いころにあった角がとれ、滾るような気持ちは薄らいでいくものだが、ゴールドシップは正反対だった。岩田康誠騎手を新たなパートナーに迎えた阪神大賞典では突如として前半から積極的になり、折り合いを欠く場面までみせた。有馬記念でムーア騎手に序盤追い立てられたことを恨みにでも思ったのだろうか。そして天皇賞(春)。ゴールドシップはなにかに怒り、ゲート内で唸り声をあげながら立ち上がった。
年齢を重ねるにつれて自らの心を露わにするゴールドシップは大敗後の宝塚記念を勝つなど、父ステイゴールド譲りのつかみどころのなさを表現するようになった。これがファン心理を刺激したのか、5歳有馬記念はファン投票1位に選出。宝塚記念から装着した黒いシャドーロールを加わえ、前年よりさらに矯正馬具を増やしての出走だった。鞍上は宝塚記念と凱旋門賞を戦った横山典弘騎手から岩田康誠騎手にスイッチ。行きっぷりよく先行集団の背後に取りつきながらも最初の4コーナーでまたも位置を下げる。気を取り直して残り1000mから思い切ってスパート、先行集団に再び取りつくも最後の4コーナーでは隣を走るラキシスよりも脚色が悪い。だが過去2年同様に直線に入ると再び末脚全開、大外から伸びるもジェンティルドンナ、トゥザワールドには及ばず3着だった。
6歳になったゴールドシップは自己主張を緩めない。天皇賞(春)では前年の唸り声を思い出しのか目隠しされるまでゲートに入らず、観衆の気を揉ませながらも年下のダービー馬キズナを相手にせず勝利した。語り草となった宝塚記念。GⅠ連勝、同一レース三連覇を期待されるもゲートが開く瞬間に立ち上がり、大きく出遅れて一瞬で大量の馬券を紙屑にし、期待を裏切ってしまう。
そして引退式を控えた2015年有馬記念。
宝塚記念で期待を裏切ってしまったゴールドシップだが、それでもファン投票1位、1番人気に支持された。騎乗するのは3歳で有馬記念を勝った内田博幸騎手。ジャパンCで矯正馬具をすべて外したゴールドシップはあの時と同じく素顔のままでの出走だった。宝塚記念後は発走調教再審査などもあり、リズムを崩し、本来の走りを見せられずにいたが、内田博幸騎手はあえて3コーナー手前から馬群の大外を一気にまくりに行った。3年前の有馬記念を思い出せという祈りに近い思いを込めた大まくりだった。過去3回同じく4コーナーで脚色衰えたゴールドシップは最後の直線で再加速することなく、8着でゴール板を通過した。
引退式では騎乗した騎手たちの口から突然引っ掛かった阪神大賞典、やらかしてしまった宝塚記念などが語られ、愛さずにいられなかった個性派への惜別の念がにじむ。やがて最後のプログラムである記念撮影を迎えたときだった。今浪厩務員と北村浩平調教助手が、大勢の関係者が並ぶ中央へゴールドシップを誘う。
ゴールドシップはそれを拒否した。
行けば引退式が終わることを知っていたのか。それとも単純にただ行きたくなかったのか。天皇賞(春)を思い出したのか。後ずさりして進もうとせず、大きないななきをあげた。
夜空に響き渡るゴールドシップの「さようなら」だった。
別れの挨拶をした馬を私ははじめてみた。
写真:s.taka