ライバルたちを超えて行け! - エアグルーヴの華麗な戦績を辿る
■その名はエアグルーヴ

1995年7月8日、晴天の札幌競馬場にて、1頭の牝馬がデビューを迎えた。その名はエアグルーヴ。

父は凱旋門賞の勝ち馬で、日本に輸入された初年度の産駒から日本ダービー馬のウイニングチケットと牝馬春二冠のベガを出して勢いに乗るトニービン。母は83年のオークスを制しているダイナカールという良血だ。社台ファーム早来(現ノーザンファーム)の生産馬で、母の父であるノーザンテーストの購入から連綿と続く社台グループの馬づくりにおいて、ある種結晶のような1頭であった。

この馬に並々ならぬ期待を寄せていたのは社台グループだけではない。栗東トレーニングセンターにその人ありと知られた名伯楽、伊藤雄二調教師。前述のウイニングチケットとともにダービーを制した同師が新たに見つけ出したダイヤモンドの原石が、エアグルーヴだった。

1番人気で臨んだデビュー戦は鞍上に天才・武豊騎手を配して万全の布陣を敷いたが、外国産馬マイネルランサムにクビ差届かず、惜しくも2着に敗れた。続いて7月30日の折り返しの新馬戦、再び1番人気に支持されて登場したエアグルーヴは、期待通りの能力を発揮し2着のダイワテキサス(のちにオールカマー勝ちなど重賞5勝)に5馬身の差をつけて圧勝した。

季節が進んで本場開催に戻った10月29日、エアグルーヴの姿は東京競馬場にあった。3歳(旧齢)のオープン、いちょうS(現サウジアラビアロイヤルC)。ここもまた1番人気に推されて臨んだのだが、東京競馬場の最後の直線の途中で武豊騎手が立ち上がるほどの不利を受けてしまう。しかし彼女は体勢を立て直し、前を行く馬たちを差し切って堂々の2勝目を挙げた。武豊騎手も伊藤雄師も、この逆境を跳ね返した彼女の勝負根性に「この馬はただの牝馬ではない」との思いを持ったかもしれない。エアグルーヴの華麗な戦歴は、未だ始まったばかりだった。

■ハイジ、来る

オープン勝ちを果たしたエアグルーヴの次の目標は、暮れのGⅠ、阪神3歳牝馬S(現阪神ジュベナイルフィリーズ)だった。

しかしこのレースを前にして、エアグルーヴ陣営にひとつの問題が立ち上がっていた。主戦の武豊騎手がエアグルーヴでなくイブキパーシヴに騎乗を決めたことで、馬上の背中がぽっかりと空いたのだ。これによりエアグルーヴの鞍上には、ワールドスーパージョッキーズシリーズ(現ワールドオールスタージョッキーズ)で来日していたM.キネーン騎手が抜擢される。この乗り替わりがファンの心理に影響を与えたのか、レースでは武豊騎手が騎乗するイブキパーシヴが1番人気となり、エアグルーヴは3番人気となった。

しかし、レースの勝者は、イブキパーシヴでもエアグルーヴでもなく、ある種の因縁からの影響を感じさせるものがその頂につく。

ビワハイジ──この世代の新馬戦最初の勝ち馬であり、また札幌3歳S(現2歳S)で、武豊騎手を背に世代の重賞勝ち馬1番乗りも果たしていた青鹿毛の少女。阪神3歳牝馬Sでは、こちらも武豊騎手からの乗り替わりで、鞍上に角田晃一騎手を迎えての一戦である。当然、無傷の3連勝で世代最初のGⅠタイトルを狙っていた。

レースではビワハイジが逃げ、エアグルーヴのキネーン騎手はその直後に相棒をエスコート。3番手集団の一角にイブキパーシヴがつけると、それにならうように各馬もひとかたまり。もしかすると、このレースに出走している騎手のほとんどが、イブキパーシヴと武豊騎手に意識を向けていたのかもしれない。ともあれ、結果として単騎で行けたビワハイジは、1000m通過が61秒1という幻惑的なスローペースを作りだした。

そして4コーナーを回って直線。楽逃げのビワハイジの軽やかなステップは止まらず、そのまま改修前の短い仁川の直線を伸びてゆく。一方、満を持して追い出したイブキパーシヴだが、先頭を捉えるだけの脚には見えない。ビワハイジの直後で脚を溜めていたエアグルーヴも末脚を繰り出して急襲したものの、時すでに遅し。最後はビワハイジが1/2馬身差、後続の追撃を凌いでゴール板へと飛び込んだ。

わずかに届かず2着に敗れたエアグルーヴだったが、裏を返せばその内容は、自身の能力を十分に示す内容でもあった。ビワハイジという新たなライバルを迎え、翌春のクラシックへ向かうことになった。そのリベンジのチャンスはクラシックより一足早くやってきた。翌年3月の桜花賞トライアル、チューリップ賞である。

本番の桜花賞と同じ阪神芝1600m。鞍上には短期免許で来日中のO.ペリエ騎手を起用した。暮れの結果からライバルのビワハイジが1番人気に支持されていたが、エアグルーヴもさほど差のない2番人気に推されていたように、多くのファンは、まだまだこの二頭の勝負付けはついていないと見ていた。

レースではカネトシシェーバーが逃げ、ビワハイジがその外に位置。エアグルーヴは中団から、前を行くビワハイジを見る形で進んだ。直線に入り、ビワハイジが先頭に立つも、ペリエ騎手のゴーサインでぐんぐん加速してゆくエアグルーヴがこれを交わす。ゴール前ではライバルに5馬身という決定的な差をつけて勝ち切った。レース前の評価からは一転、本番を前にして、早くも勝負付けが済んだともいえるほどの圧勝に、エアグルーヴは桜花賞の最有力候補として、一気に期待が高まっていった。

ところが、桜花賞に向けての調整中だったエアグルーヴが熱発を発症。大事を取って陣営は桜花賞の回避を決めた。さらにビワハイジも出走直前の歯替わりや発情に苦しみ、ファイトガリバーの15着に敗れていた。

熱発休養明け、ぶっつけでエアグルーヴはオークスに臨む。ライバルのビワハイジは翌週の日本ダービーに回ったため不在のなか、ファンはエアグルーヴを1番人気に支持した。レースは最後の直線で早めに抜け出すと、桜花賞馬ファイトガリバーらの追い込みを封じて念願のGⅠ初勝利。母ダイナカールとのオークス母娘制覇の偉業を達成したのだった。

■そして、ファビラスラフイン

1996年、牝馬GⅠ路線の体系が大きく変わった。

牝馬のローテーションに新しく秋華賞というGⅠレースが設けられ、春の桜花賞・オークスと並んで4歳牝馬の三冠路線が整備された。あわせて今まで三冠目の役割を担っていたエリザベス女王杯が古馬に開放されて、古馬牝馬についても新たな目標が定まることとなった。

第1回秋華賞は10月20日に行われ、18頭の4歳牝馬が集結した。

オークス勝利のあと休養していたエアグルーヴは、前哨戦を使わずぶっつけでの参戦となったものの、堂々の1番人気に推される。日本ダービー参戦後、骨折が判明して休養に入ったビワハイジの姿は見えなかったが、前哨戦のローズS勝ち馬のヒシナタリーや、嵯峨野特別を上がり最速で制し、中1週でオークス6着からのリベンジに燃えるエリモシックなど、4歳牝馬のタレントたちが勢ぞろいしていた。

だがエアグルーヴは、必ずしも万全の状態とは言えなかった。パドックでは観客のフラッシュ撮影に反応してイレ込み、返し馬でもパニック状態は収まらないままゲートインを迎えてしまう。レースも好位に位置していたが行きっぷりが悪く、武豊騎手が4コーナー手前で鞭を入れる姿まで見られた。そんなどこか歯車がかみ合わない1番人気を尻目に、手応え十分で直線に向かった馬がいた。ニュージーランドトロフィー4歳S勝ちの実績を持つ、フランスからやってきた外国産馬、芦毛のファビラスラフインである。

春には藤田伸二騎手と3連勝の後に、この年創設されたNHKマイルCに参戦し1番人気に推されるも、逃げ馬バンブーピノが作り出した前半1000m56秒7という速い流れに巻き込まれて14着と大敗。秋華賞はそれ以来のぶっつけの出走で、松永幹夫騎手を背に5番人気での参戦だった。

そのファビラスラフイン、先頭を走るマークリマニッシュを直線で交わすと、追ってきたエリモシックの末脚を1と1/2馬身下して、1分58秒1という、当時の京都競馬場の芝内回り2000mのコースレコードにコンマ1秒迫るタイムで、初代秋華賞の優勝馬となった。

一方のエアグルーヴは10着に惨敗。レース後には右前脚に骨折が判明して長期休養を余儀なくされる結果となった。エアグルーヴが北海道で骨折を癒している間に、ファビラスラフインはジャパンCに参戦した。まだまだ牝馬と牡馬の力量差は大きいとされる時代のなか、4歳牝馬の身で先行策から直線先頭に立ち、迫るシングスピールと鍔迫り合いの末、ハナ差の2着。年末の有馬記念は10着に敗れたものの、最優秀4歳牝馬に選出されるのも納得の戦績と言える蹄跡であった。

彼女もまた、エアグルーヴと同じ世代を彩った強豪牝馬の一頭である。

■国内外から牡馬が来る

傷を癒したエアグルーヴの古馬初戦は牝馬限定の重賞、6月22日阪神競馬場のマーメイドSだった。ここでは1番人気に応えてあっさり勝利。同時に、伊藤雄師にはある『問い』があった。

──今のエアグルーヴは、果たして牡馬相手に通用するのだろうか?

マーメイドSの結果を見ても、エアグルーヴは牝馬のなかでトップクラスにいるのは間違いない。だが果たして、牡馬の一線級と渡り合ってGⅠの勲章を勝ち取ることができるのだろうか。

そのテストレースとして、札幌記念が選ばれた。このレースにはクラシックホースであるジェニュインが参戦する予定で、もし皐月賞を制するほどの実力を持つ牡馬相手に互角以上の戦いをすることができれば、秋のGⅠ戦線にも目途が立つ。ならば、これ以上の相手はいない──。そんな伊藤雄師の思惑のもと、札幌記念はスタートが切られ、エアグルーヴは中団待機から抜け出して、2着エリモシックに2と1/2馬身差をつける見事な勝利を飾る。ライバルとされたジェニュインは、エアグルーヴから0秒5差の4着だった。

この勝利により、伊藤雄師はきたる天皇賞(秋)に向けての自信をいっそう深めていったのだろう。

そしていよいよ天皇賞(秋)、エアグルーヴはピークの状態に仕上がった。1番人気は前年4歳でこのレースを制した、連覇を狙うバブルガムフェロー。エアグルーヴと武豊騎手は続く2番人気に推されていた。

レースは河内洋騎手のサイレンススズカが超ハイペースで逃げ、岡部幸雄騎手とバブルガムフェローはその後方3番手。エアグルーヴはジェニュインらと並んで中団に待機した。直線に入るとサイレンススズカの脚色が鈍り、3番手にいたバブルガムフェローが満を持して抜け出しかけたところを、外からエアグルーヴが急追し、2頭のマッチレースになった。

バブルガムフェローとエアグルーヴ。
エアグルーヴとバブルガムフェロー。
「武か、岡部か」という実況の絶叫。
ゴール前、わずかにエアグルーヴがクビ差前に出ていた。

牝馬の優勝はプリテイキヤスト以来17年ぶり。また天皇賞(秋)が芝2000mの条件になってからは、史上初めてとなる牝馬の優勝だった。

天皇賞馬となったエアグルーヴはひたすら古馬路線の王道を進む。続いて向かったジャパンC、ここでも1番人気はバブルガムフェローで、エアグルーヴはそれに続く2番人気。しかし、オッズに見る人気の差は、天皇賞のそれほど大きくはなかった。前走のマッチレースを経て、競馬ファンの中でも彼女の力を認める層が数を増していたのだろう。

ゲートが開くと、好発から押し出されるようにツクバシンフォニーがハナを奪う。エアグルーヴはいつもより前目の4番手、バブルガムフェローは彼女をマークするように6番手を行く。天皇賞とは真逆の構図だ。

そしてピルサドスキー、カイタノ、アスタラバドら外国馬は一団で中団につける。3、4コーナー中間、大欅の向こうで徐々にピッチが上がり、後方から各馬が押し寄せていく。直線に入ったところで逃げ粘りを図るツクバシンフォニーを、馬場の真ん中付近からエアグルーヴが捕らえに出る。しかしその内からピルサドスキーも進出を開始し、先に1馬身、抜け出した。

瞬間、目標をこれと定めたエアグルーヴがピルサドスキーを3/4馬身、1/2馬身と追い詰める。だがピルサドスキーも欧州GⅠを立て続けに制してきた強豪の意地を見せて迎え撃つ。その馬上にいるのは2年前、阪神3歳牝馬Sでエアグルーヴとともに戦ったキネーン騎手だ。

勝ちたいエアグルーヴ、負けられないピルサドスキー。鎬を削る戦いの行方は、わずかにクビ差、ピルサドスキーに凱歌が上がった。エアグルーヴは惜しい2着。しかし、この一戦は競馬ファンに今の日本の総大将は誰なのかを改めて問い直させる、素晴らしいレースとなった。

そしてエアグルーヴは暮れの大一番・有馬記念に出走。牡馬でも過酷な秋の中長距離のGⅠシリーズの3連戦を、彼女は当然のように歩んでゆく。

主戦騎手の武豊騎手がマーベラスサンデーに跨り、再びペリエ騎手を鞍上に迎えたエアグルーヴは1番人気こそマーベラスサンデーに譲ったものの、この秋、3度目の2番人気に支持された。それはもう、たとえどんな牡馬が相手だろうと、ファンからの信頼に揺らぎはないというひとつの答えであった。

レースは勝負どころ、好位につけていたエアグルーヴは抜群の手ごたえでぐんぐん上がり、直線で一度は完全に抜け出した。だが、後方一気に賭けたマーベラスサンデーと、それをマークしていたシルクジャスティスに最後は交わされ、悔しい3着。

しかし、だからと言って彼女の評価が下がるものではない。この秋、天皇賞から有馬記念の3戦全てで、牡馬を相手にしながら馬券圏内に入着しているのだから。

そうした素晴らしい走りが評され、エアグルーヴは97年度の年度代表馬に選定される。牝馬の年度代表馬受賞は71年のトウメイ以来であり、実に26年ぶりの受賞であった。

■そして、またハイジが来る

翌年も現役続行を決めたエアグルーヴは、上半期初戦となる産経大阪杯を圧倒的な1番人気で快勝した。続く不良馬場の鳴尾記念は2着となったが、牝馬として初めて宝塚記念のファン投票第1位となった同競走を、サイレンススズカの3着。

そして前年に続いて臨んだ札幌記念、メンバートップの58キロの斤量を課せられたものの、それを跳ね返して3馬身差で勝利する。同レースの連覇は、グレード制導入後、初めてであった。

下半期に入ると、主戦の武豊騎手がコンビを組むサイレンススズカとの兼ね合いもあって、天皇賞(秋)ではなく、エリザベス女王杯からジャパンCへ向かうことが発表される。そのエリザベス女王杯をメジロドーベルの3着、ジャパンCはエルコンドルパサーの2着と好走し、引退レースとなった有馬記念では、レース中の落鉄もあってグラスワンダーの5着。競走生活に終止符を打った。

99年、エアグルーヴは生まれ故郷であるノーザンファームで繁殖牝馬となった。初年度はリーディングサイアーであるサンデーサイレンスと交配され、翌2000年に初仔を出産。セレクトセールに上場されて2億3000万円という高額で取引されたその牝馬は、のちにアドマイヤグルーヴと名付けられ、03年、04年とエリザベス女王杯を連覇する名牝に成長し、ダイナカールから続く母仔3代GⅠ制覇を成し遂げた。

そのアドマイヤグルーヴも繁殖入りしたのちに牡馬クラシック二冠馬のドゥラメンテを産み、ドゥラメンテは種牡馬として菊花賞馬タイトルホルダーを輩出。5代にわたるGⅠ制覇という大偉業にまで、その枝葉は広がっている。

一方で、アドマイヤグルーヴがデビューを迎えるころ、ノーザンファームには1頭の繁殖牝馬がやってきていた。そう、あのビワハイジである。

ビワハイジは98年に現役を引退したのち、生まれ故郷の早田牧場新冠支場で繁殖牝馬となっていたのだが、その早田牧場が02年11月に自己破産。そこからノーザンファームに移譲されることになった。

つまり、図らずも現役時代のライバル同士がノーザンファームで顔を合わせることとなったのである。もちろん、本当に顔を合わせていたかどうかは、ぼくらが知るよしもない。だが、ビワハイジもエアグルーヴに勝るとも劣らない超優秀な繁殖牝馬であり、GⅠを6勝したブエナビスタをはじめとして、計6頭ものJRA重賞勝ち馬を輩出。ひ孫のエンブロイダリーは桜花賞と秋華賞を勝ち、古馬になってからはヴィクトリアマイルも制した。こちらもまた、エアグルーヴと同様、着々とその血を日本競馬界に根付かせている。

現役時代に名勝負を演じた、エアグルーヴとビワハイジ。

ここからはぼくの夢想だが──現役時代に競い合った2頭が母親となり、同じ牧場のどこかで仔馬の自慢話でもしていたなら、こんなに楽しいことはない。どちらが話し手で、どちらが聞き役でもいい。そんな穏やかな時間が、彼女たちにもあったのならと思うのだ。

エアグルーヴは13年没、ビワハイジは22年没。彼女たちの一生の中で、現役時代はわずか数年。2頭とも優れた血統背景と競走成績を携えて繁殖入りしたのだから、牧場で過ごした日々は、できれば穏やかな日々であってほしいと思わずにはいられない。

写真:Horse Memorys、かず

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