名勝負とは何か。
接戦、混戦、圧勝、絶妙の仕掛け、駆け引き──いろいろあると思いますが、そのひとつには「一騎打ち」が挙げられると思います。
2011年のJBCレディスクラシックは、まさにその一騎打ちの名勝負が繰り広げられました。
JBCレディスクラシックは、この年が創設初年度。
ゆえに格付けとしてはまだ「重賞」だったわけですが、ここが牝馬ダート路線の頂点を決めるレースであることは、明らかでした。
それまでダートを主戦場とする牝馬は、GI級タイトルを狙うならばどうしても牡馬の一流どころと対戦せざるを得なかったことを考えると、JBCレディスクラシック創設は画期的な出来事でした。
この頃の牝馬ダート路線は、5歳のラヴェリータと1歳年下の4歳ミラクルレジェンドによる、完全な2強体制。
ラヴェリータは2歳時にダート転向後、牡馬とも互角に渡り合い重賞7勝。
一方ミラクルレジェンドは重賞2勝でこの年のTCK女王盃、エンプレス杯ともにラヴェリータの後塵を拝していましたが、夏から連勝。前哨戦のレディスプレリュードでは1キロの斤量差があったとはいえラヴェリータを下し本格化を迎え、世代交代を目論んでの頂上決戦となりました。
パワーで押すラヴェリータ対切れ味のミラクルレジェンド。
体格もタイプも真逆とも言える2頭が鎬を削って戦い抜いた2011年、結果的にラヴェリータはこの年で引退することになり、創設初年度のJBCレディスクラシックが、牝馬同士での最初で最後の雌雄を決する一戦となったのです。
同斤量で迎えた本番。
人気はラヴェリータ1.6倍に対してミラクルレジェンド2.0倍、3番人気のエーシンクールディですら16.7倍と2頭以外は大きく差がつきました。
「どちらが勝つのか」
焦点はその一点だけだったと言っても、過言ではないでしょう。
レースには13頭が出走しましたが、およそ2分弱のその時間は、ミラクルレジェンドが女王ラヴェリータの背中を追いかける2分弱でした。
スタートでやや遅れたのはラヴェリータ。しかし位置を取りにいって先行します。対してミラクルレジェンドは好スタートを切ったものの先行勢を見ながら中団に控え、ラヴェリータの後ろへとつけました。
終始ラヴェリータの背中を見る位置で運んでいたミラクルレジェンドですが、向正面に入ると内からスーッと位置を上げ、ピタリとラヴェリータの後ろにつけます。岩田康騎手と陣営が、入念に作戦を練った結果の位置取りでした。前を走る女王を負かす──それがすなわち、新女王となるための、唯一の方法であったのです。
勝負どころで武豊騎手がサインを送り、前を捉えに出るラヴェリータ。岩田康騎手もそれに呼応するようにミラクルレジェンドに意思を伝え、追っていきます。
直線に入ったところでいち早くラヴェリータは先頭へと躍り出ます。ここから一歩先に抜け出し突き放そうとしたその刹那、後ろにいたはずのミラクルレジェンドが抜群の反応を見せ真横に並んでいました。
瞬発力勝負ではミラクルレジェンドに分があるように感じられ、このまま彼女が突き抜けるかと思わせましたが、そこは女王ラヴェリータ。ラスト3ハロン13.2ー11.8ー12.2という直線からの一気のペースアップとなっても一歩も引かず、並んでの叩き合いに持ち込みます。
大井の長い直線を彩っていたのは芦毛と栗毛の2頭のサラブレッド。この2頭の走りをずっと見ていたい、このままゴールが来なければいいのに、と思えるほどの女王の座を巡る熱い熱い戦いがどれほど続いたでしょうか。そして……。
JBCレディスクラシック初代女王の座に就いたのは、ミラクルレジェンド。
大一番で女王を相手に完勝を飾り、世代交代を告げました。
最後まで食い下がったラヴェリータも、ここまで女王として引っ張ってきた力を存分に発揮。「あとを任せるにはこれくらいできないと駄目よ」と、ミラクルレジェンドに試練を与えていたのかもしれません。その結果が良馬場で1分49秒6というレコードでした。
これは今でも残る、大井競馬場ダート1800mのレコードとなっています。
女王の座を引き継いだミラクルレジェンドは翌年のJBCレディスクラシックも連覇し、次代の女王を目指す後輩たちに自身の走りを見せつけました。
その後繁殖入りし産駒を送り出しているラヴェリータとミラクルレジェンド。この2頭の産駒が大舞台で一騎打ちを繰り広げるシーンを夢見るのは、私だけではないはずです。
写真:Hiroya Kaneko