名障害馬の置き土産~エイコーンパス~

今から30年ほど前、ライバコウハクという1頭の競走馬が障害界を席巻していた。

1986年の中山大障害・春(現在の中山グランドジャンプ)での勝利や京都大障害を春秋連覇するなど、大活躍を見せていた名馬である。

しかし運命とは時として残酷なもの。

1987年12月26日、中山大障害。
1年前の春に栄華を極めた地で行われるそのレースが、彼の命日となった。

かつて大障害コースで使用されていた、高さ140cmの大土塁。この難関障害を飛越すべく踏み切った瞬間、ライバコウハクの右後肢に異変が起きた。致命傷、開放骨折……しかし彼はそのまま3本の肢でその障害を飛越した。

着地は叶わず、激しく転倒。ターフに叩きつけられた人馬へ、後続馬が迫っていた。意識を失った鞍上は、身体を動かす事すらかなわない。

このままでは、騎手が後続馬に踏まれてしまう。

しかし次の瞬間、ライバコウハクは激痛に耐え、最期の力を振り絞り、何とか動かす事のできる前肢で身体を起こした。騎手が踏まれぬよう自らの身を「盾」とし、倒れている騎手の前に立ちはだかったのだ。土塁障害を飛越した後続馬が、次々とその横を通過していく。

そしてライバコウハクは使命を果たしたかのように、その場に崩れ落ちた。
救護の馬運車が到着した時、彼は既に絶命していたという。

華の大障害コースに散った、勇気ある名障害馬。

誰もがその死を哀しみ、そして彼の強さ、優しさを讃えた。鞍上……調教師となった大江原哲・元騎手は、自らを命懸けで守った「命の恩人」の写真を引退後も手放さないという。「命を賭けて守ってくれたライバコウハクを、僕は忘れる事ができない」と。

今なお語り継がれる、人馬の絆である。

それゆえに最期が語られがちであるライバコウハクであるが、彼はかつて自身が輝いた大障害コースに置き土産を残していた。
後に華の大障害を彩る才能を。そして自らがそうであったかのように、絆……人馬の、そして師弟の絆を巡るドラマを。

28年の時を経て、ライバコウハクを巡る時計の針が再び動き始めた。
ライバコウハクと同じ血を受け継ぐ馬が、障害馬としてのデビューを果たしたのだ。

その馬の名はエイコーンパス。

4代母にライバコウハクの半妹・ダイナエイコーンを持つ、中山大障害を勝つに相応しい血統と才能を秘めた、希望であった。

強豪ひしめく2015年の中山大障害。

アップトゥデイトの連覇、アポロマーベリックの王者復権……彼はこのレースで中山大障害馬としての最期を遂げ、その冥福を祈る事となるが……そして新星サナシオン。豪華メンバーに注目が集まったこのレースに、エイコーンパスもまた、並々ならぬ想いを託されて臨む事となった。

障害キャリアわずか一戦、障害未勝利戦からの大障害直行。

常識では考えられない。
しかし鞍上に高田潤騎手を迎え、松田博資調教師は満を持して彼を大障害の舞台へ送り込んだ。

松田師は騎手時代、平地・障害を問わずG1タイトルを手にし、二刀流の一流騎手としてその名を轟かせていた。しかし、中山大障害での勝利は叶えていなかった。名手にとって、そのタイトルは1つの夢になっていたのではないだろうか。

騎手を引退し名調教師となっても、その夢を決して諦めなかった。厩舎の解散は翌年2月に迫っていた。
松田師は、そしてその弟子ともいえる高田騎手は、その夢を叶える最後のチャンスであるこの中山大障害に賭けていた。

最後の直線は後に「障害三強」と呼ばれる3頭によるデッドヒートが繰り広げられた。アップトゥデイトが、徹底的にマークしていたサナシオンを交わす。この2頭で決まりか……そう思われた瞬間、鞍上の渾身の鞭に応えて猛然と追い込む1頭の競走馬の姿があった。

エイコーンパスである。

脚の上がったサナシオンを捕らえ、並ぶ間もなく交わす栗毛の馬体。しかし、アップトゥデイトに半馬身まで迫った所がゴールであった。

障害キャリア1戦にして掴んだ、中山大障害2着。

奇跡の馬、エイコーンパス。

奇しくも2015年の中山大障害は、ライバコウハクの命日である12月26日の開催であった。
多くのファンが感動し驚嘆にどよめいた、常識破りの才能。エイコーンパスは、その場に散った名障害馬の血を受け継ぎ、彼の血を甦らせた七部咲きの華であった。

しかし尊敬する松田師の夢に半馬身届かなかった高田騎手は、

「僕の中では、2着では意味がない」

そう言った。

ライバコウハクという1頭の馬の命が失われた事はやるせない事実であり、彼の代わりなどいない。しかしその物語は完結を迎えてはいない。中山大障害馬が「悲劇の馬」としての結末ばかりを語る事を望むとは思えない。
中山大障害優勝という松田師の夢は叶わなかったものの、エイコーンパスの物語は、再び始まりの時を迎えようとしていた。

翌年、牛若丸ジャンプS。

京都大障害の春秋連覇という、ライバコウハクが輝いた地に立つエイコーンパスの姿があった。鞍上はもちろん、高田騎手である。ゲートが開き、一番人気エイコーンパスの位置取りは中団やや後ろから。そして巧みな飛越で2度目のスタンド前から徐々にポジションを上げていく。

最終コーナーを回る所で先頭に躍り出た。そのまま後続を突き放し、リードを広げていく。まさに次元の違う末脚……エイコーンパスは大差で栄光のゴールへ飛び込んだ。ライバコウハクの京都大障害・秋のように。

「松田博資厩舎の馬ですし、負けられない、負けようがないと思っていました」

とは高田騎手の弁。

松田調教師には、現役3人目という800勝の記録が目前に迫っていたのだ。
そしてその記録は後にラブラバードによって師のラストウィークに達成され、松田博資厩舎は解散の時を迎えた。

中山大障害を勝つために生まれてきたような、運命とも言える血統。彼の才能に、人々の、中山グランドジャンプへの期待が寄せられる。願わくば七部咲きの華を咲かせた大障害コースに、満開の華を咲かせたい。
しかし次走の春麗ジャンプSで2着に敗れた彼の左前肢は、才能の代償……これまで幾多の名馬の競走能力を奪い去った病魔に蝕まれていた。

そして時を待たずして突如、飛び込んできた報せは、障害ファンを唖然とさせるものであった。

「エイコーンパス、屈腱炎を発症」

「引退、乗馬へ」

……まだ、これからの馬じゃないか。

底を見せぬまま、惜しまれながら、彼は競走生活に別れを告げた。彗星の如く現れ、去っていった才能。しかし「命あるままの引退」はファンはもちろん、自身が叶わなかったライバコウハクも望んだ事であろう。

そんなエイコーンパスは、岡山県の乗馬クラブで人々に愛されながら過ごしている。彼の熱心なファンが訪れた際に見せた、甘えるように顔をすりよせる姿。天才障害馬の微笑ましい素顔だ。

競馬は血統が紡ぎ出すドラマである。
エイコーンパス、そしてライバコウハクの物語は続いてゆく。

運命に導かれた血統。ドラマに満ち溢れた、常識破りの才能。

活躍の舞台を馬術へ移したエイコーンパスが、満開の華を咲かせる日が来る事を願ってやまない。

写真:ともさん、茶碗蒸し、たちばなさとえ

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