「走って斬り捨てるのみ。この渇きが癒える日まで」
一匹オオカミなウマ娘。硬派で頑固。我慢強いところもあり、どんなことがあっても感情を表に出すことはない。めったに笑わないため、周囲からは近寄りがたいと恐れられている。
──ウマ娘プリティーダービー公式ポータルサイトより引用
この一匹狼で硬派で頑固、そしてめったに笑わないというイメージはどこから来たのか。それは彼女のモデル馬ナリタブライアンの性格そのものを表していました。
なぜウマ娘ナリタブライアンが頑固で笑わないという設定になっているのか、史実をベースに解説していきます。
ジュニア級メイクデビューに出走
ナリタブライアンは1991年5月3日、北海道新冠の早田牧場で産まれました。
父ブライアンズタイムは、早田牧場が当時リーディングサイヤーであったノーザンテーストやリアルシャダイに対抗するためにアメリカから導入した種牡馬。現役時代にフロリダダービーを制覇した実績などから、当初よりとても期待されていました。
母パシフィカスも父ノーザンダンサーと当時の日本の流行血統ということもあり、早田牧場がアメリカで購入し日本に持ち込んだ繁殖牝馬です。
ウマ娘で例えるならば星3因子を沢山所持している2人の間に産まれたと言えばわかりやすいでしょうか。
また血統のみならず、デビュー前の調教時点からナリタブライアンはとてつもないポテンシャルを秘めているという評価でした。
ナリタブライアンの主戦騎手となる南井騎手もデビュー前のナリタブライアンにまたがった際に葦毛の怪物・オグリキャップを引き合いに出すほど、ナリタブライアンのポテンシャルに惚れ惚れしていました。
向かえた新馬戦。
三冠馬の新馬戦なので、皆さんは「問題無く勝ったのでは?」と思われるかもしれませんが、初めての新馬戦は意外にも2着と敗れました。実は自分の影を怖がる面があり、集中して走ることが出来ていなかったのです。
それでも持ち前の能力でデビュー2戦目で初勝利。大器の片鱗を垣間見せました。
朝日杯FSで5着以内に
デビュー2戦目で勝利したナリタブライアンは、12月に開催された朝日杯FSまでにデビュー戦を含め何と6戦も出走しました。2歳の8月に勝ち上がった競走馬が12月までに合計6走するのは驚異的な出走数なのですが、なぜナリタブライアンはこの短いスパンに6走もしたのか。
その理由は、彼の気性にありました。
トレーナーである大久保調教師はナリタブライアンがレース前にとても興奮する傾向があることに気づき、そのエネルギーを分散させるためにこれだけの短期間に何度もレースに出走させていたそうです。
ウマ娘のトレーナーの皆さんからすると、メイクデビュー勝利から朝日杯、もしくはホープフルなどを目標にスキルポイント獲得もかねて1走あるいは直行される方が無難と考える方も多いかもしれませんが、実際の競馬では少し変わった理由でレースに出走させることがあるものです。
そして自分の影を怖がっていた部分に関しては、足下が見えなくなるようにシャドーロールで対応。エネルギーの分散、シャドーロールの装着。すべてが噛みあい始めたナリタブライアンは朝日杯に万全の態勢で出走することができました。
迎えた朝日杯。前走の京都3歳ステークスを圧勝していたこともあり堂々の1番人気。
ナリタブライアンは将来の三冠馬らしく、中団からじわじわ前を追い詰め最後の直線大外から突き放すお手本のような競馬を披露。最後は鞍上の南井騎手が後ろを振り返るほどの圧勝劇で、見事朝日杯を制し2歳王者に君臨しました。
皐月賞で5着以内に
3歳になったナリタブライアン。
ダービー前に東京競馬場を経験させたいという大久保調教師の意向もあり、共同通信杯に出走し、ここを問題なく勝利します。そして皐月賞前のスプリングステークスも最後尾から大まくりで直線突き放しての勝利と、才能をいかんなく発揮。この時点で競馬関係者のみならず、競馬ファンの間でも今年注目の3歳馬として注目されるようになっていました。
そして迎えた一冠目の皐月賞。ナリタブライアンは単勝オッズ1.6倍の1番人気。2番人気のエアチャリオットが6.4倍と、殆どのファンがナリタブライアンの勝利を信じて疑いませんでした。
晴天の中山競馬場。15時35分。三冠へのゲートが開きました。
朝日杯と同じように中団につけたナリタブライアンは初めての2000mでも折り合いをつけ、いつも通り3コーナーからじわじわと前に進出すると、砂埃を上げながら残り200mで先頭に立ち驚異的な末脚で他馬を突き放し1着でゴールイン。中山競馬場2000mのコースレコードのおまけ付きで三冠ロード一冠目を制しました。ちなみにこのレコードタイム、1993年に1年先輩のナリタタイシンが2分1秒の壁を越えたと話題になったのですが、そのレコードを僅か1年で更新するという快挙でした。
日本ダービーで5着以内
皐月賞での圧勝劇もあり、ダービーでは前回の1.6倍を超える1.2倍の圧倒的1番人気となったナリタブライアン。レース前の興奮を抑えるために他馬より多く出走してきて、レースに集中できるようにシャドーロールを装着してきて──そして共同通信杯で東京競馬場を経験している、そんなナリタブライアン陣営には油断はありませんでした。
迎えたレース当日。
各馬がゲートに入るなか、ナリタブライアンのふたつ隣のゲートのノーザンポラリスが大暴れしていまいます。しかしナリタブライアンは集中力を切らさず絶好のスタートを切りました。
皐月賞から更に400m伸びるダービーで折り合いをしっかりつけスタミナを消耗することなく府中の長い直線へ。多くのファンが見守る中、重心を下げて加速する美しいホームでそのまま他馬を引きちぎり、2着に5馬身差を付け見事二冠目を奪取します。
そして鞍上の南井騎手にダービージョッキーの称号をプレゼントしました。
このレースを見た伝説の三冠馬シンボリルドルフのトレーナーであった野平調教師は「これからいろいろあるだろうが、現時点ではブライアンが上かな」とコメントを残すほど、ナリタブライアンは3歳の夏にして早くも競走馬として完成されつつありました。
偉大なる兄の存在
ナリタブライアンが関東でクラシックロードを席巻しているころ、1頭の葦毛が関西で古馬No.1の称号を得ようとしていました。その馬の名は、ビワハヤヒデ。父はシャルードとナリタブライアンの半兄になります。
ビワハヤヒデは1990年に福島県の早田牧場の分場で生まれました。母パシフィカスが日本に来る際にお腹にいたビワハヤヒデ。成田空港到着時にお産が近づき、急いで運び込まれた福島県の牧場で生まれたという少し変わった経歴の持ち主でした。
弟のナリタブライアンと違い、デビューまで体質も強くなくそこまで注目されていませんでしたが、新馬戦で大差勝ちを収め、もみじS、デイリー杯3歳Sと3連勝。出世街道を驀進していました。
残念ながら朝日杯、皐月賞、東京優駿とG1を連続2着と勝ちきれないレースが続きましたが、クラシック最終戦菊花賞で2着馬に約1秒差をつけ圧勝。続く有馬記念こそはトウカイテイオーの奇跡の復活の前に敗れましたが、古馬になってからは京都記念、天皇賞(春)を連勝します。
弟がダービーを制した約2週間後、ファン投票で出走馬が決まる宝塚記念。
14万8768人のファンの期待を背負い、ビワハヤヒデは阪神競馬場のターフに降り立ちました。
結果はナリタブライアンのダービーと同じく、2着に5馬身差をつける圧勝。彼にとって15万弱のファンの期待は、プレッシャーとはならなかったのでしょう。
ナリタブライアン陣営は必然的にビワハヤヒデを意識していました。いつかあの葦毛の怪物と同じ舞台に立ち、そして彼の背中を追い抜こうと。
そしてビワハヤヒデ陣営も、兄の威厳を見せつけるためにも、彼にだけは負けられないと宝塚記念を勝ち、兜の尾を強く締めました。
菊花賞で3着以内
兄の思いを胸に菊花賞へ挑むナリタブライアンは、前哨戦として京都新聞杯に出走。単勝1.0倍と誰もが勝つと予想しましたが、なんとスターマンに差され2着に。実はこの年の夏は例年にない猛暑が続き、その影響で体調を崩していたこともあり、満足な調教を行えなかったことが原因ではないかと言われています。
二冠馬が体調を崩し菊花賞を取れなかった例は、過去にいくつかありましたあ。故障により菊花賞に出走できなかったトウカイテイオー、ライスシャワーという刺客の前に敗れたミホノブルボン……90年代に入りあと一冠のところで三冠を制覇できなかった年が続いたこともあり、ファンからはナリタブライアンの三冠達成を疑問視する声もあがるようになりました。
そしてなによりも、兄ビワハヤヒデの故障が多くの競馬ファンの不安を加速させます。菊花賞の1週間前に開催された天皇賞(秋)で1.5倍の1番人気に支持されていましたが、5着と敗れレース後に屈腱炎が判明。そのまま引退となってしまったのです。
このように菊花賞前、様々な不安要素がナリタブライアンを取り巻きました。
ウマ娘でも、三冠というのはなかなか難しいもの。トレーナーの皆さんも菊花賞、ダービーを制した後の菊花賞は一層力が入り、プレッシャーを感じる瞬間かと思います。目覚ましも使えない現実の競馬で、ナリタブライアン陣営のとてつもないプレッシャーはお分かりいただけると思います。
そしてついに迎えた三冠ロードの終点・菊花賞。
ナリタブライアンは1.7倍の1番人気に。このオッズにはファンの願いも込められていたと思います。
小雨が降る京都競馬場。レースはスティールキャストが引っ張り、緩みの無いペースに。3コーナーでヤシマソブリンが進出すると、それにナリタブライアンも反応する形で大外から一気に差を詰めます。
結局、ナリタブライアンは先行するヤシマソブリンと馬体を合わせる暇もなく一気に抜け出し、7馬身差をつける圧勝を成し遂げます。
「弟は大丈夫だ!弟は大丈夫だ!」という杉本清さんの実況も有名です。
ナリタブライアンは様々な不安を払拭し、見事三冠としてクラシックの頂点に立ち、ビワハヤヒデの無念を晴らしました。
このレースを武豊騎手は「まず2,000メートルの競馬を走って勝って、そのまま別のメンバーと1,000メートルの競馬をやってぶっちぎったようなもの」と絶賛していました。
競馬ファンとしては最後の1000mはビワハヤヒデが背中を押したのかなと、勝手に想像してしまいます。
有馬記念で3着以内
菊花賞を勝利したナリタブライアンは、兄の分も最強を証明するため強豪とのレースを欲していました。
陣営が選んだレースは勿論有馬記念。2番人気のネーハイシーザーのオッズが12.3倍。ファン投票1位のナリタブライアンが1.2倍と、ナリタブライアンに人気が集中していました。
ファンの誰もがナリタブライアンの勝利を信じて疑わない中で、1頭の牝馬だけは、虎視眈々と有馬記念で大番狂わせを巻き起こそうとしていました。その名はヒシアマゾン。アメリカから来た黒鹿毛の彼女は、外国産馬ということでクラシックロードである桜花賞、オークスに出走することはできませんでしたが、エリザベス女王杯を含む重賞6連覇を達成するなど、当時最強クラスの牝馬として目されていました。
しかし当時はまだまだ牡馬の方が牝馬より上というのが競馬界の常識だったということもあり、ヒシアマゾンはレース当日6番人気とナリタブライアンから大きく劣ります。
それでも鞍上の中館騎手は「ライバルはナリタブライアンだけ」と語っていたように、ヒシアマゾンに負い目はありませんでした。
迎えた、第39回有馬記念。
スタートと同時に、異次元の逃亡者ツインターボが、ファンの期待に応え大逃げを打ちます。
それに影響される形で、いつもより前で競馬をすることになったナリタブライアン。
ナリタブライアンの5冠を見守るファンは「あんなに先行して大丈夫かな……」と不安に思う方もいたでしょう。
しかしそんなファンの不安とは裏腹に、ナリタブライアンは3コーナーから進出していくと、大役を務めたツインターボを抜き去り一気に先頭に。4コーナーを過ぎたあたりで誰もがナリタブライアンがこのまま突き放すだろうと思った……その時。
「この時を待っていたぞ!」と言わんばかりに、女傑ヒシアマゾンが猛追してきました。
ナリタブライアンが逃げ切るのか──。
それともヒシアマゾンが差し切るのか──。
結果は──。
ヒシアマゾンの猛追を抑え、見事ナリタブライアンが勝利。
暮れの有馬記念で、多くのファンの夢、陣営の夢、そして兄の無念を晴らす5冠を達成しました。
1994年の競馬界で日本一の競走馬となったナリタブライアン。
全ホースマンの目標が、シャドーロールの怪物、ナリタブライアンに定められました。
阪神大賞典で1着~天皇賞春で1着
年を越して4歳馬になったナリタブライアンは天皇賞春へ向けて調整をはじめます。まず前哨戦として選んだのは阪神大賞典。菊花賞、有馬記念での勝利を見ていたファンはナリタブライアンを1.0倍というオッズで迎え、ナリタブライアンはその期待に応え2位に7馬身差を付け圧勝しました。
「天皇賞春へ視界良好!」というタイミングで、ファンに悲報が舞い込みました。
ナリタブライアン全治2か月の故障。
天皇賞春への出走は断念するしかありませんでした。
天皇賞秋、ジャパンカップ1着
故障後のナリタブライアンは生まれ故郷の早田牧場で休養し、7月上旬から函館競馬場でトレーニングを再開しました。しかし怪我の影響で強いトレーニングを課すことができず、なかなかナリタブライアンの調子は上向きません。
準備万端とはいかなかったナリタブライアン。それでも復帰戦の天皇賞では1番人気に支持されます。
曇りの中スタートしたレース。ナリタブライアンはいつものように先団に取り付きレースを進めます。
向こう正面から3コーナーにかけ徐々に進出してくるシャドーロールに、多くのファンは「強いナリタブライアンが返ってきた!」と胸を躍らせました。1年半前のダービー同様、だれもがナリタブライアンの圧勝を信じ迎えた直線。ファンの歓声は、一気に悲鳴に代わりました。ナリタブライアンが伸びないのです。
結果は……。
あのシンボリルドルフ以上の三冠馬と言われたナリタブライアンの敗戦に、多くのファンがショックを受けたと共に、ナリタブライアンの怪我は本当に治っているのかという不安も囁かれるようになっていました。
続くジャパンカップでも6着と、ナリタブライアンは本来の力を示すことができません。
ジャパンカップで鞍上を務めた武豊騎手は「途中まではいい感じだったが、直線で止まってしまった」とコメントを残しており、一部では「ナリタブライアンは賢いので怪我を恐れて全力を出せていなかったのではないか?」と考えられていました。
もうナリタブライアンの勝利を見ることはできないのか。
そう考えるファンもいるなか、ナリタブライアンのトレーナー、大久保調教師は彼を信じてトレーニングを続けました。
有馬記念で1着
ナリタブライアンにとって2度目の有馬記念。
天皇賞、ジャパンカップと思うようなレースができなかったナリタブライアンの評価は2番人気となります。
ナリタブライアンが2番人気になるのは2歳のデイリー杯以来2年ぶりのことでした。
よく晴れた中山競馬場。様々な思いが巡るなか、ゲートが開きます。
ゲート出ていつも通り先団につくナリタブライアン。ここまでは天皇賞、ジャパンカップと同じです。
今日こそは……
今日こそは伸びてくれ……
多くのファン、トレーナー、鞍上がナリタブライアンを応援していました。
3コーナー、そして4コーナーと直線が近づくにつれじわじわと進出するナリタブライアン。
今度は、ファンの不安が大きな歓声へと変わりました。
一気に大外からまくるように先頭に並ぶと、飛ぶようにマヤノトップガンに迫ります。
あと少し──あと少し先に、久しぶりのG1勝利が見えました。
残り300m、200mとゴール板が近づくなか、必死にナリタブライアンは前を追いかけます。
しかし無情にも、その年の菊花賞馬マヤノトップガンは突き放しにかかります。
そしてタイキブリザード、サクラチトセーオーに交わされ4着。
久しぶりの勝利はお預けとなりました。
しかしそれでも、必死に走るナリタブライアンの姿に多くのファンが感動し「来年こそは!」と、ナリタブライアンの復活に思いを馳せました。
ナリタブライアン最後の戦い
5歳になったナリタブライアンは4歳時と同じく阪神大賞典を春の天皇賞の前哨戦に選びます。前年は圧勝した阪神大賞典ですが、今年は有馬記念優勝馬のマヤノトップガンが出走するということもあり2番人気に。
それでもナリタブライアンは自分を応援してくれるファンのために久しぶりの勝利を目指し挑みました。
迎えたレース。
マヤノトップガンを見る形で中団からレースを進めると、マヤノトップガンのスパートに反応する形で、3コーナーから進出します。そして残り600mからは、2頭の伝説的なマッチレースに。
直線まではいつも通り、ここから伸びてくるのかどうか──。
ファンの不安をよそに、ナリタブライアンはマヤノトップガンに後れを取ることなくびっしり馬体を併せました。
本当に最後は頭の上げ下げ……。
激しい叩き合いの末、馬体を併せたままゴール板を通過。
結果はアタマ差でナリタブライアンの勝利。
ナリタブライアン陣営にとって、そしてファンにとって、待望の勝利となりました
久しぶりの勝利を引っ提げて挑んだ天皇賞春。
単勝オッズは1.7倍と、ファンは久しぶりのG1勝利を夢見ました。
スタートを5分に決めたナリタブライアンは中団に取り付きます。テイエムジャンボとスギノブルボンがハイスピードで逃げ、2頭と後続集団という形でレースが進みました。最初の1週目では、中団でレースを進めるナリタブライアンはいつも通りに見えましたが、2週目の向こう正面から実況席から見ても分かるほど折り合いを欠いていました。長距離レースで折り合いを欠いてしまうのは致命的ですが、それでもナリタブライアンは力強く3コーナーから進出し、阪神大賞典同様マヤノトップガンとのマッチレースに。
4コーナーから直線に、激しく馬体を併せる2頭。
少し馬体が離れた瞬間、ナリタブライアンが抜け出し先頭に──。
遂に、久しぶりの……そして兄ビワハヤヒデに次ぐ天皇賞(春)の制覇かなるかと思ったその時、さらに外から来ていたサクラローレルが必死に追込み、ナリタブライアンを交わしていきます。
阪神競馬場に、遅咲きの桜が満開に咲き誇りました。
天皇賞春の敗戦を受け、ナリタブライアンはなんと1200m戦である高松宮記念に参戦します。このナリタブライアンのスプリント路線への参戦へ多くの疑問の声が上がりましたが、大久保トレーナーの「本当に強い馬ならどの距離でも勝てる」という信念からの出走でした。
結果は4着と敗れはしましたが、3200mを走った後にスプリントディスタンスで好走する彼の姿に、多くのファンが声援を送りました。
残念ながらこのレースの後屈腱炎を発症し、同年10月7日に引退が発表され、ナリタブライアンはターフを去りました。
最後に
引退後ナリタブライアンは、生まれ故郷の新冠で種牡馬となり、第2の馬生を歩み始めました。
しかし繋養2年目となる1998年の6月に疝痛を起こしてしまします。疝痛は人間で言うと腹痛なのですが、サラブレッドにとっては重症で、手術が必要になる場合も多くあります。ナリタブライアンも疝痛が治まらないということもあり、手術を行ったのですが、時すでに遅し。併発していた症状が原因で亡くなってしまいました。
現代でも、史上最強馬の1頭して名前が挙がるナリタブライアン。彼が三冠を達成できたのは、並外れたポテンシャルを持っていたのは勿論ですが、彼のことをよく理解してくれたトレーナーのおかげも大きいと、私は思います。
その強い気持ちは周りに批判されることもありましたが、自分にとって一番大切な存在であったからこそ、試行錯誤を重ね最後まで諦めることなくG1レースに挑みました。結果的にG1を再び制覇することはできませんでしたが、多くのファンの心に彼の走りは刻まれています。
当時を知る競馬ファンはこういいます。
「マヤノトップガンとのマッチレースが1番名の勝負と言われているけど、ファンにとっては全部が名勝負だった」と。彼の競走馬人生のすべてが、多くのファンの脳裏に焼き付いています。
彼女がなぜ頑固で笑わないのか。それはダービーのように周りに動じず自分のスタイルを貫き、そして最後まで諦めず走り続けた彼の姿が、ウマ娘ナリタブライアンに受け継がれているのではないかと私は考えます。
ナリタブライアンの誕生から約30年。
ウマ娘となった彼女は独特なキャラクター性と魅力で多くの新規ファンを魅了しています。
メインストーリーの4章が公開されたということもあり、ナリタブライアンの虜になっているトレーナさんも多いのではないでしょうか。
最後にビワハヤヒデの言葉をお借りすると、突出した才能がゆえに並のレースでは満足できず、いつも満たされることのない乾いた気持ちを抱いているナリタブライアン。
そんなナリタブライアンが、トレセン学園に来て以来、姉以外に唯一涙を見せたのがトレーナーでした。
その涙は信頼の証だと私は考えます。
ウマ娘の世界は「if」ですが、そのifの世界で様々なナリタブライアンとの物語を楽しんでください。
開発:Cygames
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