[追悼]アグネスフライト - ダービーを勝つために生まれてきたような名馬の蹄跡を振り返る。

2023年1月11日。

アグネスフライトが老衰のため息を引きとった。26歳。最後は社台ファームで余生を送っていた。

「ダービーを勝つために生まれてきた」

そんな馬だった。

祖母は79年オークス馬アグネスレディー、母は90年桜花賞馬アグネスフローラ。史上初の親仔3代クラシック制覇を成し遂げた。翌年には全弟アグネスタキオンが4戦無敗で皐月賞を勝ち、この偉業を2年連続で達成しており、底力と不思議な運命をまとった牝系だった。

この血統と言えば、馬主・渡辺孝男氏、調教師・長浜彦三郎、博之親子、そしてアグネスレディーから続く親仔3代クラシックすべてに騎乗した河内洋騎手(現調教師)だ。

アグネスフライトのダービーといえば、「河内の夢」が印象的だが、それは渡辺孝男氏と長浜博之調教師の夢でもあった。3人の夢である「ダービー制覇」をアグネスフライトは叶えた。

アグネスフライトは現在の表記で2歳夏に長浜厩舎に入厩した。サンデーサイレンス産駒の走る馬には若いころに脚元の弱さに悩まされることが多い。またアグネスレディーの系統も母アグネスフローラがそうだったように脚元が繊細な産駒が目立つ。どちらも切れ味鋭い末脚を繰り出せるゆえの弱点でもあった。その両方を引くアグネスフライトもそうした面を抱えており、慎重な調整で進められ、3歳2月にようやくデビューにこぎつける。この血統をよく知る長浜調教師と祖母、母も担当したベテランの大川鉄雄厩務員の間違いない仕事がひとつ、実を結んだ。

最高気温7℃。淀は寒雨に煙っていた。内回り1600m戦に出走したアグネスフライトは外国産馬サザンスズカに次ぐ2番人気に支持され、ゲートに入った。序盤はゆっくりと後方を進み、3、4コーナーでじわじわとサザンスズカとの差を詰め、直線であっさり交わして4馬身差。上がり600mは一歩前にいたサザンスズカに1秒差の圧勝だった。この内容に陣営は自信をさらに深めた。厩舎ゆかりの血統でこのパフォーマンスとなれば、目指すはクラシック。皐月賞を目標にアグネスフライトはトライアル・若葉Sを選択した。地元で行われるトライアル出走は慎重に進めることを重視したからだった。経験を積ませることは同時に消耗を招く。なにより瞬発力が持ち味のアグネスフライトがいつ脚元の限界を超える走るをするかわからない。レース選択も含め、慎重な調整は新馬を勝ったあとも変わらない。

若葉Sは2連勝中で単勝1倍台のヒダカサイレンスが先行態勢をとり、目標になったためトライアルらしい1000m通過59.2とすきがない流れになり、後半1000mは63.2という変則的なラップが刻まれ、アグネスフライトは後方で動けず12着に敗れた。

出直しの形になった若草Sは皐月賞当週土曜日の阪神。若葉Sのあとは、ダービー出走に陣営は照準を合わせた。このレースは若葉Sとは一転して、1000m通過64.9の超スローペース。中盤は13秒台が4度も刻まれ、先行勢に優位な形だった。アグネスフライトはこれまでと同じく後方から3、4コーナーにかけて上昇、勝ちを意識した前を射程圏にとらえる位置まで進出し、差し切った。賞金加算に成功したのも束の間、この年のクラシック戦線はレースごとに勝ち馬が変わる混戦のため、賞金水準が高く、陣営はアグネスフライトがダービーに出走できない公算が高いことを知った。

京都新聞杯出走はダービー出走への執念と賭けだった。レースでは発馬直後に他馬に挟まれる形でダッシュがつかず、最後方。京都内回り2000mで1コーナードン尻は大きなハンデだった。ダービー出走に最後の望みをかけるのはみんな同じだ。だからこそ、前半から前へ前へと先を争うような強い意識が働く。若葉Sと同じような速い流れのなか、向正面後半から河内騎手が手綱を動かす。まだまだ厳しい流れを追走できるほどアグネスフライトは完成されていないのか。そう思えた。しかし、4コーナー付近でアグネスフライトにスイッチが入った。大外を勢いよく駆け上がったアグネスフライトは両親から譲り受けた瞬発力で先に抜け出したタップダンスシチーを並ぶ間もなくとらえた。ドン尻強襲で最後は2着マルカミラーに3馬身差。アグネスフライトのなかに眠っていた底力が解き放たされた瞬間だった。

河内洋17回目のダービー挑戦は3番人気。1番人気は河内の弟弟子・武豊騎手が乗る皐月賞馬エアシャカール。同じサンデーサイレンス産駒だが、450キロほどのアグネスフライトがうらやましがるような雄大な馬体と荒削りな走りはサンデーサイレンス産駒特有の迫力を感じる。そのエアシャカールに最後に捕まったダイタクリーヴァが2番人気。皐月賞1、2着にアグネスフライトと青葉賞馬カーネギーダイアンという構図だった。

前走で後手を踏んだスタートを決めたアグネスフライトはすぐ目の前にいるエアシャカールには目もくれず、下がりながら、馬場の真ん中あたりを進む。河内が選んだ作戦はダービーのセオリーを無視した後方待機策。アグネスフライトの末脚に託した。すると目の前にスタート直後は好位にいたエアシャカールがあらわれる。こちらもペースを読み、末脚にかける作戦を選択した。1000m通過59.2。アグネスフライトが経験したことがない速い流れ、前が飛ばすことで中盤にかけて縦長になっていく馬群はダービーが特別なレースであることを意味していた。これを乗り越える強さがなければ、ダービー馬にはなれないのだ。

3コーナー手前で前にいたエアシャカールが馬群の外に出ながら、じわりと上昇しはじめる。アグネスフライトは周囲がその動きに合わせるなか、付き合わずに最後方。意識していないわけではない。いや、意識しているから動かなかった。ほんのわずかな間だが、意図的に仕掛けを遅らせた。

残り800m標識を通過した。先にスパートしたエアシャカールとの距離をアグネスフライトは縮めにかかる。河内の手が激しく動く。手応えはエアシャカールだ。最後の直線でアグネスフライトはエアシャカールの外に出る。外を通った分、距離はわずかに開き、その差は1馬身。残り400mでエアシャカールがアグネスフライトを離しにかかる。その差は2馬身。先頭に立つエアシャカールを追うのはアグネスフライトだけだ。残り200m。河内が美しい騎乗フォームを崩しながら激しく追う。先頭に立って気を抜いたエアシャカールとの差がジリジリと縮まっていく。あと100。馬体が並ぶ。武豊が右から左、左から右へステッキを激しく持ちかえて、エアシャカールを奮起させると、再び本気で走りはじめた。最後はクビの上げ下げになる。そう確信した武豊は見せムチでエアシャカールの首を下げさせ、前に出させる。河内はありったけの力でアグネスフライトの首をゴールへ押し込んだ。

入線後、どちらが勝ったか分からないファンに向けて、河内が右手をあげた。

だが、観客は本当に勝ったのか分からなかった。

それもそのはずで、エアシャカールとの着差はたった7センチしかなかった。

アグネスフライトは2月デビューからわずか3カ月半でダービーを勝った。だが、その勝利はアグネスレディー誕生から24年かけて紡ぎあげられた渡辺孝男氏と長浜親子、河内洋、そしてアグネスレディー一族の絆がたぐり寄せたものでもあった。

「ダービーを勝つために生まれてきた」

アグネスフライトがそう言われる所以はここにある。アグネスレディー一族に託したすべて人々の夢を叶えたのだ。

写真:かず

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