故・伊藤雄二調教師に導かれ…。史上初、札幌記念の連覇を成し遂げた名牝エアグルーヴの歩みを振り返る。

1997年 - 秋のG1戦線へ向け、挑戦者として参戦した札幌記念

デビュー前から伊藤雄二調教師を虜にし、1996年にはダイナカールとの親子2代でのオークス制覇を達成したエアグルーヴ。

だが期待馬ゆえプレッシャーだろうか。その後の秋華賞では、周囲の勝ちたい気持ちが空回りしてしまったかのように調整が失敗する。その上、当日のパドックでは観客のフラッシュ撮影に驚き興奮し、エアグルーヴはパニック状態に陥ってしまった。挙句の果てにはレース後に右前足の骨折が判明し長期休養を余儀なくされてしまうという、まさに踏んだり蹴ったりの状況となってしまっていた。

翌1997年6月、幸い骨折も治り牝馬限定のG3・マーメイドステークスで復帰を果たしたエアグルーヴは、圧倒的1番人気の支持にこたえて優勝。

見事復活を果たしたオークス馬が、次に照準を定めたのが、札幌記念であった。


もともとG3であった札幌記念は、この年からG2に格上げされ、例年よりも強力なメンバーが参戦を表明していた。

その中で伊藤雄二調教師が注目していたのが、ジェニュインである。

ジェニュインは皐月賞・マイルチャンピオンシップを制しており、天皇賞・秋や安田記念でも2着にはいるなど、現役屈指の実力馬としてその名を轟かせていた。

「勝っても負けても、ジェニュインと何馬身差の競馬ができるかで、今のエアグルーヴの実力を測りたい」

そういった思惑の中、エアグルーヴの札幌記念参戦が決定。そのため陣営としては挑戦者という立場であったと思われるが、当日はジェニュインを抑え、単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持されていた。

スタートするとエアグルーヴと武豊騎手は中団外目を追走。ジェニュインはそれを見るような格好で後方内目を追走していた。

第3コーナーから第4コーナーにかけて、外々を楽な手応えでスルスルと押し上げていくエアグルーヴ。

直線に入ると一気に抜け出し、後続を寄せ付けずにゴールした。試金石と思われたレースは、終わってみれば2着に2馬身半もの差をつける圧勝劇となっていた。

2着に食い込んだのが、この後エリザベス女王杯を勝つことになるエリモシックということもあり、エアグルーヴの強さが際立つ1戦であった。

また、目標にしていたジェニュインは59kgの斤量を背負っていたこともあり4着に終わった。このレースで伊藤雄二調教師は確信を得たという。「まだ仕上がり途上の状態でこの勝ちっぷり。本番の天皇賞・秋も勝てる!」と。

1997年秋 - 確信、そして年度代表馬

秋を迎えたエアグルーヴは、伊藤雄二調教師の確信に違わぬ活躍を我々に見せつけた。

競馬史に残る名レースとして、今なお語り継がれている1997年の天皇賞・秋。

前年の覇者バブルガムフェローとエアグルーヴの2強ムードで幕を開けたレースは、翌年に逃亡者として名を馳せることになるサイレンススズカが前半1000Mを58秒5というハイペースで大逃げを打ち、淀みのない展開へとなっていった。

府中の長い直線に向かい、じわりじわりと前との差を詰めてくるバブルガムフェローとエアグルーヴ。残り200メートルのハロン棒を超えたあたりで逃げるサイレンススズカをとらえると、ゴールまで2頭の一騎打ちとなった。

「バブルか、エアか、バブルか、エアか……エアグルーヴ!!!」

手に汗握る攻防は、ゴール前クビ差でエアグルーヴに軍配が上がった。

天皇賞・秋が2000Mになって以降、牝馬が優勝したのはこれが初。

こうして"平成の女帝"エアグルーヴが誕生したのだった。

その1か月後、興奮冷めやらぬ中、ジャパンカップにもエアグルーヴは出走。結果は前年ながらイギリスからやってきたピルサドスキーにクビ差敗れてしまったものの、堂々たる2着。続く年末の有馬記念でも、3着という結果だった。

そしてこの年、牝馬ながらに天皇賞・秋、ジャパンカップ、有馬記念という秋の王道ローテーションで、3レースともに3着以内に入ったという功績から、エアグルーヴは年度代表馬に選ばれた。

牝馬が年度代表馬に選ばれたのは、1971年のトウメイ以来26年ぶりの快挙であった。

1998年 - 年度代表馬として負けられない札幌記念

明けて1998年。エアグルーヴ陣営は、その初戦として当時まだG2だった産経大阪杯を選ぶ。

前年のオークス・秋華賞を制覇した1歳年下のメジロドーベルとの対決に注目が集まったが、結果はエアグルーヴの勝利。その後は鳴尾記念で2着に敗れ、年度代表馬として出走した宝塚記念では、覚醒したサイレンススズカに敗れ3着となってしまう。

……このままでは終われない!

そんな状況で迎えたのが、連覇のかかった1998年の札幌記念であった。

牝馬ながらに斤量58kgを背負わされていたが、エアグルーヴは単勝オッズ1.3倍という圧倒的支持を集める。

前年のジェニュイン、エリモシックといった一線級のメンバーも出走していなかったこともあり、さすがにここでは役者が違っていた。

第3コーナーから徐々に順位を押し上げてていき、直線半ばで逃げるサイレントハンターを測ったかのように差し切ると、最後は3馬身差をつけての圧勝劇。

まさに横綱相撲といった感じで、年度代表馬の貫録を見せつけたのだった。

1997年は挑戦者的な立場で挑み優勝した札幌記念だったが、1998年はチャンピオンとして負けられないレースであった札幌記念。

エアグルーヴの札幌記念連覇はそういったドラマを感じさせるものであった。


2022年8月17日、伊藤雄二調教師が老衰のため亡くなったとの報せがあった。歴代屈指の好メンバーが揃った札幌記念の開催週のことである。札幌記念では、ドバイターフ勝ち馬パンサラッサ、香港ヴァーズ勝ち馬グローリーヴェイズ、オークス馬ユーバーレーベンらと、前年度覇者のソダシが激突。奇しくもエアグルーヴ以来、史上2頭目となる札幌記念の連覇を目指す舞台を直前に控えての訃報であった。

写真:かずぅん、かず

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