天賦の才能を持つも、志半ばでターフを去った最強のマイル王 エアジハード

怪物グラスワンダーや世界の怪鳥エルコンドルパサーなどの外国産馬が、日本で歴史的名馬として名を馳せた1995年生まれ世代。その世代において王者になれるほどの逸材ながら、常に脚元の戦いに悩まされ、早期引退となった内国産馬をご存じだろうか。

彼の名はエアジハードといった。

サンデー旋風が巻き起こる中、日本で活躍を見せた名馬・名牝たちの血を受け継ぎ強敵となる外国産馬に真っ向勝負を挑んだエアジハード。最強のマイル王になるべく内国産の血を受け継いだ彼は、脚部不安と隣り合わせながらも、多くの競馬ファンにその血の浪漫を伝えるためターフを疾走したのだった。

優駿牝馬の血を継ぐもの

父はテスコボーイから繋がる内国産種牡馬として成功を収めた稀代の快速馬、サクラユタカオー。母のアイシーゴーグルはアメリカGⅠ優勝馬のロイヤルスキーを父に持ち、1987年に誕生し2年間の現役生活を17戦3勝(うちダート2勝)で終えて、社台ファームで繁殖牝馬となった。そしてアイシーゴーグルの母は、1982年の優駿牝馬(オークス)を勝利したシャダイアイバーである。

そんな父母を持つエアジハードは、1995年4月9日に北海道千歳市の社台ファームにて誕生した。

誕生後、社台ファームの牡馬調教担当によれば、菊花賞馬ダンスインザダークと比べても遜色のない印象で、もの凄い切れ味という点でもフジキセキやバブルガムフェローに似ていると言われるほどの素質を持っていた。また、身のこなしがもの凄く柔らかい栗毛のエアジハードは、幼駒の頃から品があり、バランスが抜群とあって、生まれたときから文句なくトップクラスの評価も受けていたという。

そんなエアジハードは、成長過程をグラフにすると、常に右上がりの緩やかな上昇カーブを描きつつ競走馬として完成するという理想形ともいえる、とても珍しい馬だった。

そして、育成が進むにつれ、将来的には朝日杯を勝って当然の馬だとすら言われるようになっていたのである。

天は二物を与えず

しかし、エアジハードは生まれつき膝が反った形だったせいかデビューが大きく遅れてしまう。

そのため、デビュー戦は1997年12月7日の中山競馬場5R芝1200mの3歳新馬戦。奇しくも同日11Rのメインレースが朝日杯3歳ステークスだった。朝日杯が獲れるとすら囁かれる逸材だったはずのエアジハードは、デビュー戦を2着馬に3馬身半差で快勝するも、グラスワンダーが横綱相撲を見せた朝日杯を外から眺める格好となる。

年が明け、次走のカトレア賞(500万下)も危なげなく勝利し連勝。エリート牧場の素質馬は世間から注目される存在となった。

ところが、クラシックを目指し出走した皐月賞トライアルGⅡスプリングステークスではゲート内で暴れ、出遅れてしまう。鞍上の武豊騎手の鞭に応える形で中山の短い直線を猛追するも4着。皐月賞の出走権は獲得できなかった。

しかも悪いことにこの一件でゲート調教再審査。その審査では何回も落ちてしまい、目標だったGⅠNHKマイルカップには直行。約2か月ぶりの実践が響いたのかエルコンドルパサーの8着に敗れてしまう。

しかし、当時は外国産馬版ダービーと言われたNHKマイルカップにおいて、内国産馬として最先着するなど決して卑下する内容ではなく才気の片鱗を見せた。

その後、休養を挟み3歳秋に迎えた条件戦を連勝。ここまで6戦4勝とし、次走を歴戦の古馬たちが集結したGIII富士ステークスに挑むことになった。そして、4番人気に支持されるも1歳上の2歳王者だったマイネルマックスなど古豪馬を抑えて快勝。重賞初勝利を飾った。

こうして、非凡な才能を持ったエアジハードは、ここで無理をせず、翌年春のGⅠ安田記念を目標とし休養へ入ることになった。

怪物との対峙

長期休養を経て、必勝態勢で臨んだオープンクラスの谷川岳ステークス。

しかし、断然の1番人気だったにもかかわらず、先行押し切りを図ったが手前を替え損ねて伸び脚を欠いてしまい、最後は武幸四郎騎手・ナリタプロテクターにクビ差交わされ2着に敗れてしまう。ここで陣営は当時、関東のトップジョッキーだった蛯名正義騎手に鞍上をスイッチ。満を持してGⅡ京王杯スプリングカップに駒を進めた。

しかし、ここには怪物グラスワンダーが紆余曲折あった中での初戦として出走。怪物がエアジハードの前に立ちはだかる格好となった。

それでも早め2番手から抜け出す正攻法で勝負に出たが、大外から凄まじい切れ味で強襲してきたグラスワンダーに交わされ2着惜敗。

この2戦を踏まえ先行策に限界を感じた陣営は、目標に定めた次走の安田記念では怪物グラスワンダーをマークしながら最後の直線で差し脚にて交わす戦法に踏み切ることにした。

そして、迎えた大一番、安田記念ではこれが見事に成功する。プラスして蛯名騎手の好騎乗もあって4番人気ながらシーキングザパールやキングヘイローといった猛者たちを抑え、先に抜け出した1番人気のグラスワンダーをゴール前できっちり差し切った。

結果ハナ差だったが、GI初制覇を成し遂げたのである。

こうして、テスコボーイからの血脈を受け継ぐ馬が、日本競馬界を圧倒していた外国産馬を負かしたということでサクラユタカオーから繋がるサクラバクシンオー、そしてエアジハードといったテスコボーイの血を引く後継種牡馬の評価が高まることにもつながるのであった。

最強マイル王への道も…

その後、春秋マイル王を目指し、秋はGⅡ毎日王冠からGⅠマイルチャンピオンシップを最大の目標とし調整されたエアジハード。しかし思っていた以上に仕上がり悪く急遽予定を変更し天皇賞(秋)に出走することになった。

鞍上は引き続き蛯名騎手となり、5番人気に支持された。レースでは1番人気の菊花賞馬セイウンスカイが得意の逃げ戦法を取ることができず、前走の大敗で支持を落としていたダービー馬スペシャルウィークが復活の勝利を収めた。

一方のエアジハードは、先行して粘りこみの3着。父サクラユタカオーとの父子二代制覇とはならなかったが、マイルのみならず中距離での適性があることも証明した。

そして、秋の大目標であったマイルチャンピオンシップに駒を進めたエアジハードは1番人気で出走。この年のGⅠスプリンターズステークスを制した2番人気のブラックホークや桜花賞馬キョウエイマーチを抑え、レースレコードとなる1分32秒8で走破。見事、春秋マイルGⅠ統一を成し遂げたのである。

これは、ニホンピロウイナー、ノースフライト、タイキシャトルに続いて史上4頭目となる春秋マイルGI優勝となった。

その後、日本マイルの頂点に立ったエアジハードは、年末の香港カップに招待された。

現地でも順調そのもので、勝ち負けになるだろうと予想されていた。

しかし、 レース前に屈腱炎を発症──惜しくもそのまま引退する形となった。

その血は細々と…

引退後のエアジハードは、社台スタリオンステーションで種牡馬入りするも3年目には日高のブリーダーズスタリオンステーションへ移動。さらにはレックススタッドからブリーダーズスタリオンステーションに回され、2013年からは十勝で個人所有の種牡馬として細々と暮らした。

その後、2018年に種牡馬を引退、功労馬となった。

産駒としては、安田記念を父子二代制覇を達成したショウワモダンを輩出。ただし牝馬ではアグネスラズベリら僅かな産駒しか繁殖に上がっておらず、細々と血を繋げている状況だ。

非凡な才能を持ちながら、脚部不安に悩まされ早期引退を余儀なくされたエアジハード。

競馬にタラレバは禁物だが、敢えて言うと無事に競走馬生活を送っていられれば、タイキシャトルともヒケを取らないほどの名馬になったであろう。

それほどまでに強く、美しい馬体から繰り出される栗毛の疾走は多くのファンを魅了した。

写真:Horse Memorys、かず

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