メジロマックイーン降着から18年、娘が制した府中芝2000m~ディアジーナ~

オークスのゲートに収まることができるのは、その世代に生まれ競走馬となった牝馬、約3000頭の内わずかに18頭。
そのオークスや日本ダービー目指して、年に300頭を生産する大手牧場もある。

一方、北海道浦河町の南部功牧場。家族経営で繁殖牝馬はわずかに4頭という小規模な牧場から、オークスの出走馬を送り出した。

それが、ディアジーナである。

受け継がれてきた、シャダイターキンの血脈

ディアジーナの曽祖母であるシャダイターキンは、クイーンカップ7着、フラワーカップ3着などを経て、4歳牝馬特別(現在のフローラステークス)でシャンデリーから離された2着に食い込み、本番のオークスでハナ差の接戦をものにして樫の女王となった名牝である。

そこから社台ファームで繁殖牝馬となり、1980年生まれのジュウジターキン(父:ハンターコム)を生産。
そのジュウジターキンは、梅田牧場で繁殖活動を行い、4番仔のアイネスターキンを生産した。

オークス馬を祖母に持つアイネスターキンは、未出走のまま繁殖入りし、浦河の南部功さんのもとにやってきた。
2年目まで「アイネス」の冠名でお馴染みの小林正明氏名義で所有され、アイネスフウジンが種付けられたが、1996年からは南部さん自身で所有する形で、繁殖生活を送っていた。
毎年のように実力のある

産駒がデビューし、6番仔のコスモラブシック(父:アスワン)は高松宮記念に出走。8番仔のコスモターゲットは京成杯5着となるなど、小さな牧場から活躍馬を出した。

そして2005年6月1日、ラムタナを種付けたが、受胎せず。代わりにメジロマックイーンが選ばれ、少ないチャンスを一回で受胎に成功した。約1年後、2006年6月2日。父メジロマックイーンが死亡した2か月後に、南部功牧場でディアジーナは産まれた。流行りのサンデーサイレンスの血が入っておらず、クロスの無いアウトブリードの仔である。マックイーンと同じ芦毛、500キログラム近い馬体を持つ牝馬に成長していった。

メジロマックイーンの限りなく晩年、2005年の種付け頭数は14。

競走馬としてデビューしたのはわずかに6頭であった。

デビュー、そして連勝で重賞制覇

ディアジーナは、函館の新馬戦でデビューし、北海道シリーズを連戦。札幌の未勝利戦で初勝利をあげた。
その後は、本州に戻り、7戦目の菜の花賞で500万円以下(現:1勝クラス)を制した。

続いて向かったのは、クイーンカップ。
13.4倍の4番人気であったディアジーナの前に立ちはだかったのは、社台ファーム・ノーザンファームの馬たちだった。ディアジーナを除いて、6番人気までをそれら2つの牧場の馬たちが占めていた。
2歳戦を順調に勝ち上がり、GIの阪神ジュベナイルフィリーズで2着ダノンベルベール、3着のミクロコスモスが再び相まみえるとあって、その2頭に人気が集中していた。

好スタートから2番手につけたディアジーナは、進路を十分に確保できる絶好位をとる。

残り400メートル過ぎから仕掛け始め、逃げ馬に並びかけていった。
しかし、その直後にいた馬たちも同じく仕掛けて迫り来る。
白地に赤 、黒地に赤いクロス・黄色い袖、黄色黒の縦縞・赤い袖の3頭が桜花賞目指して襲い掛かった。

内から白赤・ダノンベルベールが伸び、馬体を併せてゴール板を通過。ディアジーナがクビ差残して重賞タイトルを手にした。

賞金を十分に加算し、まだGIタイトルの無かった田村康仁厩舎、馬主のディアレスト、南部さんにとって貴重なGI出走機会であったが、桜花賞には出走せず。そして、父メジロマックイーンの得意とする長距離戦、オークスへ向けて集中することとなった。

18年の時を経て、父のリベンジを果たす

フラワーカップは1.5倍の大本命になったディアジーナだったが、ヴィーヴァヴォドカの逃げ切りに遭い2着に敗れる。

そして、オークストライアルのフローラステークス。
父メジロマックイーンが1位入線18着降着となった天皇賞(秋)と同じ舞台である。
そこで、ディアジーナは4.2倍の2番人気に推されていた。

ここでも、ノーザン・社台ファームが立ちはだかる。
オークスを目指して、ディアジーナを除いて10番人気までを占めていた。

8枠16番という外枠からの発走であったが、良いスタート。
後続が不利を受けないように、よく確認してから好位に陣取った。

メジロマックイーンよろしく、最終コーナーにかけて、逃げ馬との距離を縮めていく。
残り400メートルほどで先頭に並びかけ、残り200メートルでもうひと伸びで単独先頭に立ったディアジーナ。
外から迫るワイドサファイア、ハシッテホシーノと再び、差を広げていく。

後続との差はそれほどかもしれないが、独走態勢とも言える走り。それはまさに、天皇賞(秋)プレクラスニーを置き去りにしたメジロマックイーンのようだった。

そのまま、追い込むワイドサファイアなどを2馬身離し、先頭で入線した。

あの頃のように審議ランプが灯ることなく、すんなり勝利が確定。
父メジロマックイーン唯一の汚点とも言える、天皇賞(秋)から18年後。
自らの死後、娘であるディアジーナが東京芝2000メートルの重賞を制して、汚名を雪ぐこととなった。

いざ、オークスへ

続いて、優駿牝馬、オークスに出走することになったディアジーナ。
先に申しておくと、ただ、産まれた時代が悪かったとしか言いようがない。同期に怪物がいたのである。

1番人気・2番人気は、桜花賞で半馬身差の接戦を演じたブエナビスタとレッドディザイア。
ブエナビスタは6戦5勝、阪神ジュベナイルフィリーズ・桜花賞など5連勝でオークスに参戦。ノーザンファーム生産のスペシャルウィーク産駒である。スペシャルウィークの2005年種付け頭数は、133頭だった。
さらに、人気で続くレッドディザイア。こちらも3戦2勝桜花賞2着という実績馬である。社台ファーム生産のマンハッタンカフェ産駒。マンハッタンカフェの2005年種付け頭数は221頭だった。

なかでも、ブエナビスタは、1.4倍と圧倒的人気を集め、二冠達成濃厚というムードが漂っていた。
そんな中、ディアジーナは10.3倍の3番人気。非サンデーサイレンス、非大手牧場が良血馬に立ち向かうこととなった。

レースがスタート。

ディアジーナは、フローラステークスのように、容易に逃げ馬に並びかけて、抜け出すことのできる好位を確保する。
勝ちパターンに、見事にハマったと思われた。

しかし、ムチが入っても手ごたえ無く、後退。大外からブエナビスタ、内からレッドディザイアが競り合う6馬身ほど後ろで掲示板を確保するにとどまった。

その後、ディアジーナが2頭に挑戦することはなかった。それどころか、ディアジーナが再び芝レースに姿を現すことはなかった。
アメリカンオークス出走のオファーが届いていたが、辞退。秋華賞の前哨戦・紫苑ステークス直前に故障発生し、しばらくして引退、4歳の若さで繁殖牝馬となった。

"黄金配合"により変わった、引退後の道

メジロマックイーンは、その死後、思わぬプレゼントを用意していた。

メジロマックイーン産駒の牝馬にステイゴールドを配合したオルフェーヴルやゴールドシップなどが大活躍。数少ない産駒の中でも、牝馬の重賞優勝馬という貴重な立場であったディアジーナの需要が突如として高まった。
所有はディアレストの高樽氏からノーザンファームに渡り、ステイゴールドを次々と種付け、産駒はノーザンファーム生産馬として走ることとなった。それが、2015年にステイゴールドが死亡するまで続くこととなる。

ディアジーナは、その1年後の2016年、南部さんのもとには戻らず、メジロマックイーンのもとに向かった。

ゴールドアリュール産駒の牝馬を産み落とした、翌週のことだった。

ディアジーナは母として、3頭の牝馬を出産している。

長女のディアマイラブはレース中の怪我により2017年に天へと昇ってしまったが、2頭の妹は無事に引退。繁殖として、次の代へとさらなる夢を繋いでゆく。

写真:Horse Memorys

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