日本の競馬では、26レースものG1レースが行われている。
もちろんどのレースも格式が高く、簡単に勝てるレースなどは一つもない。
しかし毎年5月に行われる日本ダービーだけは、どのホースマンも口をそろえて「絶対に勝ちたいレース」というレースである。
元々ダービーというレースは英国で誕生したものだ。世界各国で、それに倣い、その国の最大級のレースとしてダービーを施行している。それは日本でも同様で、ダービーを勝ったホースマンはその1年間、ダービージョッキー・ダービートレーナーとして称えられる。
それほど、ダービーというのは特別なレースなのだ。だからこそホースマンはダービーを獲ることを悲願としている。
栗東のトップジョッキーの1人、福永祐一騎手もダービー制覇を1つの目標としていた。
ダービー制覇は元トップジョッキーの父洋一さんから託された夢であり、福永家にとっても悲願であった。
福永騎手のダービー初騎乗は1998年、3番人気のキングヘイロー。いきなり有力馬でのダービー騎乗だったものの、結果は14着と大敗だった。
その後約20年間、ほぼ毎年騎乗しながらもダービー制覇はなし。
1番人気だったワールドエースや、後にG1を2勝するエピファネイアでも、勝つことは出来なかった。
──勝てそうで、勝てない。
そんなもどかしいダービーが続いていた。
迎えた2018年の日本ダービー。
この年の福永騎手の騎乗馬はワグネリアン。
無敗で重賞を制覇した、世代トップクラスの実力馬だ。
しかし皐月賞で7着に大敗、さらには2歳王者ダノンプレミアムの参戦もあり、ワグネリアンは5番人気まで人気を下げての出走となった。しかも枠は8枠。ダービーにおいて8枠は相当な不利であり、友道調教師や福永騎手もどこか後向きのコメントを発していたように思えた。
今思えば、これも人気が下がったことにつながっていたのかもしれない。
しかし結果的に、この8枠が勝利のカギを握ることとなった。
12万人もの人が見守る中、レースはスタートする。
ハナを奪ったのは、なんと皐月賞馬エポカドーロ。二冠制覇に向けて気合の逃げを見せる。場内はここで一度どよめいたが、さらに続いてもう一度、どよめいた。
皐月賞では後方を追走していたワグネリアンが、先団に位置していたのだ。
実は福永騎手は皐月賞を「消極的なレース」と捉えていた。ダービーではその反省をもってして騎乗することを心がけていた。加えて8枠という不利な条件も「積極的なレース」の後押しをしたのだろう。
結果的に、ワグネリアンは6番手で折り合う。
そして迎えた、4コーナー。
ワグネリアンは外に進路を取った。
逃げたエポカドーロが粘る。
最内からは1番人気のダノンプレミアム、真ん中からはコズミックフォースがジワジワ伸びる。ワグネリアンもジリジリとではあるが、脚をのばす。
そして残り200mを切って、ワグネリアンが一気に伸び始めた。
必死に追う福永騎手。
対するエポカドーロの戸崎圭太騎手も初のダービー制覇に向けて追い続ける。
初のダービー制覇へのたたき合い。
勝ったのは、福永騎手のワグネリアンだった。
ゴール板を過ぎた瞬間、雄叫びを上げ右手で握りこぶしを作った。
20年の思いが詰まった、握りこぶしだった。
96年のデビュー以来、苦節22年での悲願達成。
このダービーは福永騎手自身が手繰り寄せた勝利と言っていいだろう。
多くの逆境に立ち向かい、自ら夢への道を切り開いた。
12万人の観衆はそんな福永騎手に魅了された。
ダービーデーの府中。勝負の後の競馬場は、なんとも充実した幸福感に包まれていた。
写真:かぼす