「挫折」と「栄光」を味わった初代"秋華賞馬"ファビラスラフイン

これまで名牝と呼ばれ活躍した馬は多数いるが、中には引退後に“走る産駒”を残して名牝と呼ばれるケースもある。

その2つの要素を兼ね備えた馬として、真っ先に思い出されるのがエアグルーヴ、という方も多いだろう。

そんなエアグルーヴは、母仔二代でオークス制覇、母としてはアドマイヤグルーヴやルーラーシップを生み、その血はドゥラメンテなどに継承され、現在も大きく広がっている。まさに真の名牝と呼ばれるに相応しい活躍だろう。

そのエアグルーヴは、現役生活の全19戦で馬券圏内を外したのは僅か2回だけと素晴らしい戦績を収めたが、その中で唯一大敗を喫したのが、秋華賞(G1)である。

記念すべき第1回の秋華賞は、1996年に開催された。

断然の1番人気はオークスを制したエアグルーヴで、単勝オッズは1.7倍。2番人気のヒシナタリーが単勝7.1倍だったことが、まさにエアグルーヴ一色の状況を物語っている。

多くのファンは、初代秋華賞馬はエアグルーヴと、彼女の牝馬二冠達成を疑っていなかった。

──しかし。

結果は、第4コーナー手前で鞍上の武豊騎手がムチを入れるほど手応えが悪く、最後の直線でも伸びることなく10着に敗れたのである。

これは、パドックでのフラッシュ撮影によるイレ込み、レース中の骨折が原因とされている。

そんな絶対女王の不調を尻目に勝利をもぎ取ったのが、フランス産馬のファビラスラフインだった。

フランスの天才少女が味わった挫折

ファビラスラフインの父、ファビュラスラスダンサーは主にフランスで走り4戦4勝と早い時期から活躍したが、アイルランドダービー(愛G1)や凱旋門賞(仏G1)で大敗し生涯でG1勝ちの実績はない。しかし、世界的大種牡馬ノーザンダンサーの直仔だったためか、種牡馬入りを果たした。

逆に母のメルカルは、4歳時にフランスのカドラン賞(仏G1)を制している実績馬。母の父はカルドゥンは1980年代にフランスで一世風靡した種牡馬であり、ファビラスラフインは、まさにフランス一色という血統である。

それをフランスのセリにて、吉田善哉氏が約1000万円で落札した。

吉田氏は、ファビラスラフインよりも本当は母のメルカルの方が欲しかった…という逸話もあるそうだが、母の代替で購入された芦毛の牝馬ファビラスラフインは、3歳(現2歳表記)の5月までフランスで育成を受け、そこから異国の地である日本に渡り、翌1996年2月に日本でデビューした。

デビュー戦となったのは、阪神1200mのダート戦。2着に7馬身差を付ける圧勝劇を披露する。続く2戦目も同じ阪神競馬場。今度は芝1600mの条件戦だった。

おそらく、陣営は芝・ダートの適性を見極めるために試行錯誤をしたと思われる。ところが、そんな陣営の試行錯誤を嘲笑うかのように、ファビラスラフインは、ここでも2着のナリタプロテクターに5馬身差を付け圧勝した。

もしかすると、恐るべき外国産牝馬なのか──と話題になった中で迎えた次走・ニュージーランドトロフィー4歳S(G2)は、真価の問われる一戦となった。

このレースには、のちに重賞馬となるエイシンガイモンやスギノハヤカゼ、ゼネラリストら実力馬が出走。そうした実力馬に囲まれながらも、ファビラスラフインは堂々の1番人気に応えての逃げ切り勝ちを果たしたのだった。

ここまで、無傷の3戦3勝。ファビラスラフインは、この年から秋華賞と同じく新設されたNHKマイルC(G1)の主役の座に躍り出るのである。

当時、外国産馬にクラシック出走権が与えられなかった時代である。彼女のNHKマイルCは「フランスの天才少女、無傷で初代王者か?」と競馬界を沸かせた。まさに“外国産馬のファビラスラフイン”のために用意されたレースと呼びたくなるほどの条件。当然の1番人気に支持された。

ところが、バンブーピノによる暴走ともいうべき1000mが56秒7という超ハイペースに巻き込まれたファビラスラフインは、直線で失速し14着に惨敗。初の黒星という「挫折」を味わう結果となってしまうのであった。

フランスの天才少女が勝ち取った「栄光」

夏の休養を経て、秋は初開催となる秋華賞に出走を表明したファビラスラフイン陣営。松永幹夫騎手に乗り替わり、NHKマイルCで味わった「挫折」を覆すため、万全を喫した。

ただ、このレースには先述したように、のちに「女帝」と称される絶対女王のエアグルーヴが参戦。大方はエアグルーヴが絶対的存在と見ていて、ファビラスラフインは前走の敗退やそれ以来のレースに疑問を持たれたか、5番人気と伏兵扱いとなってう。

蛇足だが、前年まで牝馬三冠に位置し、4歳馬(現3歳表記)限定だったエリザベス女王杯(G1)は、この年から古馬に解放される形となり、距離も2400mから2200mに短縮。文字通り、世代を超えた牝馬最強決定戦の位置付けとなっている。

そのために秋華賞が牝馬三冠のラスト一冠となるわけだが、秋華賞はクラシック競走には該当しないため、あくまでも“牝馬三冠”レースの1つとなる。現在もクラシック競走とされているのは、皐月賞・日本ダービー・菊花賞の牡馬三冠レースと桜花賞・オークスの5つだけである。

──さて、記念すべき第1回の秋華賞。もちろん、第1回開催とあって、後にも先にも歴史に名残すことになるのは間違いない。

結果は先述の通りである。ファビラスラフインは、前を走るシルクスプレンダーとマークリマニッシュを見る形で追走。最後の直線でそれらを交わすと一気に後続を引き離した。

あくまでもタラレバだが、もし、エアグルーヴにアクシデントがなければ、世紀の一騎討ちが見られたかも知れない。しかし、そのエアグルーヴは馬群に沈んだ。ファビラスラフインは、最後に追いこんできたエリモシック(翌年のエリザベス女王杯の勝ち馬)に1馬身半差を付け、G1初制覇を果たしたのであった。

「うわあ、これはすごい競馬になった!」という実況が今でも耳から離れないほど、大方の予想が覆された、印象深い記念すべき第1回大会となった。

こうして、フランスの天才少女は春先に「挫折」を味わい、秋に「栄光」を勝ち取った。

世界を相手に名を残す

見事、初代の秋華賞馬となったファビラスラフイン。次走ではエリザベス女王杯に駒を進め、真の女王決定戦に挑むと思われた。ところが、向かった先は世界の強豪が集結するジャパンC(G1)だった。

この年のジャパンCは、凱旋門賞馬エリシオ、昨年に引き続きの参戦となったアワッドやストラテジックチョイスと、海外からも豪華な顔ぶれが揃った。一方の日本馬は、NHKマイルCでファビラスラフインを撃破したタイキフォーチュンや前年のオークス馬ダンスパートナー、そして4歳(現3歳表記)にして天皇賞・秋(G1)を制したバブルガムフェローなどが参戦し、豪華な海外馬を迎え撃つ一戦となった。

そんな中で秋華賞馬ファビラスラフインは7番手と、またしても伏兵扱い。ところが、フランス生まれの天才少女は、下馬評を覆す走りを世界に見せつけるのである。

レースでは、早め先行から抜け出しを計り、先頭に立ち追ってくるストラテジックチョイスと競り合う中で間を割ったのが、この年のエクリプス賞最優秀芝牡馬に輝くことになるシングスピールだった。

最後は、そのシングスピールと接戦になり、ゴール前までもつれ込んだが惜しくもハナ差の2着に敗れた。なお、この接戦は『死闘』とも表現されるほどで、その名は世界のホースマンたちに知らしめることになったのは言うまでもない。

天才少女の名は、今もなお…

暮れの有馬記念(G1)は10着に敗れたものの、秋華賞の勝利とジャパンCで2着という実績が評価され、この年のJRA賞最優秀4歳牝馬のタイトルを手にしたファビラスラフイン。

あのエアグルーヴを差し置いてのタイトル獲得は、まさに歴史に名を残した名牝だろう。

残念ながら、有馬記念を最後に屈腱炎を発症し引退。母としては、ライバルのエアグルーヴには差をつけられてしまったと言える。

それでも、16年後に三冠馬オルフェーヴルが大暴走を繰り返した伝説の阪神大賞典(G2)で勝ったギュスターヴクライは、ファビラスラフインの息子である。

今もなお、フランスの天才少女の血は、孫・ひ孫に受け継がれ、ターフを賑わしている。

写真:かず

あなたにおすすめの記事