永田厩舎で預かってもらえるかどうか分からなくなり、どこの競馬場で走らせるか白紙に戻ったところで、僕の中になんとも言い難い突っかかりのようなものが生じていました。今、競馬の世界にはバブルが訪れています。はっきりと覚えていますが、僕が初めて日高の碧雲牧場に遊びに行って、長谷川さんと会ったあの年を境に馬が高く売れ始めました。安倍政権が誕生し、3本の矢の1本として打ち出された金融緩和政策によって、日銀はお金を刷りまくり、実体経済とは裏腹に、お金があるところには余り始めました。そんなお金が向かうのは株式市場であり、ビッドコインであり、サラブレッドだったのです。
その傾向は、コロナ騒動が始まった2020年になっても変わりませんでした。日本経済全体は大きくバランスを崩しましたが、そんなこととは関係なく、むしろ金余りの現象は加速していきました。どこかの時点でリセットされるまで、実体経済とはかけ離れた、余剰なお金が競馬の世界に流れ込むという傾向はますます強くなるはずです。つまり、誰もが適正な価格で馬を買うことが難しくなるということです。
また、オグリキャップが一世を風靡した競馬ブームの頃に競馬を始めたアラフィフ世代から、運よく成功を収めて経済的に余裕が出てきた人たちが少しずつ生まれてきたという背景もあるはずです。これは悪いことではありません。氷河期世代と言われた1975年前後に生まれた僕たちは、ちょうど社会に出るときにバブルが弾けた影響もあって、正規の仕事に就けずにアルバイトで食いつなぎ、キャリアを築けなかった人たちがたくさんいます。
たとえば早慶レベルの大学を卒業した新卒でも、いわゆる大企業は狭き門であり、大手家電量販店の正社員になるために面接を第10次ぐらいまで重ねてようやく就職できるような時代でした。自分のやりたい仕事なんていうは寝言であり、普通の大学を出た人たちは仕事にありつけるだけでラッキー。そのような状況を利用して、辞めるなら辞めても代わりはいくらでもいると企業はブラックな労働を強い、僕たち若い世代を使いつぶして成長していきました。嘘のような本当の話です。
僕たちの中にはブラックな職場の環境に精神的に病んでしまった人も多くいますし、今でも正規の仕事になかなかつくことができずに年を取り、家庭を持てなかった人もたくさんいます。何とかそんな中から死ぬ気で這い上がった、運良く抜け出せた人たちが、若い頃から好きだった競馬の世界で馬主になろうと思うのは当然の流れです。僕もその一人ですから。
馬主になりたいという人が増え、さらに中央競馬で馬が溢れて出走できない状況が続いたことで、地方競馬にも馬が流入し、馬房が埋まっていきました。馬券がネットを介して売れていることで、地方競馬の賞金も上がり、そのことも地方競馬への馬の流入を後押ししています。今となっては、預かってもらえる厩舎を探すのも困難な時代であり、これ以上、地方競馬に馬が増えると中央競馬と同じような状況になりかねません。出走したくても抽選に漏れてしまって出走できないという、馬主にとっては理不尽極まりない状況です。
そんな現象は南関東から始まり、園田や高知を経て、最終的には岩手や佐賀にも訪れるかもしれません。生産者や厩舎関係者にとっては望ましい状況ですが、馬主にとってはどうでしょうか。まさにレッドオーシャンなのではないかと思うのです。僕はビジネスモデルを考えることが大好きでピンとくるのですが、今さら足を踏み入れてはいけない事業領域なのではないでしょうか。下りのエスカレーターを一生懸命に上っていくあの感じ。競馬が好きだから馬主になりたいという想いを抜きにすれば、馬の値段は上がり、厩舎を探すのが難しい、今の馬主業は構造的に苦労やコストばかり掛かって儲からない事業ですね。
僕の中で揺らぎが生まれ始めました。馬主になる話を語り始め、馬主資格まで申請したのに今さらかよと叱られそうですが、僕の正直な気持ちとしては、わざわざ皆がこぞって参入しようとしている時期に、自分も同じことをするのはバカバカしいと思ってしまうのです。僕には昔からそういうひねくれたところがありました。ひねくれているだけではただのあまのじゃくになってしまいますので、大人になった僕は、少し考え方をずらしてみることにしています。真っ向から否定するのではなく、あらゆる角度の視点から見てみたり、少し違ったやり方を探してみたり、異なるドアから入ろうとしたり。
いわゆるピボット(方向転換)というやつです。昔、僕は野球やサッカーなどの球技が好きだったのですが、バスケットボールだけは苦手としていました。その理由のひとつとして、ドリブルをしていない状態で3歩以上歩いてはいけないことによる、あの片足を軸としたピボットという動きがどうにも合わなかったのです。バスケットボールをやっている方には怒られるかもしれませんが、あの動きってどう考えても不自然じゃありませんかね。なんでこんな不自然なことしなければならないのだと思いながらプレーしていると、ボールを横から叩かれて取られてしまったりしていました(笑)。完全に話が脱線してしまいましたが、まさかアラフィフになって、馬主としてあのピボットをする羽目になるとは思いも寄りませんでした。
僕は少し先回りして考えてみることにしました。未来へのビジョンとして漠然と抱いていた生産にそのまま行ってしまう。馬主の部分をショートカットして、ひと足跳びに生産を手掛けてしまうということです。馬をセリで買うのではなく、繁殖牝馬を購入し、自分で配合を考えて種付けをして、オーダーメイドの馬をつくるということです。自分でつくった馬を自分で走らせても良いし、誰かに買ってもらっても良い。ゴールドラッシュの時代に一番儲かったのは、金を探しに行った冒険家ではなく、金を採掘するために必要であったツルハシを売った人だったというあれです。現状においては、馬を購入して走らせる馬主がゴールドハンターだとすると、馬を生産する生産者がツルハシを売る商人ではないのでしょうか。
とはいえ、さすがに土地を買い上げて、土を耕して、草を植えて、牧場を作ることから始めるわけにはいきません。今すでに牧場を経営されている生産者の方々にお願いして、繫殖牝馬を預かってもらい、仔馬を育ててもらうしかありません。それは馬を自分で生産することになるのかと問われると、そうではないと答えるしかありません。まあ、サラブレッドを生産する事業に投資をして、少しだけかかわらせてもらうという形ですね。すでにつくられた馬をセリ市で買うよりも、すでに競走馬として走ったことのある馬をサラブレッドオークションで落とすよりも、自分で選んだ繫殖牝馬に自分で決めた種牡馬を配合して馬を誕生させる方が、ずいぶんと時間はかかっても、クリエイティブな気がしてきました。
(次回に続く→)