[連載・馬主は語る]馬は第6感の優れた動物(シーズン2-43)

2日目の夜、叩き起こされることを期待しつつ寝ましたが、朝起きてみると、窓の外ではスパツィアーレが相変わらずのんびりと草を食べています。残された時間はあと半日です。今日の15時30分のチケットを取りましたので、牧場にはお昼ぐらいまでしかいられません。

ドラマや映画であれば、タイムリミットのギリギリになって、「生まれそう!」って話が展開するのですが、現実はまったくそういきません。何も起こることなく平和にお昼を迎え、出発する時間になりました。スパツィアーレには「お腹重いのに産まれなくてつらいね。早く無事に生まれるといいね」と声をかけ、僕は帰途につきました。母馬は自分の意志で産むわけではなく、お腹にいる子どもから外に出たいという指令を受けて陣痛が始まるそうです。スパツィアーレがいちばん、まだかまだかと待ちわびていたのかもしれませんね。スパツィアーレの綺麗で優しい瞳はお母さんのそれでした。

東京に戻ってからは、たまっていた仕事を片付け、心の片隅ではスパツィアーレを心配していました。あれだけお腹が大きくなっているので、あまり出産が遅れると、難産になってしまうのではないか。そこだけが気がかりでした。僕が立ち会っても何もできませんし、たとえ出産が遅れても、無事にさえ生まれてきてくれたらそれで良いのです。

翌日の夜、牧場から連絡がありました。スパツィアーレの仔が無事に生まれたとのことです。「大変でしたね」と伝えると、「とんでもないスピード出産でした」と返ってきました。産むまではあれだけ待たせたのに、いざ産むとなったらすぐに生まれて、とてもスムーズだったとのこと。まさに仔馬が出てくる誕生シーンの動画も撮影してくれて見ましたが、ほんとうにスルリと出てきて、ほとんどいきむことも苦しがることもない安産でした。誕生したのは、額に太い流星のある男の子でした。スパツィアーレも大きな馬ですが、父であるルーラーシップも大柄な産駒を出す種牡馬なので、子どもが大きくないはずはありません。「とても立派な男の子です。推定65kg!」とのこと。

冷静になって振り返ってみると、僕が帰った翌日に産んだということは偶然ではなく、必然だったのかもしれません。スパツィアーレにとっては、普段いない人が突然やってきて、何かを察したというか、どこか様子が違って緊張していたのかもしれません。僕がやってきたことで、牧場の人たちもどこかソワソワして、そんな雰囲気がスパツィアーレに伝わっていたのかもしれません。だからこそ産まなかった。僕が去って、知っている人だけの日常がやってきた途端に安心して産んだのではないかと思います。そう考えると、スパツィアーレには申し訳なかったなと思います。そして、「馬は第6感が人間よりも優れている」と言ったNo.9ホーストレーニングメソド代表の木村忠之さんの言葉を思い出しました。

馬は第6感の優れた動物です。ほ乳類の中ではトップクラスではないでしょうか。私たち人間には見えていない何かを感じているのだと思います。僕が預かったライジングウェーブなんて、パドックで私に気づいて立ち止まったことがあったのですよ。あれだけたくさんの人々が見ている中で、かつて自分の背にいた人間を一瞬で見分けるのです。スピリチュアルな話だと思われるかもしれないけれど、私たちにはない特別な感覚を持っていることは、馬を扱っていてつくづく感じますよ。

馬は人間の気を背負って走るんです。人間の気持ちは馬に伝わる。ダメだ思ってレースに送り込めば、絶対にダメな結果が出ます。誰の気を最も背負うかというと、その馬がボスと認めた人じゃないでしょうか。運勢的には馬主さんの運を背負って走ると僕は思っていますけど、自分の世話を全てしてくれる、いちばんのパートナーである厩務員さんがボスになりやすいと思います。

だからこそ、パートナーがころころ変わるのは、馬にとっては迷惑な話なんじゃないかと僕は思います。ビジネスとしては仕方ない部分もありますが、馬は誰を頼って良いか分からなくなってしまうのではないでしょうか。今の競走馬は本当に可哀想だなと思います。昔であれば、ずっと同じ厩務員さんと一緒にレースに行って、同じ場所に帰ってきて、少しリフレッシュするために、生まれ故郷の北海道へ放牧に出て、再び馴染みの厩舎に帰ってきてという。あまり人が変わらなかったんですよ。それに対して、今は調教師も牧場も育成場もビジネス優先になっている気がするんですよね。もちろんビジネスも大事ですけど、僕は馬が好きでやっているから、馬の気持ちも大切にしてほしいなと思います。

──「ROUNDERS」vol.1 馬を再生させるー木村忠之の仕事より引用

人間は視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の5感を使って世界を理解するのに対し、サラブレッドは第6感、つまり直感というか、空気を感じ取る感覚が優れているということです。木村さんはスピリチュアルな話だと思わるかもしれないけどと前置きしていますが、長年サラブレッドにたずさわってきたホースマンの実感なのだと思います。個人的な体験であるがゆえに多くは語られなくとも、馬には第6感があることを誰もが知っているのです。

それにしても、馬は人間の気を背負って走る、人間の気持ちは馬に伝わるという話には胸が締め付けられそうですね。言葉や態度に出さなくても、僕たちが考えていることは馬には伝わってしまう。表面的には良いことを言って、良い人のふりをしても、馬には分かるということです。自分のことを愛情を持って扱わない馬主や厩務員、生産者のために馬は一生懸命に走ってくれないでしょうし、その逆も然りということです。まさに藤沢和雄元調教師の言っていた「ハッピーピープルメイクハッピーホース」に通ずるところがあります。馬を幸せにしたいならば、僕たちも幸せな人間になれなければならないのです。

(次回へ続く→)

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