[連載・馬主は語る]馬主を夢見る(シーズン1-1)

「本書の印税は全て、競走馬を買うことに使わせてもらいます」と拙著「馬券は語る」の帯に書き、いよいよ僕は1頭持ちの本当の馬主になることを決意しました。本当のという表現は相応しくないかもしれませんが、一口馬主ではなく、共有馬主でもない、自分名義の馬を持つ馬主ということです。オグリキャップが有馬記念でラストランを飾った年に競馬を始めてから、まさか30年もかかると思いもよりませんでしたが、ようやく馬主への一歩を踏み出すことになったのです。

僕が馬主というものに憑りつかれていたことを示すエピソードを紹介します。かつて国立競技場でアルバイトをしていたことがありました。たとえば、ラグビーの早明戦やサッカーなどの大きな試合があるとお呼びがかかって、チケットのもぎりや競技場内での案内を行います。このアルバイトの良いところは、運が良ければ、仕事中にスポーツ観戦が無料でできることでした。運が悪いと、競技場の外にある駐車場に配属させられることもあります。車でやってくる入場者を誘導し、適切な場所に駐車してもらうのです。

ある日、僕は初めて駐車場の係に任命されました。試合が観られないことを残念に思いつつ、新しい場所での仕事を覚えようと、背筋を伸ばして駐車場の入口に立ちました。次々と入ってくる車を空いているスペースに導いていると、あっと言う間に時間が経ちます。

しばらくしてホッとひと息つき、ふと目を上げたところ、フロントガラスの右上に「馬主」と書かれたステッカーのようなものが貼られた車が目の前を通り過ぎました。ああ、馬主か、今日は競馬場に行かず、ラグビー観戦に来ているのだな、まあ毎週自分の馬が出走するわけでもないし、などと思いました。

ところが、次にやってきた車にも同じ「馬主」のステッカーが。何という偶然だろう、こういうところに車で観戦に来るような人はお金持ちで、馬主の人が多いんだなあ、うらやましい、と心の中で独りごちました。しかし、次の車もまた同じ。駐車場の入口のところで並んで待っている4、5台の車を見渡してみると、すべての車に「馬主」のステッカーが貼ってあるではないですか!目をこするとはまさにこのことで、さすがにこんなにも全員が馬主であるはずがないと僕は自分を疑いました。

しばらく冷静になって考えてみると、そのステッカーに書かれていた文字は、「馬主」ではなく「駐」であったのです。僕以外の誰が見ても間違わないと思うのですが、それは駐車場に入るための専用のステッカーでした。駐車場の「駐」かよ!と気づいたとき、僕は己の愚かさを恥じるとともに、自分の心がいかに馬主という概念に支配されているかを思い知らされたのです。どれほどまでに僕が馬主になることに恋焦がれてきたか、お分りいただけたでしょうか。

これから新米馬主になろうとしている僕が、「馬主は語る」というタイトルの連載を始めるのはおこがましい気持ちもあります。僕は金子真人さんやドクターコパさん、山口功一郎さんのような中央競馬に何頭も所有する大物馬主ではありませんし、馬主としてはピラミッドの底辺の養分にすぎないのも百も承知です。しかし、地方競馬であっても、馬主資格さえ取ってしまえば馬主であることは事実です。もしかするとセレクトセールで1億円超えの馬を購入するかもしれず、天下のノーザンファームなどの生産者にとっても僕はお客様のひとりなのですから、小さな声であれば馬主を語っても怒られませんよね。

地方競馬で馬主になることを前提として書きましたが、実は中央競馬(JRA)で馬主資格を取得することも検討してみたこともありました。中央競馬の大きな舞台やステータスにはあこがれますし、馬主席の豪華さやそこに集う人たちの華やかさは魅力的です。せっかく馬を持つなら中央競馬でと思わないわけがありません。

僕の胸の奥でマグマのように煮えたぎっている願望のひとつに、G1レースのパドックを内側に入って見るというものがあります。外からと内からでは見える世界が全く異なることを知っているからです。それは視点の違いということだけではなく、住む世界が違うという意味でもあります。一度でも良いから、向こう側の世界に入ってみたいという野望を抱えて、僕はいつも外からパドックを眺めていたのです。

しかし、調べれば調べるほど、中央競馬の馬主資格のハードルは高いということが分かります。「中央競馬 馬主」と検索してJRAのホームページを見てもらえば、詳しいことは書いてありますので割愛しますが、ざっと直近2年間の年間所得1700万円かつ資産7000万円です。年間所得が1700万円ということは、年収にすると優に2000万円は超えていないといけない計算になります。

個人的なことを少し明かすと、僕は零細企業の代表取締役を務めていますので、自分の年収は自分で決めることがある程度可能です。これまでは自分の給与を抑えて、会社の利益として計上していたものを、全て自分への役員報酬として振り分けることにすれば、かなり無理はありますが達成できない数字ではありません。今から役員報酬をいじることで、会社の財務状況は苦しくなったとしても、2年後には数字上は年間所得を取り繕うことはできるはずです。

それよりも、資産7000万円が大きな額だと知りました。実家に電話をかけ、父親にあやしまれないように(本当のことを言うと治郎丸家の資産を馬なんかに使うつもりか! と怒られかねないので笑)、僕名義の土地や建物の評価額をたずねてみたところ、大体2000~3000万円ぐらいであることが推定できました。大体というのは、土地などの資産は変動するものであり、僕の実家がある岡山県の土地価格など下落の道をたどることは日の目を見るよりも明らかです。多く見積もって3000万円だとしても、残り4000万円は貯蓄や株式、投資信託などを保有していなければいけません。貯金も苦手、株もほとんど興味がなく、投資信託は親に勧められたアメリカ型のREETを付き合い程度で買ったぐらいですから、文字どおりにお金をかき集めてみても、1500万円程度しか用意できそうにありません。

おいおい自慢かよと思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、僕自身は何不自由ない暮らしをさせてもらっていると感謝していますし、苦しい生活をしている方々がいることも知っています。ただ、中央競馬の馬主とはそういう世界なのです。僕からすれば、必要以上にお金を持っている人たち、もしくはお金が余って仕方がない人たちでなければ、中央競馬の馬主にはなれそうにないのです。基本的には努力を継続すれば何とかなると思って生きてきた僕でも、さすがに今回ばかりは現実的でないと諦めることにしました。

(次回へ続く)

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