『ウマ娘』で思い返された「メジロ」の栄光 - 世界に羽ばたいたグローリーヴェイズ
1.羽ばたく雛鳥

Cygamesが手掛けるゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』のストーリーイベント、「A Gleaming Mejiro Gala」には次のような会話がある。

メジロラモーヌ
そういうものよ。雛鳥の旅立ちは。
愛らしく見上げてきた瞳は、いつの間にか空を 見据え、羽ばたきの意志をたたえる。

メジロライアン
……雛鳥の旅立ち……ああ、そっか……
だから、嬉しいのに……寂しくて……こんな気持ちに……。

──「A Gleaming Mejiro Gala 第6話 空っぽの両手みつめて」(『ウマ娘プリティーダービー』Cygames)より引用

これは、幼い頃から見守ってきたメジロブライトとメジロドーベルの成長を感じたメジロライアンに、メジロラモーヌが話しかける場面である。話の流れとして、ここでの「雛鳥」は当然ながらブライトとドーベルを指す。

しかし、この「メジロライアン」と「メジロラモーヌ」が並ぶ会話から、ある一頭の名馬を連想したファンもいたかもしれない。

母メジロツボネ、父ディープインパクトのGⅠ馬、グローリーヴェイズである。

母のメジロツボネの、さらにその母であるメジロルバートは、メジロライアンとメジロラモーヌの間に生まれた。まさに上記2頭の血を受け継ぐ馬である。

そして父ディープインパクトは引退レースでその走りを「翼を広げた」と称された名馬。

ライアンとラモーヌが語る「空を見据えて羽ばたく雛鳥」に、この馬の存在が重ねられていると考えるのは、穿ち過ぎだろうか──。

グローリーヴェイズを生産したのはレイクヴィラファーム。北海道洞爺湖町にあるこの牧場に対する感慨は、個々人で大きく分かれるだろう。若いファンにとっては、グローリーヴェイズをはじめ、トリオンフやカフジオクタゴン、ライトバックなど重賞戦線の活躍馬をコンスタントに出す生産牧場というイメージになるかもしれない。しかしある一定の年代より上のファンになると、その前身を思い起こすのではないだろうか。

2.メジロ牧場の栄光

レイクヴィラファームの前身であるメジロ牧場は日本競馬史を語る上で欠かせない存在である。北野豊吉オーナーが1967年に北海道伊達市に設立したこの牧場は、多くの重賞馬・GⅠ馬を輩出してきた。

その筆頭として挙げられるのが、北野オーナーの所有馬・メジロアサマの産駒であるメジロティターンである。1982年の天皇賞(秋)を当時のレコードで勝ち、アサマとの父子制覇を果たした

1986年には「魔性の青鹿毛」メジロラモーヌが史上初の牝馬三冠を達成。1991年から1993年にかけては、メジロライアン→メジロパーマー→メジロマックイーンという同世代3頭(マックイーンは厳密には吉田ファームの生産馬)による宝塚記念3連覇という偉業を成し遂げた。ティターンの仔・メジロマックイーンはアサマから続く父子3代天皇賞制覇も達成し、「メジロ」は日本競馬において確固たる地位を築いた。

その次の世代においては、天皇賞馬メジロブライトや二冠牝馬メジロドーベルといったライアン産駒が活躍。ところが、天皇賞を中心とした長距離路線を重視するメジロ牧場の方針は、スピードが求められる日本競馬の潮流とそぐわなくなってくる。2000年の朝日杯3歳S勝ち馬メジロベイリーを最後にGⅠ馬を輩出できず、成績は低迷した。

その後、本場を洞爺湖町に移転するなどして逆転の時を待つも、東日本大震災の影響によって賞金収入が減少したことなどを理由に解散を決断。2011年に、その歴史を終えた。

しかし、メジロ牧場の伝統を絶やさないため、牧場の専務であった岩崎伸道氏が代表に就任し、ノーザンファームの吉田勝己代表の支援を受けてレイクヴィラファームとして再出発。「メジロ」時代のようなオーナーブリーダーではなく、生産馬をセリで売却するマーケットブリーダーへと転身して今に至る。また、2010年代前半には「メジロの血」の優秀さも改めて注目されていた。メジロ牧場が解散した2011年の三冠馬オルフェーヴルは母父がメジロマックイーン。翌12年の二冠馬ゴールドシップも母父マックイーンであった。

「メジロ」の名は無くなってもその道は絶えていない。ゴールドシップが阪神大賞典3連覇の偉業を達成した2015年にレイクヴィラファームでメジロツボネの初仔として生まれたのがグローリーヴェイズであった。

3.海を越えて掴んだGⅠのタイトル

2016年のセレクトセールにてシルクホースクラブに落札されたグローリーヴェイズは、美浦の尾関知人調教師の管理馬となる。尾関調教師は、メジロドーベルやメジロファラオなど「メジロ」の名馬を数多く手掛けた大久保洋吉調教師の下で調教助手を務めた経歴を持つ。ここにも道は継承されていた。

無敗三冠のディープインパクトや牝馬三冠のメジロラモーヌの血を継ぐグローリーヴェイズであったが、3歳までは体質の弱さがあり、使うレースを選びながらの出走となった。それでもGⅠ初出走となった菊花賞で大外枠から5着と健闘するのだから、その素質は高いものがあったと言えるだろう。

年が明けて2019年。古馬となった初戦の日経新春杯で重賞初制覇を飾ると、天皇賞(春)では長距離王フィエールマンのクビ差2着と惜しい結果に。秋初戦の京都大賞典は折り合いを欠いて6着と敗れるものの、尾関調教師は海外遠征を決断。沙田競馬場への適性を見込んで香港ヴァーズに出走した。レースは馬込みに包まれる展開となったものの、コンビを組んだ「マジック・マン」ジョアン・モレイラ騎手の見事な進路取りで抜け出し、前年覇者エグザルタントを捉えると、エリザベス女王杯の勝ち馬ラッキーライラックの追撃も完封。レイクヴィラファームに初のGⅠタイトルをもたらした。

しかし、好事魔多し。順調に見えたグローリーヴェイズの前途であったが、新型コロナウイルス感染症の流行がそれを阻んだ。翌2020年、海外GⅠ連勝を狙ってUAEに遠征したものの、ドバイワールドカップデーが中止となったため帰国。天皇賞(春)も調整が難しいために参戦を断念し、宝塚記念に出走したが17着と大敗する。狂いが生じた歯車を戻すべく、秋初戦は前年敗れた京都大賞典が選ばれた。

前走宝塚記念2着の6歳馬キセキ、古馬になってから4連勝で目黒記念を制した4歳馬キングオブコージに続く3番人気に支持されたグローリーヴェイズは、道中5番手を追走。直線で外から抜け出すと、後方からの競馬を選択したキセキとキングオブコージの追撃を振り切り、久々の勝利を収めた。

その年のジャパンカップと年明けの金鯱賞で入着を続け、再び香港に渡ったクイーンエリザベス2世カップでラヴズオンリーユーの2着と高いレベルでパフォーマンスを維持。オールカマーを3着して再び挑んだ香港ヴァーズでは、コロネーションカップの覇者で翌年にはキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスを勝つことになる英国のパイルドライヴァーをゴール前で差し切り、GⅠ2勝目をまたもや海外の地で飾る。

その後は翌2022年の香港ヴァーズ3着を最後に引退し、ブリーダーズ・スタリオン・ステーションで種牡馬入りした。「メジロ」の血は次代へと繋がっていく。父のように海外へ羽ばたく産駒は出てくるであろうか。

4.時を超えて続く永い道

『ウマ娘』においては、「メジロ」冠のウマ娘たちを「メジロ家」という一つのファミリーとして描いている。その「メジロ家」のテーマソング『メジロ讃歌』には、「栄光の道」「時を超えて続く永い永い道」という一節がある。

グローリーヴェイズの馬名の由来は「栄光のつぼ」。メジロの「時を超えて続く永い道」に「栄光」という修飾語をつけたところが示唆的である。

メジロ牧場の長距離を重視した強い馬づくりは、21世紀初頭の潮流に合わないものだったかも知れない。しかし、グローリーヴェイズが香港ヴァーズ2勝目を飾った2021年にはオルフェーヴル産駒マルシュロレーヌがブリーダーズカップディスタフで勝利。2023年には同じくオルフェーヴル産駒のウシュバテソーロがドバイワールドカップを制覇し、尾関調教師が手掛けるドリームジャーニー産駒のスルーセブンシーズが凱旋門賞で4着と健闘した。

メジロマックイーンの子孫が世界の舞台で躍動しているのである。タフなレースが要求される海外に日本馬が積極的に打って出る2020年代にこそ、スタミナに優れた「メジロ」の血は必要なのではないか。

「メジロ」の道はこれからも高みへと昇っていくだろう。さらなる「栄光」がもたらされることを願っている。

写真:かず、shin 1

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