香港には2つの競馬場がある。
2つのうち、1994年に創設された『香港国際競走』、2018年から始まった『チャンピオンズデー』等が開催されるシャティン競馬場の方が、日本の競馬ファンには馴染みがあることだろう。
本コラムでは、もうひとつの競馬場──香港島にあるハッピーバレー競馬場における私の思い出を振り返り、少しでもその魅力を伝えたい。
独特の魅力にあふれる、ハッピーバレー競馬場
以前、香港に住んでいた時期があり、アクセスが便利なハッピーバレー競馬場には足繁く通ったものだった。
大レースの盛り上がりはシャティンに譲るが、基本的に毎週の水曜日、ナイター競馬での開催となるハッピーバレーの競馬にはまた独特の華やかさと魅力がある。
レースは全て芝コースで行われ、迫力の熱戦を目の前で観戦できる。
観客層は、都心に立地するためか、仕事を終えたビジネスマンを始めとして全体的に若い印象がある。
もちろん、香港でも馬券の売上を支えるのは馬券オヤジたちであり、オヤジ達の比率が最も高いのは間違いないが、レースの合間に催されるイベント(ミニライブやファッションショー)に群がるのは若者中心だった。
馬券オヤジたちは次のレースの予想に集中するためイベントの喧騒からは距離を置くか、もしくはスタンドの中で場内テレビのオッズと睨めっこしているのが常だった。
出世馬たちはシャティンに集まり、ハッピーバレーは居残り組?
ハッピーバレーとシャティンのコースは異なる個性を持っている。シャティンは郊外にあるため、全体的にゆったりとした作りであり、最後の直線は430mある。それに対し、ハッピーバレーは小回りで最後の直線が約310mと短い。
個性が異なる2つの競馬場。大レースがシャティンで行われるためか、出世する馬ほどハッピーバレーでの出走は少なめで、シャティンを主戦場とする傾向が強い。
近年のトップホースを例にとると、ロマンチックウォリアーは最初の2戦だけがハッピーバレーでの出走。その下級条件の2戦をあっさり勝つと、その後はシャティンを主戦場とし、クラスを駆け上がり香港カップなどのビッグレースを数々ものにした。2023年のコックスプレートや2024年の安田記念制覇など、国際舞台での活躍も多い名馬である。
他にも、2023年の香港ダービーを制してロマンチックウォリアーと共に安田記念にも出走したヴォイッジバブルや、世界の賞金王・ゴールデンシックスティなどは、一度もハッピーバレーに出走したことがない。
ハッピーバレーは下級条件戦の開催が主なので、いつも見ていると、同じような顔ぶれの馬ばかりの気がしてくる。勝ち上がれない馬たち、要は「居残り組」の馬たちがしのぎを削っているのがハッピーバレーという舞台…という気がしてくるのである。
実際には、シャティンでも下級条件戦は組まれているので、1頭の馬がシャティンとハッピーバレーを使い分けられ走っているケースは多々ある。
しかし、毎週のようにレースを見ていると、ハッピーバレーばかりに出走しており、やたらと顔を合わせる馬がいることに気づき、そのうち勝手に親しみを持ってしまう馬が何頭かいた。
印象に残った、ハッピーバレーの常連馬たち
何頭か、私が「よく顔を合わせるなぁ」と思い、お気に入りだった馬を紹介したい。
◆レイズフェイバリット(RAY'S FAVOURITE)
この馬の全成績は、37戦4勝。
37戦中32戦がハッピーバレーでの出走で、4勝はすべてハッピーバレーで挙げたもの。父はStrategic Imageというオーストラリアのマイナー種牡馬である。
レイズフェイバリットは、好位につけ、しぶとく伸びる取り口の安定した馬で、常に上位争いに絡んでくる馬だった。馬券も何度か取らせてもらい、マイフェイバリットホース(お気に入り)の一頭となった。
「この馬は出世しそうだな。そのうち、シャティンに行ってしまうのだろうな…」と思い見ていたが、気づくといつまでもハッピーバレーで走っており、そのうち凡走続きのスランプに陥ってしまう。
私の悪い癖で、馬券を何度か取らせてもらった馬は、明らかに馬の力が落ちても「今度こそは」と買い続けてしまうというものがある。レイズフェイバリットに対してもその悪癖を発揮してしまい、最終的には彼で儲けた分はすべて吐き出してしまった。
◆マイゴール(My Goal)
成績は68戦7勝。68戦中、23戦はシャティン。残りの45戦がハッピーバレーでの出走である。
マイゴールは、キャリアの前半はシャティンを主戦場としていたが、シャティンでは頭打ちになってしまい、キャリア後半はハッピーバレーを主戦場としていた。
この馬はオーストラリアやニュージーランドの血統背景を持つ馬が多い香港では珍しく、日本ゆかりの血統を持っていた。
父は2001年の日本ダービ馬ジャングルポケット、母も1994年から1997年にかけ日本で走っていたキューティリサ(父ノーザンテースト)という馬で、有名な馬ではないが、私もかすかに記憶のある馬だった。香港の大レースでもない、一介の条件戦で日本馬を両親に持つ馬と出会えたことに縁を感じ、嬉しかった。
また、マイゴールには、2011年12月の『インターナショナル・ジョッキーズ・チャンピオン』で日本から参戦した福永祐一騎手が騎乗している。結果は6着。コンビは抽選で決まるはずなのに、日本ゆかりの馬に日本の騎手が当たるとは、不思議なこともあるものだ。
この馬のように日本ゆかりの馬がもっと多く香港で走れば楽しいと思うが、JRAの『香港競馬の概要』という紹介ページの記載によると、2024年4月時点で日本産の馬は3頭しか在籍してないようだ。
◆チームワーク(TEAM WORK)
チームワークの全成績は88戦4勝。88戦中59戦がハッピーバレーでの出走、全4勝をハッピーバレーで挙げた。
父はDanzighillというデインヒルの直仔で、香港で競走生活を送り50戦9勝の成績を上げている。
このチームワークも一時期注目し、その走りに一喜一憂していた。この馬については、香港で知り合った馬券オヤジとのエピソードも併せて紹介したい。
香港馬券オヤジとの交流
ある日、食堂で競馬雑誌を読んでいると、相席で向かいに座っていた色黒の60歳前後位のオヤジさんが話しかけてきた(私も30代のオヤジといえばオヤジだったが…)。
オヤジさんは広東語で何か口にしながら、競馬雑誌の誌面に指を走らせる。そして一頭の馬名の上で指を止め、「こいつが来ると思うよ」と言ってきたのだった。
オヤジさんのおすすめが、チームワークという馬だった。
私はオヤジさんを信じたわけではないが、確かに有力に思えたので、その週のハッピーバレーの競馬でチームワークに賭けてみた。
結果は当たり。人気サイドだったので大した配当ではなかったが、私は「あのオヤジさんのおかげでもあるかな?」と密かに感謝した。それから数日後、私は家の近所の場外馬券売り場で、またオヤジさんと出会った。
私がオヤジさんに「チームワーク来たね」と声をかけると、オヤジさんは「次も来るぞ」と答えた。
要は、毎回狙っているようだった。
オヤジさんとは家が近所のようで、その後も食堂や場外馬券売り場でばったり会った。オヤジさんは競馬場には行かない場外派だった。
ある時、チームワークが主戦場のハッピーバレーではなく、シャティンで大穴を開けたことがあった。私は「この馬はハッピーバレーでこそ…」と思いつつ、オヤジさんのチームワーク推しに乗っかり、その馬券を取らせてもらった。オヤジさんももちろん取ったそうで、大喜びしていた。
日本の馬券オヤジ予備軍(私)と香港馬券オヤジを偶然結びつけ、一瞬とは言え奇妙な連帯感を感じさせてくれたのが「チームワーク」、中国語名が「団体精神」という名前の馬だった…というのも、楽しい思い出だ。
あれから10年以上経ってしまったが、オヤジさんは元気ならまだ競馬を続けていることだろう。
毎年12月、ハッピーバレーでは国際騎手招待レースが開催
12月が迫ってくると、今や日本のファンにもお馴染みの、香港カップなどが行われる『国際競走』を感じるようになる。ハッピーバレーでは同時期に国際騎手招待レース『インターナショナル・ジョッキーズ・チャンピオンシップ』も開催される。世界中からトップジョッキーが集まり腕を競うハッピーバレーの目玉イベントで、日本からの参戦もある。
2024年は、日本から川田将雅騎手が参戦。また同日には、香港では珍しい日本ゆかりの血統(ロードカナロア産駒・ローヴェロ/LOVERO)の出走もあった。
もちろん、通常開催のハッピーバレー競馬場も多様なイベントでファンを楽しませてくれるし、競馬自体もコースが近く迫力がある。
日本国内で旅打ちをするのもいいが、香港は意外と近い。また、シャティン競馬場もいいが、ハッピーバレー競馬場の独特な雰囲気も味わってみてはどうだろう。強くお勧めしたい。