未来を変えた札幌記念 - ヘヴンリーロマンスが歩んだ伝説へ繋がる道

数多の競馬シーンを1ページずつ読み解いていくと、どの競走馬にも運命の分かれ道と思える瞬間が見つかる。

勝利で拓ける道もあれば、勝利が回り道の入り口になることもある。敗北で絶たれる道もあれば、敗北が飛躍の契機となることもある。「生まれた時代が早すぎた」と言われた馬が、それ故に大きなチャレンジを成し遂げて名を残すこともある。

「塞翁が馬」。

幸・不幸は予測しがたい、という意の有名な故事であるが、勝利も敗北も、それが一生涯にどのような影響を及ぼすことになるかは、リアルタイムに生きる我らにはわからない。それでも競走馬に携わる方々はその時々の最善手を模索し、チャレンジを続ける。紙一重の連続であるその蹄跡の先に大きな栄光が待っていると信じて。

2005年10月30日、戦後初の天覧競馬となった第132回天皇賞。この日、一頭の牝馬が最内枠から導かれるように馬群から飛び出し栄光を勝ち取った。天皇皇后両陛下に深々と頭を下げる勝利騎手と優勝馬の凛とした厳かな佇まい。その美しい姿に場内は静まりかえり、その一瞬はは競馬史に刻み込まれ語り継がれる伝説となった。

だが、この名牝がこの日の主役を演じることは、おそらく3か月前までは誰も──あるいは関係者でさえも──想像していなかったであろう。彼女のキャリアを振り返ると、幾つもの運命の分かれ道の末にその瞬間に辿り着いたことに気づかされる。

2005年札幌記念。前週のクイーンSからの異例の連闘策でこのレースを制し、自らの未来を作り替えた名牝・ヘヴンリーロマンスの蹄跡を振り返りたい。


ヘヴンリーロマンスは2000年3月5日、この世に生を受けた。

母・ファーストアクトは欧州の大種牡馬Sadler's Wellsの直仔。名牝Natashkaを祖とする牝系に産まれ、日本で種牡馬生活を送ったサウスアトランティックと愛セントレジャーを制したDark Lomondを兄に、ステイヤーズSを制したサージュウェルズを甥に持つ、スタミナの素養を備えた繁殖牝馬である。

そんなファーストアクトに、本邦で既に大種牡馬の地位を確固たるものとしていたサンデーサイレンスを配して誕生したのがヘヴンリーロマンスである。日欧の大種牡馬の融合とも言える彼女は、雄大は馬格を誇り、それでいて良血らしい気品を備えた良質な一頭だったという。

栗東・山本正司調教師の下で鍛錬を積んだ彼女は、山本師の愛弟子であり生涯のベストパートナーとなる松永幹夫騎手を背にデビューの時を迎える。

2002年11月30日、ワールドスーパージョッキーズシリーズの初日。海外の名手の競演を控え、活気に包まれた阪神競馬場・芝1400m・牝馬限定戦であった。5番人気に推された彼女であったが、スタートで安目を打つと、道中も追走に苦労する様子を見せる。直線に入って漸く脚を使ったもの、掲示板にも届かずの6着に終わった。

彼女の1秒前を駆け抜け、1番人気に応えて堂々の初陣を飾ったのはスティルインラブ。同じノースヒルズ・マネジメントの勝負服を纏い、翌年メジロラモーヌ以来の牝馬三冠を達成する同期のサンデーサイレンス産駒の影で、ヘヴンリーロマンスはひっそりと船出した。

年明けのダート戦で単勝1.0倍の断然人気に応えて初勝利を手にすると、休養を挟んだオークス前日の中京・芝2000m戦で復帰し2着に好走。夏の函館に転戦して2勝目を挙げる。

勢いそのままに参戦したローズステークスでは苦杯を舐めたものの、スティルインラブが牝馬三冠の栄光に輝いた10月19日の7Rで3勝目を挙げ、エリザベス女王杯にも果敢に挑戦した。その後もコンスタントに出走を重ね、牡馬相手の準オープンでも連続2着と健闘。3歳終了時点で14戦3勝(3-6-2-3)の戦績を残した。

着外に敗れた新馬戦と重賞挑戦の2走も勝ち馬からは1秒以内。出脚は鈍いが折り合いに不安は無く、三角から促し気味に進出すると母系譲りのスタミナを活かしてゴール前まで頑張り続ける、そんなタフなレーススタイルで、彼女は堅実に結果を出し続けた。

同期のスティルインラブが華美な活躍で衆目を集めて最優秀3歳牝馬の称号を勝ち取る陰で、3歳時の彼女は中堅クラスの存在だったかもしれない。だが同じ勝負服の本馬に秘められた高い素質を感じ取っていた陣営は、その芽を摘まぬように一歩ずつ、丁寧に本馬のキャリアを進めた。

明けて4歳。短期の休養を挟んで3月に復帰すると、そこから3戦で準オープンを突破する。勢いそのままに臨んだ重賞戦線では人気を裏切って辛酸を舐めたものの、降級した年末のゴールデンブーツトロフィーで再びのオープン昇級を果たした。そして中一週で臨んだ阪神牝馬ステークスで、メイショウバトラーや同年オークス馬ダイワエルシエーロらを下して初重賞制覇を奪取。古馬になって本調子を欠くスティルインラブと入れ替わるように、4歳の一年間をかけて彼女は頭角を現していった。

彼女が5歳シーズンを送った翌2005年はヴィクトリアマイル創設の一年前であり、実績を持つ古馬牝馬の大目標は秋のエリザベス女王杯となる。強力メンバー相手に重賞制覇を果たしたことで有力候補の一角に躍り出たヘヴンリーロマンスであったが、ここから彼女は暫し苦難の道を歩むこととなる。

年明けの京都牝馬Sでは勝ち馬アズマサンダースと同じ位置で道中を運ぶも伸びきれず6着。G1タイトルをめざしたフェブラリーSで頑強な牡馬の前に11着に敗れると、復権を期した中山牝馬S、福島牝馬Sでともに10着と大敗を喫した。

芝の重賞では着順程の決定的な敗北を喫しているわけではない。進路の確保に手間取りながらも速い上がりで追い込む姿から競走馬としての灯が消えたとは思えない。だが、堅実な走りを続け、ついには重賞制覇を強敵を退けた前年の勢いはすっかり鳴りを潜めてしまった。

ひとたびリズムを崩れた馬が、勢いを取り戻せずにそのままターフを去る姿を、競馬ファンは数え切れぬほど見守ってきた。

「ヘヴンリーロマンスは終わってしまったのかもしれない」

そんな言葉を発するファンも現れる中、陣営は春の戦いに見切りをつけ、生まれ故郷でもある新冠のノースヒルズマネジメントへのリフレッシュ放牧を選択する。そしてこの選択が、彼女の運命を大きく変えていくこととなる。

帰郷した当初は前脚がむくんでひどく疲れた様子だったヘヴンリーロマンスであったが、牧場での懸命なケアが奏功して傷ついた馬体は回復。調教パターンにも工夫を凝らすことで、心身ともに充実した姿を取り戻した。

もしヴィクトリアマイルがあと1年早く創設されていれば、無理を押して続戦していたかもしれず、この先の彼女の蹄跡は大きく異なったものとなっていただろう。「春の大目標がなかった牝馬不遇の時代だからこその選択」と読み替えると、ここにも不思議な運命の分かれ道が潜んでいる。


リフレッシュからの復帰初戦は札幌・クイーンS。そこにはプラス14kgとボリュームアップした身体でパドックを周回するヘヴンリーロマンスの姿があった。春に桜花賞とNHKマイルカップで好走を果たした3歳牝馬のデアリングハートや前年の桜花賞馬ダンスインザムードらが揃う中で、大きな数字で汚れた彼女の馬柱は決して見栄えはしなかったが、溌溂と輝く身体に太め感はなく、澄んだ瞳からは充溢した気力が溢れ出ていた。

中団インでレースを運び、3角から早めに進出して先行集団を追いかける。直線に入るとただ一頭、出色の脚勢で急追しハナ差2着と好走を果たす。残り100m地点でセーフティリードを築いて大勢を決したかに見えたレクレドールを追い詰める最後の数完歩には凄みが漲っており、復調を示すには十分な内容であった。

本来の姿を取り戻し、賞金も十分なヘヴンリーロマンスにとって、ここからの定石は秋の大目標であるエリザベス女王杯にピークを持っていくべく、秋に備えることであろう。

しかし2005年8月21日、クイーンSから一週間後の札幌記念に、ヘヴンリーロマンスは再び姿を現した。

前年の菊花賞で3着に好走し、その後も堅実な走りで目黒記念で重賞制覇を果たしたオペラシチー、函館記念を制したばかりの気鋭のエリモハリアーらが上位人気に支持される中で、ヘヴンリーロマンスの評価は決して高いものではなかった。

条件クラスの馬が、消耗の少なさや刺激を与えることを理由に連闘の選択肢を取ることは珍しくないが、秋に大目標を控えた重賞馬の強行軍は異例である。まして今回は牡馬一線級が相手。外野から見れば相手関係からも臨戦過程からも苦戦は免れないと思える挑戦であった。それでも、この決断に至った陣営には、確信めいた成算があったのだろう。

雨に煙る札幌競馬場・芝2000m。4番ゲートを飛び出したヘヴンリーロマンスと松永幹夫騎手は、馬の気持ちを損ねないように馬群の後ろで流れに乗る。コイントスが刻むペースを淡々と追走すると、勝負処でオペラシチー、ホオキパウェーブ、サイレントディールらが外から進出する中でもただ一頭、手綱をじっと抱えたまま冷静にチャンスを伺い続ける。

四角、苦しくなったエリモハリアーがわずかに外に膨れた刹那、目の前に開けた一頭分の道に迷わず飛び込むヘヴンリーロマンス。一気に加速すると、人気各馬が伸びを欠く中、短い札幌の直線で前週を上回る力強い末脚を発揮した。

彼女のさらに一つ後ろで息を潜めていたファストタテヤマが、彼らしい少し頭の高いフォームで最内から馬群を縫って差を詰め、遂には彼女と馬体を合わせる。そこからの数完歩、熾烈を極める凌ぎ合いとなるが、彼女は気迫あふれる走りで最後まで先頭を譲らなかった。ねじ伏せるようにファストタテヤマを抑え込むと、低評価を覆して見事札幌記念のタイトルを手にした。

これまでに札幌記念を制した牝馬はエアグルーヴやテイエムオーシャン、ファインモーションら、一時代を築いたG1ホースたちであった。実績面では見劣るヘヴンリーロマンスの優勝は驚きをもって受け止められたが、改めて振り返ればこの札幌記念は、彼女自身が歴戦の先達たちに比肩しうる力の持ち主であることを証明した一戦だったと言えるかもしれない。

牡馬相手の重賞制覇に自信を深めた陣営は、エリザベス女王杯ではなく天皇賞(秋)へと、その針路を大きく転換する。彼女の運命は大きく動き、そして彼女は伝説となったあの日への歩みを進めていく……。


あの日からもう15年以上が経過した。

5歳シーズンを最後に現役を退いた彼女は、本邦で4頭の産駒を輩出したあと米国で繁殖生活を送った。産駒は不思議とダートで良く走った。ジャングルポケットとの間に産まれた4番仔アウォーディーはJBCクラシックを制し、渡米後に産まれた5番仔アムールブリエは牝馬ながらダート戦線のトップホースとして男勝りの存在感を示した。そして6番仔のラニは日・米・UAEとワールドワイドに活躍し、その際立った個性から”Godzilla”の愛称で海外の競馬ファンをも魅了した。

彼らを管理したのは、調教師となった松永幹夫。人馬の縁は互いに立場を変えても、強く結ばれた。

幾つもの運命の分かれ道を乗り越え、伝説の1シーンとともにその名を競馬史に刻んだヘヴンリーロマンス。G1馬を輩出し、多くの産駒に恵まれ、彼女のDNAは広く枝葉を拡げようとしている。

彼女の血脈が次の「伝説」を生み出す日は、遠くないかもしれない。その時は、あの天皇賞(秋)だけでなく、その日に至るまでの道程も、丁寧に語り継ぎたい。

写真:Horse Memorys

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