![[アルゼンチン共和国杯]トーセンジョーダン、ハヤヤッコ、シュヴァルグラン。トップハンデを克服してアルゼンチン共和国杯を制した馬たち](https://uma-furi.com/wp-content/uploads/2024/11/IMG_6530.jpeg)
2026年現在、JRAでおこなわれている平地のハンデGⅡは3レース。そのうち目黒記念とアルゼンチン共和国杯は、ともに東京・芝2500mでおこなわれている。ただ、これら2レースは似て非なるもの。両レースの過去40年(目黒記念は41年)を調べると、血統や性別、馬齢別成績など、傾向が異なる項目が複数あった。
ただ、トップハンデ馬の成績は、目黒記念が[8-5-6-35]、勝率14.8%、複勝率35.2%。アルゼンチン共和国杯は[7-4-5-35]、勝率13.7%、複勝率31.4%。似たような成績で、筆者のイメージ以上に健闘していた。近年は、驚くほど重いハンデが課されるケースはほとんどなく、平地のハンデ戦で60キロを超える斤量が課されたのは、24年の松風月Sで60.5キロを背負ったラプタス。その前は、94年の日経新春杯(アラブのレースを除く)で60.5キロを背負ったメジロパーマーまでさかのぼり、その間に30年もの空白があった。
とはいえ、単純に斤量だけを比較すれば、重い斤量を背負う馬のほうが不利。競走馬にとってプラスに作用するとは考えにくい。それでも、重いハンデをものともせずアルゼンチン共和国杯を勝利した馬が過去に複数いた。
今回は、トップハンデを克服してアルゼンチン共和国杯を制した馬たちを振り返りたい。
■2010年 トーセンジョーダン(57キロ)
ジャングルポケット産駒で、半弟に京都新聞杯を勝利するトーセンホマレボシ、近親に天皇賞(秋)などGⅠ2勝のカンパニーや、後のダービー馬タスティエーラ、NHKマイルCを勝つロデオドライブなど、数多くの重賞ウイナーがいるトーセンジョーダンは、栗東・池江泰寿厩舎からデビューを果たした。
初戦は11月京都・芝2000mの新馬戦で6着に敗れるも、続く未勝利戦、葉牡丹賞、当時オープン特別だったホープフルSまで3連勝。年明け初戦の共同通信杯も2着に好走し、クラシック候補に名乗りをあげた。
ところが、ここで裂蹄を発症。クラシックを棒に振り、さらに年末に2戦したあとに再び裂蹄を発症したため、4歳春シーズンも休養を余儀なくされてしまう。
それでも夏の札幌で復帰すると、初戦の漁火S(現3勝クラス)を快勝。2ヶ月半後のアイルランドT(当時は牡牝混合のオープン特別)も連勝し、そこから中2週で臨んだのがアルゼンチン共和国杯だった。
およそ1年ぶりの重賞出走に加え、トップハンデタイの57キロを背負うにもかかわらず、堂々1番人気に支持されたトーセンジョーダンは、初コンビの三浦皇成騎手とともにまずまずのスタート。すぐに折り合いもつき、中団8番手のインで末脚を温存していた。
一方、逃げるドリームフライトは、900mを53.3秒のミドルペースで通過。トーセンジョーダンまではおよそ6馬身差で、501mから1900mまでの7ハロンがすべて12.1秒から12.3秒と、一定かつよどみないペースで流れていた。そんななか、3コーナー手前で、三浦騎手はトーセンジョーダンを馬場の中央へと誘導。そこで再び末脚を温存し、先行各馬を内に見ながら直線を迎えた。
直線に入ると、逃げるドリームフライトをスリーオリオンとコスモヘレノスが交わし、さらに最内に進路を取った2番人気ジャミールが、坂上で先頭に躍り出た。一方、坂下で本格的に追い出されたトーセンジョーダンは、馬場の中央からしぶとく末脚を伸ばし、残り100mでついに単独先頭。そこから2番手以下を徐々に引き離し、最後はジャミールに1.3/4馬身差をつけ先頭でゴール板を駆け抜けた。直後、三浦騎手が大きなガッツポーズを作るほど会心の勝利だった。
勝ち時計の2分30秒0は当時のレースレコードで、コースレコードにあと0.2秒と迫る好タイム。トップハンデを克服した末につかみ取った待望の重賞タイトルは中身も濃く、さらなる飛躍を十分に予感させるような勝利だった。
その後、GⅠ初挑戦の有馬記念で5着と健闘したトーセンジョーダンは、年明けのアメリカジョッキークラブCを快勝。しかし、阪神大賞典を取り消したあとの宝塚記念は9着に敗れた。それでも、札幌記念制覇から臨んだ天皇賞(秋)で、従来のコースレコードを1.1秒も上回る驚愕の日本レコードで快勝し、ついにGⅠ初制覇を成し遂げた。

結果的にこれが最後の勝利となったものの、続くジャパンCや翌年の天皇賞(春)でも2着に好走したトーセンジョーダンは8歳まで現役を続け、2014年のジャパンC14着を最後に引退。ブリーダーズ・スタリオン・ステーションで種牡馬入りし、21年からはオーナーの島川隆哉氏が代表を務めるエスティファームで繋養されている。
■2024年 ハヤヤッコ(58.5キロ)
日本で30頭目に誕生した白毛馬で、近親にソダシやアマンテビアンコといった白毛のGⅠ馬や、他にもママコチャ、メイケイエールなど数多くの重賞ウイナーがいるハヤヤッコは、美浦の名門、国枝栄厩舎からデビューを果たした。
初戦は6月東京・芝1800mの新馬戦で3着に惜敗するも、中5週で臨んだ未勝利戦を4馬身差で完勝。3戦目のアイビーSで8着に敗れたあとダートに矛先を変え、翌3月に2勝目をあげた。
そんなハヤヤッコが一躍話題になったのは、8月のレパードSだろう。前走、青竜Sで8着に敗れていたこともあり、15頭立ての10番人気に留まっていたハヤヤッコは、初めてコンビを組む田辺裕信騎手とともに直線一気を決め優勝。自身の重賞初制覇は、白毛馬初の重賞制覇でもあった。
その後、4、5歳シーズンにそれぞれ8戦し、同じく田辺騎手とのコンビでダートのオープンを2勝したハヤヤッコが再び注目を集めたのは6歳春だった。2歳時以来、およそ3年半ぶりに芝のレースに出走した日経賞で5着に健闘すると、天皇賞(春)こそ15着に敗れるも、続く函館記念は重馬場を苦にせず快勝。芝ダート双方の重賞制覇を成し遂げ、さらに翌年の中日新聞杯でも、7歳ながら58.5キロのハンデを跳ね返すような激走で2着に好走した。そして、そこからおよそ1年後。オープンのタイランドC3着から臨んだのがアルゼンチン共和国杯だった。
出走16頭中、唯一の重賞2勝馬ということもあり、トップハンデの58.5キロを背負ったハヤヤッコ。ただ、最終的な単勝オッズは35.3倍の10番人気で、完全な伏兵評価だった。間もなく9歳を迎えようかという古豪が最も重い斤量を背負い、2年以上も勝利から遠ざかっている現状で、それも妥当な評価といえた。
そんな逆境の中でも、初めてコンビを組む吉田豊騎手とともに無難なスタートを切ったハヤヤッコは、1コーナーを最後方で通過。一方、前は逃げるジャンカズマにアドマイヤビルゴら3頭がプレッシャーをかけ続けたことで流れは落ち着かず、最初の900mは53.9秒だった。
序盤から縦長だった隊列がさらに縦長になったのはこのあたりで、依然として最後方を進むハヤヤッコと先頭までは25馬身ほどの差。その後、4コーナーで中団以下の各馬がようやくスパートし、隊列が15馬身ほどの差に縮まったところで直線を迎えた。
直線に入ると、逃げるジャンカズマを交わしてマイネルウィルトスが先頭に立つも、後続が殺到。6頭ほどが一団となり、残り200m地点で今度は1番人気クロミナンスが単独先頭に躍り出た。
ところが、それも束の間。外から末脚を伸ばしたハヤヤッコが、2番手を争う5頭をまとめて交わすと、一緒に伸びてきたタイセイフェリークや、抵抗するクロミナンスを力でねじ伏せるように、最後はグイっと前に出て先頭ゴールイン。トップハンデの8歳馬が直線だけで全馬をごぼう抜きするという衝撃の内容で、3度目の重賞タイトルを獲得したのである。

しかも、勝ち時計の2分29秒0はレースレコード。グレード制導入以降、59キロ以上のハンデを背負ってこのレースを制した馬はおらず、58.5キロを背負って勝利したのも、ハヤヤッコと88年のレジェンドテイオーだけである。
このあと、有馬記念に出走して15着に敗れたハヤヤッコは、翌9歳シーズンも現役を続けた。しかし、日経賞10着から臨んだ目黒記念のレース中に競走を中止。幸い命に別状はなかったが、診断結果は右前浅屈腱不全断裂で、実働8年におよぶ現役生活についに終止符が打たれた。
通算成績45戦7勝、獲得賞金は3億円超。最後はケガで引退を余儀なくされたものの、無事是名馬といっていい、あっぱれな現役生活だった。そしてなにより、数多くのファンに愛された。ただ、それはハヤヤッコが白毛だからということだけでなく、芝やダート、良馬場や渋った馬場、重い斤量など、困難な状況下でもしっかり結果を出し続けたことをみんなが知っているからだろう。
そんなハヤヤッコは現在、功労馬としてノーザンホースパークで余生を過ごし、現役時と変わらずファンに愛され続けている。
■2016年 シュヴァルグラン(58キロ)
半姉にヴィクトリアマイルを連覇したヴィルシーナ、半妹に秋華賞とドバイターフを制したヴィブロス、近親にも多数の重賞勝ち馬がいる良血シュヴァルグランは、栗東の名門、友道康夫厩舎からデビューを果たした。
初戦は9月阪神・芝2000mの新馬戦で2着に惜敗。そこから中2週で臨んだ未勝利戦を快勝して、初白星を手にした。ただ、意外にも2勝目をあげるのに手こずり、初勝利から1年を要したものの、500万の平場からオリオンSまで一気の3連勝でオープン入り。さらに、重賞でも勢いは衰えず、日経新春杯2着から臨んだ阪神大賞典で重賞初制覇を成し遂げると、春の天皇賞でも3着に好走した。
ところが、前走に続いて2度目のGⅠ挑戦となった宝塚記念は、距離不足もあったか9着に敗戦。そこから4ヶ月半の休養をはさんで出走したのがアルゼンチン共和国杯だった。
2年前のダービー馬ワンアンドオンリーや、2年前の当レース覇者で重賞4勝フェイムゲームとともにトップハンデの58キロを背負ったシュヴァルグランは、五分以上のスタートを切ると、ややいきたがるようなそぶりを見せながらも先行。1コーナー進入時にはごちゃつきポジションを下げざるを得なかったものの、走りが乱されるようなことはなく、1番人気モンドインテロの直後、中団7番手に位置をとった。
一方、ハナを切ったクリールカイザーは900mを56.8秒で通過。スローペースで、最後方を進むレコンダイトまではおよそ15馬身差と、さほど縦長の隊列にはならず、中間点付近で差はわずかに縮まった。その後、3、4コーナー中間に差し掛かってもペースは上がることなく、全15頭が10馬身ほどの圏内に固まるなか直線を迎えた。
直線に入ると、内1頭分を開けて逃げていたクリールカイザーが今度は内ラチ沿いに進路を取り、リードを2馬身半に広げた。しかし、坂上でモンドインテロがこれを捕らえると、馬場の中央から末脚を伸ばすシュヴァルグラン、さらにその外から差を詰めるヴォルシェーブ、懸命に前を追うアルバートと4頭の争いになった。
この熾烈な争いから抜け出したのはシュヴァルグランで、残り200mを切ったところで先頭に立つと、最後はアルバートに1/2馬身差まで詰め寄られたものの、着差以上に楽な手ごたえで先頭ゴールイン。トップハンデをものともしない快走で、2つ目の重賞タイトルを手にしたのである。
その後、ジャパンCで3着、翌春の天皇賞でも2着と、ビッグタイトルに手が届くところまでやってきていたシュヴァルグランは、京都大賞典3着から臨んだジャパンCで、オーストラリアの名手H.ボウマン騎手を背に、最強馬キタサンブラックを差し切って優勝。待望のGⅠ初制覇を成し遂げ、翌春の天皇賞や、さらにその次の年のドバイシーマクラシックでも2着と健闘した。そして、2019年の有馬記念(6着)を最後に引退。ハーツクライの後継として、ブリーダーズ・スタリオン・ステーションで種牡馬入りした。

産駒からJRAの重賞ウイナーは誕生していない(26年11月6日時点)ものの、メリオーレムやカルプスペルシュがオープンまで出世。地方競馬では、金沢の牝馬スターキャンディが9月のサラブレッド大賞典で重賞初制覇を成し遂げ、JBC当日の11月3日におこなわれた第1回かがやきスプリントも4連勝で制し、重賞3連勝を達成している。
一方、25年に種牡馬を引退したシュヴァルグランは乗馬となってノーザンホースパークに繋養されており、4月におこなわれた「サラブレッドホースショーザ・セカンドキャリア」で、生涯3度目のデビューを飾った。
写真:H.Kaneko、みき
