王者として、挑戦者として。
香港スプリントは、4コーナー出口で故障し転倒したアメージングスターにラッキーパッチが巻き込まれ、さらにナブーアタック、そして福永祐一騎手騎乗のピクシーナイトが連れて転倒するという未曽有の大事故とともにレースを終えた。
香港マイル発走まで残り1時間を切った。
私は矢も楯もたまらず、必死になってSNSの更新ボタンをタップし続けた。
SNS上では、錯綜していた情報が徐々に整理されてきていた。
アメージングスター、ナブーアタックは無情にも予後不良、ピクシーナイトは大きな異常なし(後刻の検査で左前膝の骨折、さらに内臓にも大きなダメージを負ったことが判明)という一報が飛び込んでくる。福永祐一騎手は「意識があり、病院に運ばれ」、インディチャンプはクリストフ・スミヨン騎手への乗り替わりが発表された。
SNS上は道半ばにして世を去った香港馬2頭への哀悼と、福永騎手の「不幸中の幸い」への控えめな安堵と、インディチャンプの花道に突如起こった躓きへの不安と、それを必死にかき消さんとする期待の呟きで混沌とした。
私はただ、インディチャンプを信じて発走を待つしかなかった。
王者になってもなお、数多の試練と新たな難敵に立ち向かい、未踏の境地へと挑み続けた、その不屈を。
──2019年秋のマイル王決定戦・マイルチャンピオンシップ。春に頂点を共に極めた福永騎手の騎乗停止による乗り替わりという試練がインディチャンプに訪れた。ピンチヒッターとして白羽の矢が立ったのは、ステイゴールド産駒でGⅠ9勝、さらにステイゴールドの姪にあたるショウナンパンドラでもジャパンカップを勝利している池添謙一騎手だった。
そして池添騎手は見事に起用に応え、インディチャンプも池添騎手のアクションに応えたのである。
春よりも長く末脚をため込んだインディチャンプの、その引き絞りに絞った強弓の弦を、池添騎手が荒々しく解き放ったのは、淀の直線、残り200mのことだった。
「ズバーン!」私には、そう聞こえた。
ちょうど真横に並びかけていた春の2強の一角ダノンプレミアムを一瞬で突き放したインディチャンプは、巷にくすぶっていった「タラレバ」の片方を完全に払拭。そして春秋マイル統一王者となったインディチャンプは、2019年のJRA最優秀短距離馬に選出された。
翌2020年、王者となったインディチャンプの前に立ちはだかった難敵は、前年の桜花賞馬・グランアレグリアだった。
春、安田記念。前年よりも幾分進路取りに苦労したインディチャンプが末脚を解き放った時、去年秋の相棒・池添騎手を乗せたグランアレグリアは、既にはるか彼方にいた。
秋、マイルチャンピオンシップ。インディチャンプは休み明けぶっつけでの出走となった。福永騎手は道中常にグランアレグリアの外、斜め後ろにただひたすら影のように付き従っていた。
グランアレグリアは眼前に逃げたレシステンシアと2番手をゆくラウダシオン、左右にはベステンダンクとアドマイヤマーズに囲まれ、行き場がほとんどない状態に陥っていた。
4コーナー、たまらずグランアレグリアの鞍上ルメール騎手が外に出そうと視線を向けると、そこにはピッタリと、インディチャンプと福永騎手が貼りついていた。インディチャンプの眼前を遮るものは、何もなかった。
直線を向いた。
進路が見つからないグランアレグリアをギリギリまで「檻の中」に閉じ込めたのち、残り300、福永騎手はインディチャンプの末脚を解き放った。前がふさがってスパートできずにいるグランアレグリアをあっという間に突き放した。
残り200、両馬の差は2馬身。
「勝った! もらった! さすが福永騎手!」
もう私はガッツポーズしていた。
ところが、それから約10秒後。逆に1馬身という決定的な差をつけて先頭でゴール板を通過していたのは、ゼッケン4番、グランアレグリアの方だった。
「え……?」
何が起きたのか私には理解できず、ただ茫然とテレビ画面を見つめるだけだった。
虚空に掲げた握りこぶしが、その行き場を失って震える。
こんなことは、2012年の、あの凱旋門賞以来だった。
リプレイを見ると、最後の1ハロンで、グランアレグリアは間を割るのを諦めたかインディチャンプの外にまで進路を切り替え、ルメール騎手がGOサインを出すと並ぶ間もなくインディチャンプをかわし去っていた。
2020年、マイルでのグランアレグリアはそれほどまでに強かった。
しかしそのグランアレグリアを、人馬一体、権謀術数、手練手管の限りを尽くしてあと一歩まで追い詰めたインディチャンプもまた、強かった。