[キタサンブラック伝説]北村宏司とキタサンブラック。いつかヒロシがふたたび輝く日まで

2015年10月25日菊花賞

秋の傾く日差しの中、未知なる距離に挑む若駒たちが一団で駆け抜ける。その馬群のなか、キタサンブラックは懸命に前を追わないように気持ちを静めようと踏ん張っていた。この頃のキタサンブラックは前半で我慢する走りを教え込まれ、いわゆるオーソドックスな競馬を目指した。武豊騎手が表現する「1番手を走る」スタイルは、菊花賞までの我慢が礎となっていると個人的には感じる。

最後の直線、我慢を重ね、生垣に身を潜めたキタサンブラックは唸るようにラチ沿いへ飛び込んでいく。目の前のミュゼエイリアンはそうはさせじとラチ沿いを締めに行く。GⅠで最内などそう簡単には突っ込めない。彼らしくない強引さで少し外に切り返し、外の馬を弾き気味にキタサンブラックの進路をつくる。ようやく目の前に馬がいなくなったキタサンブラックは溜めこんだエネルギーを放出する。それを極限まで出し切ろうと、彼にしては珍しく踊るように手綱を操り、ゴール板でキタサンブラックの首を目一杯前へ突き出させた。その姿に私は息をのんだ。執念としか言いようがない。正直、それまでの彼には執念などというものの表出はイメージになかった。もちろん、勝負事は執念がなければ勝てない。しかし、そういった人間の感情は馬の邪魔になる。彼が育ってきた歴史にはそんな教えがあったはずだ。だが、あの時の彼はなりふり構っていられなかった。どうしても勝ちたい。その気持ちしかなかったはずだ。「最後は必死に追いました」レース後の何気ないコメントに彼の背負ったものや自分の心境が透けてくる。

私は北村宏司という騎手を特別な気持ちを抱く。

「オレのヒロシ」

私は敬意と愛着を込めて勝手にそう呼んでいる。馬券に詰まったら、北村宏司騎手を買う。いつの間にか、そんなパターンが私の中に定着した。そして、ヒロシはよく私を助けてくれた。あるときは東京のダートを大外一気を決め、別のときはキタサンブラックの菊花賞のように馬群の内側を突き破る。変幻自在の関東のテクニシャン。それが北村宏司という騎手だ。

北村宏司騎手は1999年、名門・藤沢和雄厩舎所属で騎手人生を歩み出した。私が本格的に競馬という沼にハマることを良しとした時期と重なる。やはり、同年代もそうだが、自分の人生に重なるような存在は尊く、彼は私の競馬キャリアそのもののような気がする。彼は関東の新人騎手としては非常に恵まれていた。なにせ、所属はタレント揃いの藤沢和雄厩舎。藤沢先生は彼を1年目から手厚くバックアップしていた。当時の藤沢厩舎は岡部幸雄騎手や横山典弘騎手というトップ騎手が主戦を務め、たしかにタレントたちの手綱は彼らや短期免許で来日するオリビエ・ペリエ騎手が握ることが多かったが、それでも彼の初勝利はデビュー2週目の3月14日中山2R4歳未勝利(現3歳)のタイキコンコルド。藤沢厩舎の1番人気馬だった。デビュー年は37勝中最多の7勝を藤沢厩舎であげ、JRA最多勝利新人騎手賞をつかんだ。

翌年1月にはダイワカーリアンと東京新聞杯を勝ち、重賞初制覇。夏にはブリンカーを装着して復活した古豪ダイワテキサスで関屋記念、新潟記念を、ダイワルージュで新潟3歳S(現2歳S)と立て続けに重賞を勝った。

藤沢厩舎でいえば、初GⅠの2006年ヴィクトリアマイルのダンスインザムード、2014年天皇賞(秋)スピルバーグなどが印象深い。岡部騎手や横山典弘騎手、そして藤沢先生から教えられた馬優先主義を胸に刻み、彼は順調にキャリアを重ねていった。

2013年に年間100勝を達成し、翌年は117勝で全国リーディング5位に入った。この間、2011年にフリーになってからも、藤沢厩舎のバックアップは手厚く、キャリア最多の117勝をあげた2014年もトップの25勝が藤沢厩舎の馬だった。師匠の支援を受け、着実にステップを踏みながら、彼は信頼に値する腕達者へと昇っていった。この頃、私にとってちょっと遠い存在になりつつあったが、ちょっと寂しくもそれでも構わなかった。彼は関東の伝統を体現する存在として、西高東低の競馬界に変革を起こすという使命があった。もうこの頃は競馬に西も東もないという考えが広まっていたが、関西の馬券は特別レースまで買えず、基本は関東の競馬だけで育ってきた私はなんとなく関東の競馬場で関東馬が負けることがイヤだった。関西馬を買えばいい。武豊を買えばいい。わかっている。そんなデータはもちろん、頭にある。それでも私は蛯名正義騎手や柴田善臣騎手を買うし、彼を応援する。ちょっと古臭いかもしれない。競馬ぐらい時代遅れの男でいてもいいじゃない。

順調な彼の騎乗で気になるところもあった。馬優先主義であり続けるがゆえに、最少手で勝つ戦略が目立ち、インを攻める場面が多かった。ルメール騎手がいつぞや「なぜ外を回さない」と言ったらしいが、少し力が足りない馬を勝たせるにはインを攻めるのも最善策だったりする。しかし、それは危険と隣り合わせだ。前が詰まるぐらいならいいが、落馬のリスクすらある。キタサンブラックの菊花賞のように勝利を背負って進路をこじ開けるには、多少荒っぽくもなりかねない。彼らしからぬプレーではあったが、執念がそうさせたにちがいない。ルージュバックのオールカマーなど鮮やかなイン強襲も彼らしさだが、その反作用たる落馬も多くなる。そしてケガが彼の騎手人生の歯車を狂わせていった。

キタサンブラックが彼の手から離れたのも有馬記念がある開催初日に膝を負傷したためだった。これは落馬による負傷ではないが、4カ月の長期離脱を2度も経験する間にキタサンブラックは武豊騎手と揺るぎないコンビを築き、2016年は実質4カ月しか騎乗できず、キャリア最低の24勝で終わった。翌年から60勝、62勝と彼は軌道修正を図るも、2019年3月に落馬、馬に頭部を蹴られ、大ケガを負ってしまう。さらにそのケガから立ち直りかけたかと思うと、2021年に騎乗馬のアクシデントにより、再び長期離脱を余儀なくされるなど、彼の狂った歯車は戻りそうで戻らない。2022年は1年通しで騎乗してもわずか232鞍9勝。117勝をあげた2014年は1016鞍であり、彼の騎乗を競馬場で見かける機会すら減ってしまった。

それでも私の中の「オレのヒロシ」は変わったりしない。キタサンブラックの菊花賞も忘れてはいない。そりゃGⅠを6勝もした武豊騎手が主戦であり、黄金コンビなのは異論はない。「キタサンブラック伝説 王道を駆け抜けたみんなの愛馬」(星海社新書)での武豊騎手のキタサンブラック評は非常に興味深かった。それでも初めてのGⅠタイトルを執念でもぎ取ったのは北村宏司騎手なのだ。度重なるケガがもとで騎乗数が減り、関東のいぶし銀という地位にある彼だが、岡部幸雄騎手や横山典弘騎手、そして藤沢和雄調教師の薫陶を受け、関東を代表する騎手になった男に変わらない。いつか、彼は復権する。関東を代表するホースマンの教えが胸にある限り。その日を楽しみに私は今日も明日も「オレのヒロシ」の馬券を買い続ける。


書籍名キタサンブラック伝説 王道を駆け抜けたみんなの愛馬
著者名著・編:小川 隆行 著・編:ウマフリ
発売日2023年07月20日
価格定価:1,430円(本体1,300円)
ページ数192ページ
シリーズ星海社新書
内容紹介

最初はその凄さに誰も気がつかなかった!「みんなの愛馬」

「父ブラックタイド、母父サクラバクシンオーの年明けデビューの牡馬と聞いて、いったいどれだけの人が、シンボリルドルフやディープインパクトらに比肩する、G17勝を挙げる名馬になることを想像しただろう」(プロローグより)。その出自と血統から、最初はその凄さに誰も気がつかなかった。3歳クラシックと古馬王道路線を突き進むも、1番人気は遠かった。それでも一戦ごとに力をつけ、「逃げ・先行」の才能を開花させると、歴戦の戦士を思わせる姿はファンの心に染みわたっていった。そして迎えたラストラン、有馬記念を悠然と逃げ切ったハッピーエンディングな結末。みんなの愛馬となった感動の蹄跡がここに甦る!

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