競走馬として、母として、そして。

札幌競馬場のコーナーを、各馬が思い思いに仕掛けながら過ぎていく。いっぱいになったタガノデンジャラスをマイソールサウンドがねじ伏せにかかるが、後ろから馬群が殺到してきた。

残り400m。先団2騎の外からマヤノライジンが迫る。そしてそのさらに外、いつの間にかレクレドールが迫って、追いついて、一気並びかけた。

ゴール50mほど前のスタンドで、人いきれに押されながらレースを見ていた私の眼に、先頭でゴールを目指すレクレドールが一歩一歩近づいてくる。その外から道中一列後ろに控えていたアドマイヤムーンが突っ込んでくる。間を割ってはマチカネキララだ。

「藤田! 藤田! 粘れ! 藤田! がんばれ!」

私は、まるでレクレドールのピッチに合わせるように叫んでいた。彼女が生まれる1か月前、日経新春杯で兄ステイゴールドをテン乗りで勝たせてドバイへの道を切り拓いてくれた藤田伸二騎手が、この日はレクレドールに初めて騎乗していた。

残り200m。アドマイヤムーンが大外から勢い込んで前を呑みこみにかかる。勢いが違う。

残り120m。気配を察したかレクレドールが押し切りを図る。一瞬差が広がったかのように見えた。

しかしそこまでだった。ゴール50m手前、私の眼前を通過するときには、アドマイヤムーンが1馬身、抜けきっていた。

レクレドールは2着だった。惜しかった。悔しかった。私は天を仰いだ。悔しさのあまり私はポケットに押し込まれていた彼女の単勝馬券を取り出して両端に手をかけた。

ファンの話し声が聞こえてきた。

「レクレドールも頑張ったよな!」

ハッと我に返り、いつの間にか紙幣が消え去っていた財布を開いた。お守りとして入れていたステイゴールドの馬券の隣に、そっと、しまい込んだ。

もう15年がたった。「アラフォー」すら卒業間近となった私の目の前に、あの日破かずに済んだレクレドールの単勝馬券がある。

レクレドールのラストレースは2007年3月の中山牝馬ステークス。所属クラブの規定ぎりぎりまで現役を務めあげて、彼女は引退した。

そのちょうど丸3年の競走生活で27戦、中央全10場のうち7場をまたにかけ、古馬初戦以降はただの一度も10週以上の出走間隔をあけることなく走りに走ったレクレドール。当時10レースあった古馬(3歳上含む)牝馬限定重賞すべてに出走したその旅程は、現役丸5年で50戦を走り、古馬王道GⅠすべてに3年連続出走した兄ステイゴールドにも比肩するタフネスだったのではないかと思う。

母としても2015年京成杯を制したベルーフ、さらに2018年の大井金盃を勝ったクラージュドールを輩出するなど、中央勝馬6頭(18勝)を輩出する活躍を見せた。

そして2020年にモーリスとの仔を誕生させたのを最後に繁殖牝馬を引退。現在はリードホースとして後進育成の一翼を担っていると、繋養されている白老ファームのTwitterに記されていた。そこには、こう書かれていた。

「みんなの母・レクレドール」と。

写真:Horse Memorys

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