栗毛の怪物といえばグラスワンダー。1996年キーンランド・セプテンバーセールで尾形充弘調教師の目にとまり、25万ドルで落札。翌年の秋にデビュー、4連勝でGⅠ朝日杯3歳S(現フューチュリティ―ステークス)を制覇。栗毛の怪物というニックネームはその朝日杯でリンドシェーバーのレコードを塗りかえた1.33.6を象徴する。その後、春秋グランプリ3連勝、なかでも99年有馬記念はスペシャルウィークとの激闘。当時、ラジオでレース実況を聴いてた私は大歓声にかき消されるアナウンサーの声をなんとか聴きとろうとラジオのスピーカーに耳をこすりつけた。どちらが勝利したのか。抑えきれない胸の高鳴りは私の競馬の原点のひとつ。
グラスワンダーといえば、的場均騎手抜きでは語れまい。職人気質をまとう関東のベテラン的場均(以下、敬称略)はマーク屋の異名を持つ。ライスシャワーでミホノブルボンの三冠やメジロマックイーンの天皇賞(春)三連覇を阻止したことからつけられた異名だ。本人はマーク屋と呼ばれることや、歴史的偉業を止めたことから悪役的扱いを受けることを極端に嫌ったという。それはそうだ。競馬にベビーフェイスもヒールもないのだ。競馬は出走全馬等しく勝利する権利を有するなかで競うものだ。どの馬にも生産者や育成に携わった人々がおり、日々管理する厩舎関係者がいる。的場均はそうした人々の思いを背負い、勝つためにどうするのかを追求、その結果が絶対的な存在を意識する競馬になって表れているだけのこと。職人の意識は負かすのではなく、勝たせるにある。
的場均とグラスワンダーといえば、エルコンドルパサーとの選択を迫られた1998年毎日王冠が印象的だ。同じく外国産馬のエルコンドルパサーは97年秋の東京デビュー。5連勝でNHKマイルCを勝利。そのレース、グラスワンダーは骨折が判明したため、出走しなかった。そのため、的場均に対するどちらに騎乗するのかという問いは先延ばしになっていた。その答えを出すとき、それがグラスワンダーの復帰戦1998年毎日王冠だった。私はグラスワンダーの離脱中に一気にGⅠ馬になったエルコンドルパサーを選択するだろうと勝手に決めていたので、的場均がグラスワンダーを選んだと報じられて、なんとも言えない興奮を覚えた記憶がある。
その年の毎日王冠はそんな2頭の若駒に5連勝で宝塚記念を制したサイレンススズカが立ちはだかった。斤量はサイレンススズカ59キロ、エルコンドルパサー57キロ、グラスワンダー55キロ。先頭を突き進む年上の栗毛サイレンススズカより4キロ軽いグラスワンダーが残り800mすぎからサイレンススズカをとらえに動く。一旦は並びかける場面もあったが、最後の直線ではサイレンススズカに突き放され、5着。エルコンドルパサーは2着だった。東京競馬場のセオリーから大きく外れる3コーナーからの超ロングスパート、当時の私には疑問符がついたものだが、なんとかサイレンススズカに勝ちに行くという的場均の心意気のあらわれと知れば、その勇気と決断に競馬の奥深さを垣間見えた。
当時、外国産馬に天皇賞への出走権がなかったこともあり、エルコンドルパサーとグラスワンダーはジャパンCを目指す。だが、その後はさらに対照的だった。グラスワンダーは状態面が上向かず、アルゼンチン共和国杯敗退。エルコンドルパサーは蛯名正義騎手とジャパンCを快勝。このころ、毎日王冠での的場均の決断は「誤りだったのでは」「グラスワンダーは外国産馬特有の早熟タイプなのでは」と言った声があがった。
的場均はそういった声を耳にし、どういった心境だっただろうか。選んだのは自分自身であり、その選択はグラスワンダーとエルコンドルパサーの背中を知った上でのものだった。当然、グラスワンダーの能力に対して確信のようなものがあったにちがいない。だが、それが実戦で表現できない。もどかしさはあったのか。それでも曲げない信念はどういったものだったのか。
次第に強まる外野の声をグラスワンダーと的場均はその年の有馬記念ですべて振り切った。約1年ぶりの勝利がグランプリ。やはりグラスワンダーは桁のちがう競走馬だった。私にとってグラスワンダーが心の馬になったレースだった。
翌春は京王杯SCで1100mという異次元の距離短縮をクリア、安田記念ではエアジハードに意地を見せられるも、次走宝塚記念では同世代で内国産馬のエース格スペシャルウィークに3馬身差の圧勝。私は阪神の直線で、スペシャルウィークを突き放すグラスワンダーに震えた。脚を高く上げ、地面に叩きつけるような走りに底知れなさを感じた。
「世界一!」そんな叫び声をあげた記憶がある。
いま、思えば私も若かった。世界など知りもしないクセに恥ずかしい。しかしながら、それだけグラスワンダーの走りは強烈だった。相手はダービー、天皇賞(春)を勝ったスペシャルウィーク。競馬界の看板馬に3馬身。栗毛の怪物がその奥底に宿す底力をついに披露した瞬間だった。
思うようなプランでレースを使えなかったグラスワンダーはこのころ、ようやく順調にレースに出走できるようになった。迎えた秋も計画通りに毎日王冠から始動。ここからグラスワンダーの時代だ。そんな確信があった。同世代のキングヘイローやメジロドーベル、スティンガーこそ出走したが、春の内容を思えば、相手はそこまで強力ではない。実際、グラスワンダーの単勝オッズは1.2倍、次位キングヘイローは10.5倍。完全なる一本かぶりだった。
夏の小倉で力をつけた快速アンブラスモアが注文通り、ハナに行き、グラスワンダーは序盤、外のキングヘイローの挙動を慎重に見極めながら、中団の外目追走。不利さえなければ大丈夫、的場均騎手のそんな意志を感じる。残り600m手前からグラスワンダーがじわりと動き、あくまで慎重にアンブラスモアとの差を詰めに行く。さすがは職人、手順は怠らない。最後の直線も進路を確保、グラスワンダーにGOサインを出すタイミングを計る。前半1000m59.0。アンブラスモアの後続の脚を削りとるような逃げにもグラスワンダーは動じない。
満を持してスパートしたグラスワンダーはアンブラスモアやスティンガーを捕まえ、先頭へ。さあスペシャルウィークを圧倒した走りを。だが、残り200m、グラスワンダーに宝塚記念のような凄みはなく、背後にいたメイショウオウドウにみるみる差を詰められる。
差された!
ゴール板通過後、私は瞬間的にそう感じた。それだけ最後の勢いはメイショウオウドウにあった。長い写真判定はたった3センチ差、グラスワンダーがしのいでいた。勝つには勝ったが、この辛勝に再び、色々な声が方々からあがる。競馬とは簡単ではなく、底の浅いものではない。グラスワンダーが出走した2回の毎日王冠は私にそんなことを伝えた。
だが、振り返ってみれば、99年毎日王冠は夏休み明けの始動戦であり、完調まで馬を研ぎ澄まさせる必要もなく、実際このレース後に筋肉痛で予定が狂ったように、グラスワンダーは体調維持が難しい。試行錯誤のなか、それでも的場均は勝たせるという使命を果たさねばならないという難題を背負っていた。事実、この秋シーズンはジャパンC出走こそできなかったが、有馬記念でスペシャルウィークの雪辱戦をわずか4センチだけ退け、グランプリ3連勝を達成した。毎日王冠では3センチ差。グラスワンダーにはたとえ数センチでも負けない不思議な力がある。
正解などない世界で、勝利を手中に収める。ジョッキー的場均の凄みとグラスワンダーの底力、どちらを欠いても成し得ない偉業を目撃できたことはラッキーであり、幸せなことだ。
私の心つかんだグラスワンダーの底知れない資質はセイウンワンダー、アーネストリー、スクリーンヒーロー、そしてゴールドアクター、モーリスと続き、さらにピクシーナイトで父子4代GⅠ制覇を成した。JRAでここまで活躍したサイアーラインはほかにない。グラスワンダーが教えてくれた競馬の魅力を伝えたくて、私はここにいる。
写真:かず