中央競馬の平地重賞において、勝ち馬が2着以下に『大差』をつけて勝利した例はほとんどない。
年間100以上行われる平地重賞の中でも、平成以降ではたった3例しかない。
2020年11月末現在、サイレンススズカがレコードで圧勝し伝説となった、1998年の金鯱賞が最後となっている。
今回は、そのサイレンススズカの同期にあたる馬が、同じく大差勝ちを演じ、後の古馬長距離戦線の頂点に立つきっかけとなった、1997年のステイヤーズステークスを振り返りたい。
ステイヤーズステークスといえば、日本の平地重賞では最長距離を誇る。
ゴール前の急坂を三度も越えなければならないという、特にスタミナと底力が問われるレースとして知られている。
そのため、古馬長距離のスペシャリストが集うことが多く、昭和の終わりから平成初期にかけて、その年のクラシックで好走した3歳馬の出走はあまり見られず、以前から古馬の活躍が目立つレースだった。
そんな中、1994年に、その年のダービー2着、菊花賞でも3着と好走したエアダブリンが、現在も残る大レコードでこのレースを制すと、GⅡに昇格した1997年、再びその年のクラシック戦線を賑わせた3歳馬が出走してきた。
単勝オッズ1.6倍の圧倒的人気に推された、メジロブライトである。
メジロライアンの初年度産駒で、生産もメジロ牧場という『メジロブランド』の同馬は、当時から出世レースとして名高かった、前年のラジオたんぱ杯3歳ステークス(現・ホープフルステークス。当時は阪神開催)を快勝。
年が明けて共同通信杯4歳ステークスも制し、この時点で、牡馬クラシック戦線の最右翼に躍り出たように思われた。
しかし、続くスプリングステークスでよもやの2着に敗れると少しずつ歯車が狂い始め、皐月賞4着、さらにダービー、京都新聞杯、菊花賞と3戦連続で3着となり、クラシックでは上位人気に推されながらも惜敗。
父メジロライアンの現役時と同じような、大変もどかしいレースが続いてしまった。
今回は、主戦の松永幹夫騎手が阪神で開催されるワールドスーパージョッキーズシリーズに出場するため、鞍上には河内騎手を起用。クラシックでのモヤモヤを払拭し、翌年の古馬・中長距離戦線で再度主役に躍り出るため、確勝を期してこのレースに臨んできたのである。
一方、2番人気に推されたのも、同じ3歳馬のトキオエクセレントだった。
春は、ダービートライアルの青葉賞で重賞初制覇を達成したものの、本番のダービーは8着。
しかし、前走の菊花賞ではメジロブライトと同タイムの4着に善戦し、この馬も翌年の古馬中・長距離戦線に弾みをつけるためここに出走してきたのだった。
以下、前々走の3000mのオープン嵐山ステークスを制し、牝馬ながら長距離適性の高さを見せたアドマイヤラピスと、前年のステイヤーズステークスを制したサージュウェルズが人気順で続き、朝から降り続く雨、そして暗い冬の寒空の下、ゲートインを迎えた。
ゲートが開くと、いきなりアドマイヤラピスが出遅れたが、それ以外の各馬はきれいなスタートを切り、まずは1コーナーを目指す。
先手を奪ったのは、これが現役最後の騎乗となる平目騎手とオンワードチェスト。
同じ7枠のホクトタイクーンが2番手につけた。さらにそれを、前年の覇者サージュウェルズの和田騎手が手綱を押して積極的に追いかけ、2コーナーで今度は先頭に立ち、長距離戦ながら序盤から前が少しやり合う展開となった。
しかし、向正面に入ると、流れは落ち着いて隊列は決まり、人気上位馬ではトキオエクセレントが中団、メジロブライトは後ろから4頭目、そしてアドマイヤラピスは出遅れを無理に挽回することなく離れた最後方を追走し、各馬1周目の4コーナーを回り再度スタンド前に戻ってきた。
平地最長距離のレースに重馬場という条件が加わったため、いつにも増してペースが遅く、12秒後半から13秒台のラップが続いたが、タニノタバスコ以外、折り合いを欠く馬は見られなかった。
そのタニノタバスコも、2周目のゴール板を通過する直前から、名手ロバーツ騎手が抑えるのをやめて馬の行く気に任せ、1コーナーでは先頭のサージュウェルズに並びかけたところで落ち着いて、各馬2コーナーを回った。
そこから向正面に入り、レースの3分の2を走って残り1200mの標識を通過すると一転、落ち着いていたレースが突如大きく動き出した。
ショウナンアクティ、ステージプリマ、トキオエクセレント、メジロブライトと、中団付近につけていた各馬が先行集団との差を詰め始めたのだ。
3コーナーに入ると、メジロブライトが4番手、トキオエクセレントが3番手にポジションを上げた。
中でも、メジロブライトの手応えが他馬とはまるで違い、4コーナーでトキオエクセレントを交わすと、ほぼ馬なりで先頭のサージュウェルズに一気に並びかけ直線を迎えた。
直線に入ると、坂の手前で河内騎手の左鞭が一発、坂の途中でさらにもう一発入ると、メジロブライトは目の覚めるような末脚を発揮し、完全な独壇場となった。
一完歩ごとに2番手以下との差が広がり、ゴールに近づくにつれ、テレビカメラにはメジロブライト以外は映らないほどの差となる。
そんな勝利が確定した状況でも、ゴール板を必死に目指すメジロブライト。
クラシックの戦いで残ったモヤモヤを払拭し、たまった鬱憤を爆発させるその末脚は、降り続く雨と、雨雲で暗くなった空を、そして闇を切り裂き、ブライト(bright)の名前どおり、ゴール板を点す照明と重なって、自身のその先の未来を明るく照らす閃光のような末脚だった。
結局、ゴール板を通過する頃には、最後方から追い込んで2着となったアドマイヤラピスに1秒8差をつける歴史的な大圧勝。
平地重賞での大差勝ちは、1989年の弥生賞を勝ったレインボーアンバー以来、実に8年ぶりの記録だった。
ステイヤーズステークスを圧勝したメジロブライトは、2ヶ月後、再びアメリカジョッキークラブカップに出走するため中山競馬場に姿を現した。レースでは、道中最後方から3~4コーナーではまくり気味に中団まで進出すると、直線半ばでは余裕たっぷりに抜け出して重賞連勝を達成した。さらに、続く天皇賞春の前哨戦・阪神大賞典では、同期のライバルで、年末に有馬記念を制して先にGⅠ馬となっていたシルクジャスティスを、一騎打ちの末に破りGⅡ3連勝。勇躍、本番へと向かった。
そして、迎えた天皇賞春では2番人気に甘んじたものの、『メジロブランド』のホームともいえるこの舞台で、その底力・ブランド力を遺憾なく発揮し、2着ステイゴールドに2馬身差をつけて完勝。
メジロの馬としては、メジロマックイーン以来6年ぶりの天皇賞制覇、そしてメジロ牧場生産馬としては、メジロティターン以来、実に20年ぶりに天皇賞を制し、前年のクラシックでのもどかしさが嘘のように、長距離でその素質が大きく開花し、一気に頂点まで駆け上がったのであった。
写真:かず