マイルCSに彩りを加える世界の名手たち
競馬人気が拡大するなか、新規ファンが増加している。その背景には、アニメやゲームなどの影響で興味を持つ層が広がり、競馬の魅力が多くの人に伝わっていることがある。筆者も、会社の若手から「馬券のアドバイスをほしい」と頼まれたことがあったが、きっかけは競馬擬人化アニメだったそうだ。筆者が転職した2年目──職場でその競馬マニアキャラを確立しつつあった2018年のことになる──後輩からの質問にわかりやすく返そうとして「GIなら騎手の欄がカタカナになってる馬がだいたい勝つよ」と伝えた記憶がある。
この年の中央開催GI(平地、JBC含む)を振り返ると、勝利騎手の欄がカタカナになっていたのは27レース中15レース。実に全中央開催GIの半分以上をカタカナの騎手が占めていたことになる。アドバイスは間違っていなかったと思う。
ところが、後輩からクレームが入った。この年のマイルCSに騎乗する騎手の欄がカタカナで記されている馬はなんと5頭。しかもほとんどが人気馬である。なるほど、なんのアドバイスにもなっていない。
マイルCSと言えば京都の芝外回り1600mで開催されることから、トップマイラーはもちろん、2200m(エリザベス女王杯)や2400m(ジャパンカップ)では少し適性を超えてしまう中距離馬、距離が延びても自信があるスプリンター、さらにはクラシック戦線を戦い終えてマイルに活路を見出す3歳馬が出走してくることから、異種格闘技戦的な面白さがある。
また、マイルCSは11月の3週目に開催されるが、このシーズンは欧米の競馬界がオフシーズン。そのため11月は特に、短期免許で来日する騎手が多くなる。世界のトップジョッキーが来てくれるだけに、競馬ファンはその巧みな手網裁きと激しいアクション、勝負どころの駆け引きを堪能できるのだ。
2018年のマイルCSでは、短期免許騎乗騎手のW・ビュイック騎手、C・デムーロ騎手、R・ムーア騎手の3名、またすでにJRAの通年免許を取得していたM・デムーロ騎手、C・ルメール騎手が参戦。例年以上に豪華な顔ぶれとなっていた。
ステルヴィオとW・ビュイック騎手
2018年、ロードカナロアの初年度産駒であるアーモンドアイが早々に牝馬三冠を制していた。そのためロードカナロアは種牡馬としてその地位を確立しつつあったと言える。
一方、牡馬に関してはステルヴィオがスプリングSを制してはいたものの、クラシックを含むGI勝利にはまだ手が届いていなかった。
このステルヴィオは2015年、ロードカナロア産駒の「第1号」としてノーザンファームで誕生し、産まれて早々から注目を浴びる存在となっていた。その期待に応えるように、2017年のダービー翌週の東京の新馬戦で圧勝。これが種牡馬ロードカナロアの初めての勝利となった。さらには札幌のコスモス賞で2連勝、エリート街道を歩もうとしていた。
2歳の秋にはサウジアラビアRC、朝日杯FSに歩を進めるも、ダノンプレミア厶に後塵を拝することになるが、この世代の有力馬としてクラシック戦線へと進むことになった。
翌2018年3歳の春、スプリングSで復帰すると、エポカドーロを捕らえて重賞初制覇。しかし、皐月賞4着、ダービー8着という悔しい結果で春シーズンを終えた。
秋シーズンは菊花賞に向かわず、古馬混合のGII毎日王冠に向かう。アエロリット、キセキら強豪古馬の他、同期のマイル覇者のケイアイノーテックもこのレースを使ってきたが、2着健闘。ここからマイルCSへと臨んでいた。
3歳馬の勝利は2000年のアグネスデジタル以降長らく遠のいていたが、前年2017年にペルシアンナイトが勝利することで暫く閉ざされていた3歳馬によるマイルCS制覇という重い扉が開かれた直後であった。
そして、このステルヴィオにはデビュー時からルメール騎手が騎乗、クラシック戦線から毎日王冠まで、同騎手が心強いパートナーとして背中に跨っていた(朝日杯FSはC・デムーロ騎手が騎乗、ルメール騎手はタワーオブロンドンに騎乗していた)。
ところがマイルCSにおいて、ルメール騎手ら春に安田記念をともに制したモズアスコットに騎乗する予定があったため、そこで組むことになったのがイギリスの名手ビュイック騎手(当時30歳)だった。
ビュイック騎手は若くして欧米で大レースを制し、2014年からはゴドルフィンのUAEとイギリスにおける主戦騎手となり、トップジョッキーとしての地位を確立していた。
日本においても2013年、2014年に短期免許を取得し、重賞を計4勝とすでに結果を出していたが、短期免許については4年ぶりの取得となり、GI初制覇が期待されていた。その来日後の初週がこのマイルCSの開催週であった。
百花繚乱の人馬たち
2018年のマイルCSは単勝オッズ1桁台の馬が6頭という混戦模様だったが、うち5頭に外国人騎手が騎乗する群雄割拠な戦況だった。
1番人気は先に述べた春のマイル王者のモズアスコットとルメール騎手。前哨戦のスワンSは僅差2着だったが休み明けとしては合格点ということで叩いた上積みが期待されていた。
2番人気はアエロリットとムーア騎手。牝馬ながらNHKマイルカップ勝ち馬で春は安田記念で僅差2着。そして前走は毎日王冠で勝利しており、マイル女王の君臨が期待された。ムーア騎手はすでにモーリスでマイルCSを制しており、当然その剛腕に期待する声は多かった。
3番人気は前年の覇者ペルシアンナイトとM・デムーロ騎手。2018年は大阪杯の2着があったがマイル路線ではもう1つ足りない成績だったが、適性が問われる京都芝外回り1600での復活が期待された。
4番人気には皐月賞馬のアルアインと川田将雅騎手、ステルヴィオは5番人気、そして前哨戦の富士Sを制していたロジクライとC・デムーロ騎手が6番人気。ここまでが単勝オッズを10倍を切る有力馬として期待された。
まさに京都の秋を彩るにふさわしい百花繚乱の人馬たちが淀のターフに集まっていた。
ゲートが開きレースがスタート。積極的に逃げようとする馬はおらず、ロジクライとアルアインの2頭が押し出されるように先頭へ立つと思いきや、スローを見越したのか、アエロリットとムーア騎手が外から先頭に踊り立った。
先行集団の内側4番手にステルヴィオとビュイック騎手がピタリと収まり好位置を確保。
その後ろの中団にペルシアンナイトとデムーロ騎手がステルヴィオを見る形で虎視眈々。
中団やや後方にモズアスコットが末脚勝負に賭ける展開となった。
ゆったりとしたペースのまま、隊列はそのままに3コーナーの坂を超えて4コーナーへ。まるで欧州の競馬を観ているような感覚に陥る「静」の競馬が展開されていたのは、世界の名手たちの競演によるものだったのだろうか。
坂を下り、最後の直線に入ると馬群が一斉に広がり直線勝負へ。
アエロリットの白い馬体がが抜け出しを図ろうとするも、手応えはイマイチ。すぐ後ろに控えていたアルアインが先頭に立つ。
外から伸びてきたのがレッドアヴァンセとエアスピネルだが、ここは皐月賞馬の力が一枚上か、アルアインはもうひと伸びで外の2頭を振り払う。
しかし、残り100mでアルアインの後ろから伸びてきたのが白い帽子の2頭、ステルヴィオとペルシアンナイトだった。併せ馬で最内のアエロリットと馬場の真ん中のアルアインの間を突き抜けると、最後は2頭の叩き合い。
ビュイック騎手の激しいアクションに応えるステルヴィオとM・デムーロ騎手のムチに反応して前年王者の維持をみせようとするペルシアンナイトの鍔迫り合いはまさに死闘だった。パトロールビデオで見返すと、ペルシアンナイトはラチすれすれまで寄っており、インの攻防だっただけにかなり限られたスペースで繰り広げられていたのがよく分かる。最後はアタマ差だけステルヴィオがリードした状態でゴールイン。ゴール直後はビュイック騎手とM・デムーロ騎手が言葉をかけ合うようなシーンがみえるが何を話していたのだろうか。
ステルヴィオの勝利がもたらした未来
ステルヴィオは3歳にしてマイルCSを制し、GI初制覇。クラシックこそ悔しい結果に終わったが、早々に鬱憤を晴らすことに成功した。
また、ビュイック騎手は日本のGI初勝利を達成し、世界のトップジョッキーとしてさらなる輝かしい栄誉を手にした。さらには、管理する木村哲也調教師にとってこれがGI初勝利であり、後に数々のGIを制するトップ調教師へと駆け上がる記念すべき第一歩となった。
そして、父ロードカナロアにとっては初年度産駒にして早くもアーモンドアイに次ぐ 2頭目のGI馬の誕生となり、初めて牡馬のGI馬を生み出した。
ビュイック騎手、木村哲也調教師、そして種牡馬ロードカナロアのその後の活躍はここで改めて説明する必要はないだろう。
そしてステルヴィオだが、7歳となる2022年まで現役で走り続けたが、故障や喉鳴りに悩まされる期間もあり、結局このマイルCSが最後の勝利となった。
引退後は当初乗馬としての繋養が予定されていたが、一転して種牡馬入りされることが発表された。種牡馬入り1年目(2023年)は91頭と交配しており、2026年に産駒のデビューを控えている。
ステルヴィオが果たすことの出来なかったクラシック勝利という夢の続きは血を受け継ぐ産駒たちに引き継がれることとなった。マイルCSの勝利がなければ産駒もそこまでは多くなく、夢の続きも限られていたものだったかもしれない。
ステルヴィオのマイルCS勝利は多くのホースマン、父ロードカナロア、そしてステルヴィオ自身に素晴らしい未来をもたらしたのだ。
出馬表の騎手欄にカタカナ名が並び始めると、今年もこの季節がやってきたと感じる11月の後半。世界の名手たちが集うことで、その彩りが輝かしく増す京都競馬場でのマイルCS。多くの馬に勝機があるマイルの舞台で、また無数の未来が生まれ、広がっていくのである。
写真:はねひろ(@hanehiro_deep)