男は最後の最後に静かに手綱を緩めた。 早田牧場の名を刻み続けたネヴァブションとAJCC。

「天栄」
「シルク」
「優駿SS」

競馬ファンにとってよく耳するこれらの言葉はその源流をたどると、早田牧場に行き着く。その終焉には必ずしもいいイメージはないが、その昔、競馬界に咲いた花だった事実は間違いない。早田牧場はブライアンズタイムを日本に導入し、同じく海外から連れてきたパシフィカスに交配し、三冠馬ナリタブライアンを生産した。兄ビワハヤヒデも活躍し、90年代の日本競馬界を語る上で早田牧場は欠かせない。なにせ社台ファームに次ぐ第2位まで昇りつめたのだ。あの当時、日高に早田牧場ありと持てはやされた。ノーザンファーム天栄の前身にあたる天栄ホースパークは外厩という言葉が受け入れられる遥か前に早田牧場が作ったものだった。時代の先を行き過ぎたともいえる。

だが、現代の競馬を考えれば、行き過ぎた先は決して間違ってはいなかった。ただ、強引な方法がいけなかった。目的は正しくとも、手段を誤れば、道は断たれる。早田牧場は2002年に経営悪化を理由に倒産した。地方競馬廃止とともに競馬人気に翳りが見えた21世紀はじめを象徴するできごとだった。信じられないかもしれないが、当時、競馬は時代遅れのレジャーになりかけていた。そして、その危うさはいまも消えたわけではない。かつて風俗とギャンブルは不況に強いと言われてきたが、それはもう昔の話。競馬人気は絶対ではない。21世紀はじめを競馬とともに生きた人々はみんなそれを忘れていない。

ネヴァブションは早田牧場最後の生産馬の一頭であり、最後の重賞勝ち馬でもある。その父マーベラスサンデーもその母モミジダンサーも早田牧場の生産馬であり、父は早田牧場の至宝ブライアンズタイムのライバルでもあるサンデーサイレンス。マーベラスサンデーは早田牧場の栄華を物語る一頭だった。

ネヴァブションは落ちゆく早田牧場がマーベラスサンデーに託し、この世に生まれた。そして早田牧場が競馬の世界から消えて約5年後、ネヴァブションは日経賞を勝利した。消えたはずの早田牧場新冠支場という名が再び新聞紙面に刻まれた。その日経賞から約2年後、6歳になったネヴァブションはAJCCで周囲をまた驚かせた。

その前走中山金杯は5着。57.5キロを背負い、中団追走から直線で少しだけ脚を伸ばし、掲示板に載った。2年前の日経賞と同じような差す競馬は6歳になったネヴァブションのいつものレース運びだった。直線でどこまで伸びるか。それがネヴァブションの流儀だ。

ゲートが開き、正面スタンド前の先行争いに決着がつき、1コーナー付近でカメラが先頭に戻り、実況アナウンサーが順に馬名を読み上げる。ネヴァブションは逃げるキングストレイル、2番手サンツェッペリンの次、3番目に馬名が呼ばれた。カメラがばらけた先行集団のイン3番手を走るリズムよく走る姿をとらえる。騎乗するのは横山典弘騎手。初騎乗だったジャパンCで逃げて7着、前走中山金杯はいつもの競馬。こんな過程で勝負駆けの一戦に挑む横山典弘騎手はまさに魔法使い。なんなくネヴァブションを好位で気分よく走らせた。

残り600mから逃げるキングストレイルが11.6-11.7とぺーすをあげると、番手にいたサンツェッペリンがついていけないとみるや、ネヴァブションは一気にスパートし、キングストレイルを追いかける。サンツェッペリンを内から交わすのも憎らしいほどに完璧だ。

最後の直線で脚を使うのはネヴァブションの得意パターン。前を行くキングストレイルの外に手早く進路を切りかえ、そこから猛然と追い詰める。冬の中山はメインの頃に芝コースの大半がスタンドの影に覆われてしまうが、内ラチ沿いだけは陽ざしが注ぎ、あたかもビクトリーロードが生まれる。光と影の狭間を駆け抜けるネヴァブションは消えてしまった故郷の影を引きずりながらも、それを振り払うかのように未来へ生きていく意志を放ち、天がその姿を励ましているかのようだった。

これが最初のAJCC勝利だった。

その後1戦して、乗り替わりとなり、横山典弘騎手が再びネヴァブションとコンビを組んだのは翌年のAJCCだった。この1年は7、13、10、12着。これはGⅠを中心に戦った結果であり、大きな着順は決して衰えを意味したものではなかった。7歳になったネヴァブションは横山典弘騎手を迎え、またも躍動する。

シャドウゲイトがじわりと先頭に立つなか、ネヴァブションは今年もしれっと好位5番手、インコースで流れに乗る。勝負所でひと塊になり、ひしめく大集団の最内にいたネヴァブションの鞍上横山典弘騎手が抜いたステッキはラストスパートの合図だ。必死に奮起を促す鞍上に応えるようにネヴァブションは食いしばって急坂を駆けあがる。逃げる8歳シャドウゲイトも簡単には屈しない。坂を上がった残り100mはベテラン2頭による意地の張り合いだ。前年のような光と影の美しさもゴールシーンに鮮やかさもないが、ただ先頭で駆け抜けることを目指して火花を散らすひたむきな戦う男の背中は、思わず押してあげたくなるような、いや触ってはいけないような独特な空気を醸す。

ゴール寸前だが、シャドウゲイトを捕まえたと確信した横山典弘騎手がネヴァブションの手綱をほんの一瞬だが、緩めた。「よくやった。もう十分だ」そんな優しい男の労いにも見えた。

ネヴァブションは翌年のAJCC3着後も走り続け、2013年11月ステイヤーズSを最後に種牡馬入り。その3年後、2016年11月にその生涯を閉じた。早田牧場倒産から14年目の秋だった。

ネヴァブションは9年間も出馬表に早田牧場新冠支場の名を刻み続けたことになる。

写真:かず、Horse Memorys

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