たどり着いた大舞台で
2012年の年の瀬、オーシャンブルーの姿は、春に新装された中京競馬場にあった。
2月の府中、早春ステークスで復帰したオーシャンブルーはここまで7戦して2勝2着1回4着3回5着1回。
1000万下に降級後、夏の小倉・西部スポニチ賞を小牧太騎手とのコンビで大外ぶんまわしから直線ほとんど追うところなく完勝すると、10月の京都・大原ステークスでは川須栄彦騎手の叱咤に応え最後の最後で前をとらえきった。
復帰以降、掲示板を外さない成績でオープン入りを果たしたオーシャンブルー。重賞初挑戦となったアルゼンチン共和国杯での5着を経て乗り込んできたのが、GⅡ金鯱賞だった。
今でこそ春の大一番・大阪杯の前哨戦として位置づけられている金鯱賞だが、当時は12月初旬の開催。有馬記念への西のトライアル的な役割を果たしていた。
1番人気は2連勝中の上がり馬サトノギャラント。前年の皐月賞でオルフェーヴルの3着だったダノンバラードが2番人気で続き、3番人気には近走不振も宝塚記念レコード勝ちの金看板アーネストリーが控える。そして弥生賞勝ち馬コスモオオゾラ、さらには後にオーストラリアの地でGⅠ馬となりつつもこの世を去った悲運の名馬アドマイヤラクティと、多士済々。オープン2戦目のオーシャンブルーは、13戦目にして早くも10人目の鞍上となる初コンビのクリストフ・ルメール騎手を迎えても6番人気に甘んじていた。
洋芝の緑に野芝の冬枯れが滲む師走のターフ。傾く西日を正面から受けて長く伸びる自らの影を背負いながら、金鯱賞のゲートが開いた。私はその中継を「積み重ねてきた努力が重賞タイトルという形で実を結んで欲しい」と思いながら見つめていた。
オーシャンブルーはやや行き脚が付かなかったか、後方からのスタート。ルメール騎手が少しずつ手綱を動かしながら中団後ろに取り付いていった。
ダノンバラードの作ったペースはややスロー。2コーナーから3,4コーナー中間あたりまで各馬の位置取りはほとんど変わらず、実況の小林雅巳アナも「淡々とした流れ」と言及する。オーシャンブルーは中段後ろ、前をアーネストリーとトウカイパラダイス、内をダイワマッジョーレ、そして外をクレスコグランドに包まれた状態だった。行き場がないようにも、その機が来るのをじっと待っているようにも見えた。
4コーナー、馬群が縦にギュッと縮まり、横にサッと広がった。直線に入り、並んで走っていたダイワマッジョーレが内に進路を求めると、オーシャンブルーの前にもようやく道が開けた。
「……開いた!」
機を見るに敏。ルメール騎手が迷わずそこに突っ込んでいく。
横に広がる馬群をとらえるべく内から外にパンしていったカメラが再びレース全体をとらえた残り150m、抜け出したのはダイワマッジョーレとオーシャンブルー、内の2頭。
そしてオーシャンブルーは、前をゆくダイワマッジョーレを捉え、最後は振りほどくようにかわし切り、先頭でゴール板を通過した。
6番、オーーーシャンブルー!
クリストフ・ルメーーールです!!
──ラジオNIKKEI実況より
長音部分を朗々と歌い上げるかのような「小林節」。オーシャンブルーとルメール騎手の名前が、小林雅巳アナによって中京競馬場に、そして中継を聞いていた日本中の競馬ファンの耳元に、響き渡った。通算13戦目で手にした6つ目の勲章はGⅡの輝き。一歩一歩積み重ねてきた努力が一つ、身を結んだ瞬間だった。
そして3週間後。オーシャンブルーはさらなる驚きをもたらしてくれた。
急遽、参戦したグランプリ有馬記念。
中山の最後の直線、大外からすべてを呑み込んでゆく「芦毛」の二冠馬・ゴールドシップの姿に目を奪われていた大観衆の、その視線の左端から、水色に青の縦縞の勝負服が猛然と突っ込んできた。
道中馬群の内側でじっと息をひそめていたルメール騎手とオーシャンブルー。直線入口、馬場の真ん中に進路を取ると、彼らの前を遮っていた馬群が、左右に分かれていった。
前を遮るものがなくなった人馬は導かれるかのようにその隙間から末脚を伸ばし、一世代下の同父ゴールドシップにこそ遅れをとったものの、ルーラーシップの「出遅れ一気」を抑えて堂々2着を確保した。奇しくもゴールド「シップ」と「オーシャン」ブルー、「黄金の船」と「青き大海原」の1,2着となった。
ステイゴールド産駒のJRAGⅠでのワンツーフィニッシュは、2022年8月現在、この2012年有馬記念、ただ1回である。