さよなら、オーシャンブルー

オーーーシャンブルーか、ゴーーールイン!

わずかにオーーーシャンブルーのように見えます!!!

──ラジオNIKKEI実況より

2014年、年の初めの中山金杯。暮れの有馬記念、ラストレースにしてベストレースを披露したオルフェーヴルへの感嘆の余韻漂う中山競馬場に、長音がことさらに強調された小林雅巳アナの実況が高らかに響き渡った。

2013年シーズンを全くの不完全燃焼に終わったオーシャンブルー。有馬記念を自重して復活を期した陣営は短期免許で来日していたフランシス・ベリー騎手に手綱をゆだねた。実にオーシャンブルーにとって14人目の鞍上である。

3コーナー入口から鞍上に気合をつけられながら懸命に前を追うオーシャンブルー。内内の経済コースを立ち回り、前を行くドリームヒーローとコスモファントムの間に飛び込んでいく。

残り150、最内から抜け出したオーシャンブルーに、ベリー騎手の、音が聞こえてくるような左鞭が飛ぶ。

8発目を打ち終わったところが歓喜のゴールだった。57.5キロのトップハンデを克服した、有馬記念2着馬の意地の1着でもあった。

そして、この7つ目の勲章が、競走生活における最後の歓喜だった。

フェノーメノが連覇を飾った天皇賞(春)にも、ジェンティルドンナが引退の花道を飾った有馬記念にも、ゴールドシップが日本中に悲鳴を起こした宝塚記念にも、オーシャンブルーの姿はあった。しかし彼が主役となることはなかった。

そして2015年有馬記念。レース後にすっかり馬体が白くなったゴールドシップがカクテル光線を浴びながら、涙と拍手と少しの笑いに見送られた同じ舞台で、オーシャンブルーは静かに競走生活に「さよなら」を告げた。

2016年、種牡馬入り。

2019年、初年度産駒クリノブレーヴが産駒初勝利を飾り、GⅠホープフルステークスに出走したものの中央勝ち鞍は本馬とダンシングリッチーが挙げた2勝の計3勝にとどまり、2020年シーズンを以て種牡馬引退。2度目の旅立ちとなった。

乗馬としてのリトレーニングを経て、本格的に第三の馬生を始めたその矢先、オーシャンブルーは遥か大洋の彼方へ旅立っていった。3度目の──そして本当のさよならは、あまりにも突然だった。

小倉・新潟・京都・東京・中山・中京そして阪神と、七つの芝を股にかけ、3歳未勝利・樟葉特別・阿賀野川特別・西部スポニチ賞・大原S・金鯱賞そして中山金杯と、七つの勲章を、和田騎手・川田騎手・福永騎手・小牧騎手・川須騎手・ルメール騎手そしてベリー騎手と、すべて異なる七人の相棒を背に勝ち取った、「七大洋」を想起させる名を持つオーシャンブルー。

ナカヤマフェスタ、オルフェーヴルで日本馬として最も凱旋門賞に近づいたステイゴールドの血を持ち、母系に3頭の伝説的な凱旋門賞馬が並び立つ。ひょっとしたら日本馬初の凱旋門賞馬の栄誉は、彼が残した47頭の産駒が刻む系譜によってもたらされるかもしれない。忘れずに、命ある限り、その血の行方を追いかけていこう。

「Ocean Blue」の名がいつか七大洋を越えて世界にとどろき渡ることを願いながら。


2022年8月4日。

ショックをこらえながらなんとか仕事から帰宅した私は、家族が寝静まった自室で一人、とある楽曲に耳を傾けていた。

引き潮の波が

八月の愛を今 飲み込むよ

あぁ、そうか、ちょうど、八月か……。

「何か」をきっかけに、昔聞きかじっただけの曲を改めて聞いてみたくなるというのが、最近増えたように思う。たぶん齢のせいだと思う。

溜息に曇るメモリー

君を胸に焼き付けて

なん十年かぶりに聞く杉山清貴の澄み切った歌声が、これも齢のせいか緩みやすくなった涙腺を、なぜか一息にあふれさせた。

さよなら オーシャン 愛の海

泳いだ季節が 戻るなら

うん、もう、寝るだけだ。オーシャンブルーのために、今日は泣き明かしたっていい。

ありがとう、オーシャンブルー。忘れない。

さよなら オーシャン 夏色の

涙に もいちどだけ LOVIN'YOU

──杉山清貴「さよならのオーシャン」より

さよなら、オーシャンブルー。

写真:雪のかけら、明石智子、s.taka

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