[連載・片目のサラブレッド福ちゃんのPERFECT DAYS]レポジトリ検査報告書(シーズン1-27)

NO,9ホーストレーニングメソドの木村さんからLINEが入り、福ちゃんのお姉さんであるダートムーアの23のレントゲン写真と獣医師の所見とともに、「右前の骨折が厳しい状況です。詳しくは電話で打ち合わせしましょう」とコメントが添えられていました。僕は獣医師ではないので、レントゲン写真を見ても詳しくは分からないのですが、右前膝の骨片が飛んでいることは分かりました。

この時期の若駒には良くあることですし、手術をして骨片を取り除けば、その先、何の問題もなく走ることができるはずです。とはいえ、まだ激しいトレーニングを始めていないこの時期に出たということは、右前膝がダートムーアの23のウィークポイントなのかもしれませんし、予後を見つつも要注意なのだと思います。

何よりも僕ががっかりしたのは、このタイミングであることです。せっかく選んでもらったセレクションセールまであと1か月を切ったところで、致命的な骨折が判明するなんて。もっと言えば、3年前から紆余曲折を経てようやくここまでたどり着いたのに、あと1歩のところで無になってしまいました。これまでは物書きの話のタネとして済ませてきましたが、さすがにここまでくるとネタでは済みません。

「向いていないんだな」というのが正直な感想です。感情的になっているからかもしれませんが、ここまでの不運が続いてしまうと、生産の世界に向いていないということなのだと思います。僕は学生の頃、パチンコ店に通っていたことがあり、そこで得た唯一の教訓は、出る台は最初から出るし、出ない台は最初から出ないということでした(笑)。これはパチンコだけではなく、どの世界にも当てはまり、自分に合っていて上手く行く物ごとは最初から上手く行くものであり、対して上手く行かない物ごとはいくら頑張っても上手く行くようにはならないのです。それは才能とか素質とか呼ばれたりもするのですが、もっと大きく捉えて、向いている向いていない、合っている合っていないという意味でもあります。

誰が悪いのでもなく、この僕が生産に向いていなかったということ。馬券よりも、馬主よりも、生産の方が計算は立つ、儲かるのではないかと考えて、よこしまな気持ちで始めてしまったのが悪かったにしても、つまりは向いていなかったのです。生産の世界で生きていけるほど、僕には運がなかったし、資金もなかったし、知識も技術もなかったということです。学ぶことは多かったのですが、あまりにも代償が大きすぎますし、何と言っても生き物を扱っている以上、はい辞めますという訳にはいかないのも苦しいところ。パチンコ店には二度と行かなければこれ以上損をすることはありませんが、ダートムーアの23には罪はありませんし、碧雲牧場にいる福ちゃんやダートムーア、そしてスパツィアーレの母子も同じです。彼らがこの世に生を授かったのは僕の都合であり、僕はその責任を取らなければならないのです。

福ちゃんだけではなく、福ちゃんのお姉さんまでも売れないとしたら、僕は無収入のまま何頭の馬たちを養わなければならないのでしょうか。優れたダイナカール牝系の血をつなぐのは大切な仕事ですが、あまりにも負担が大きすぎます。2021年にダートムーアを購入してから2024年の今に至るまで、生産事業の収入は1円たりともなく、支出は2000万円に届こうとしています。3年かけて赤字を掘り続けてきて、ようやく回収モードに入ろうとした矢先にこのレントゲン写真ですから嫌になります。

木村さんから電話がかかってきました。木村さんも心苦しいだろうなと思いつ、レポジトリの結果を分かりやすく教えてもらいました。木村さんの見立てでは、左前の球節部の骨片は大きく、靭帯のところに飛んでいるため、手術して骨片を取り除くときに靭帯を傷つけてしまう恐れがあるとのこと。三石(みついし)に専門の外科医師がいるので、レントゲン写真を見て意見をもらおうと思っている。ただ、現実問題として、このレポジトリを獣医師や専門家が見たら、買わないという判断をするだろう。つまり、セレクションセールで主取り(馬が売れない)になる可能性が高いから、そのあとのことも考えなければいけないとのこと。

「そのような状態の馬を売るのは心苦しいので、ひとまずセレクションセールはキャンセルして、手術なり保存療法で治療するなどして良くなってから、その後のことは考える方が良いのではないですか?」と僕が正論を述べたところ、「セレクションセールは辞退してしまうと、もう二度と出られなくなってしまいますよ」と思いもよらない答えが木村さんから返ってきました。

脚元に骨折の跡が見られることが分かった馬を辞退させると、もうセレクションセールには出られなくなる?むしろそういう馬を出しても良いの?そんな数々の疑問が頭に浮かんでは消えました。でもたしかに、セレクションセールはよほどのことがない限り、欠場が禁じられています。よほどのこととは、馬が倒れたり、腸ねん転などの病気で苦しがっていたりする場合です。そのようなケースでは獣医師が診断書を書いて、ようやく欠場が認められます。

なぜそこまで欠場に対して厳しいかというと、セレクションセールは誰でも出られるセールではないからです。選ばれなかった馬たちが数多く存在し、選ばれた500頭の馬たちはそうした出られなかった馬たちを押しのけて出場権を得たからです。もしダートムーアの23が出なければ、他の1頭が出られた。その貴重な1席を簡単に無駄にしてはいけないというのが主な理由です。

もうひとつ考えられるのは、かつてペナルティがなかった頃は、セレクションセールに出場することが決まった馬を事前に牧場に買いに来る人がいて、庭先で取り引きが決まり、セレクションセールを欠場するケースが多く見られたそうです。そうなると主催者側としては、欠場が多くなると格好が悪いですし、何よりも商売上がったりです(売り上げの数パーセントを主催者側が得るため)。商品を横取りされるようなものですから、欠場にペナルティを設けたくなる気持ちは分からなくありませんが、今回のダートムーアの23のようなケースはどうなのでしょうか。

僕としては、売れずに主取りになってしまうのも困りますが、万が一、レポジトリを見ないで購入した人がいたとして、買ったあとに「この骨片は何だ!」とクレームをつけられるのは嫌です。人を騙してまで、ここまで大切に育ててきた馬を売り抜けたくもありません。綺麗ごとでもなんでもなく、そこは生産者の端くれとしての矜持なのではないでしょうか。

ルールとしてセレクションセールにはこのまま出場させ、主取りになったら、手術をするかどうか決める。手術をすれば、骨片を綺麗に取り除いた状態で10月のオータムセールに向かうこともできるかもしれません。もしそれが叶わなければ、僕が所有して南関東で走らせるしかないですね、というところまで話して、お互いにいろいろな人たちに相談してみましょうと言いながら電話を切りました。

まずは獣医師である大狩部牧場の下村代表に電話をしました。最近、YouTubeのライブ配信等で忙しいのか(笑)、その場では出てくれませんでしたが、すぐに折り返しがありました。前もって送っておいたレポジトリの写真を見てくれた上で、「獣医師によっていろいろな見かたがあると思いますが、私はまだ悲観しなくて良いと考えていますよ」と第一声。さすがシモジュウ。生産界の修羅場をくぐって来すぎて、どれだけの厳しい状況においても、光の射す方角を知っています。

「今回、セリに出るからレポジトリを撮ってたまたま発覚しただけで、実は骨片が飛んでいるのを知らずに、育成から調教を経てデビューして、何勝も挙げた馬もたくさんいます。あとから違う箇所のレントゲンを撮ってみたら映っていて、骨片が飛んでいることに気づいたなんて良くあることです。特にこの時期の若駒で気がつかないうちに骨片が飛んで、勝手にくっついていたなんてこと日常茶飯事です。放牧地で良く動いたり、俊敏であったりする馬ほど、肢に瞬間的な負荷はかかりますので痛めやすい傾向にあります。

私も以前はレポジトリを見て馬を買っていたのですが、最近はあえて見ないようにしています。なぜかというと、動きや雰囲気が良いのに、レポジトリを見て不安を感じた馬を買わなくて、走ってしまったというケースがこれまで多かったからです。完璧に健康な脚元の馬なんてほとんどいませんから、レポジトリを見すぎてしまうと、あら探しになってしまって、結局、走る馬を逃してしまうのです」

このシモジュウの話を聞いたとき、なるほどと思いました。僕たちはどうしても相手に完璧を求めてしまい、マイナスや傷がないことばかりを見てしまう傾向があります。そうなるとレポジトリの写真ばかり見て、その馬の持っているストロングポイントや雰囲気の良さが見えなくなってしまうのです。今この瞬間に傷がない馬でもいつ故障するか分かりませんし、たとえ不安があったとしても、一度も表面化することなく普通に走ってしまう馬もいます。走る馬を逃してしまったという失敗を繰り返し経験してきたからこそ、シモジュウはレポジトリにはこだわらないという姿勢を貫くことができますが、ほとんどのバイヤーにとってそれは難しい話です。獣医師はあのレポジトリ写真を見せられ、意見を求められたら、厳しいですとしか言えないはずです。獣医師は故障するリスクだけを見ているからです。

幸いなことに、ダートムーアの23は今のところ脚を痛がる素振りはなく、炎症や腫れも見られないようです。僕が付き添ってNO,9ホーストレーニングメソドに届けたときも普通に歩いていましたし、碧雲牧場にいる間も健康そのものだったと聞いています。「胸を張って(セレクションセールに)出てください」というシモジュウが言っていたとおり、生産した僕たちが下を向いていてはいけないのです。たかがレポジトリの写真が悪かっただけで、ダートムーアの23の価値を勝手におとしめることはありませんし、生産者が自ら卑下する必要はないのです。

最後に慈さんに連絡をすると、「これがレポジトリの怖いところですよね。蓋を開けてみないと分からないというか…」と言葉を濁します。碧雲牧場もかつてセールに上場する直前のレポジトリでボーンシストが見つかり、売るのに苦労したそうです。買い手は現れて、その馬は今のところ脚元に問題が出ることなく、むしろその育成場で最も早い組で調教ができているぐらいだそう。ただ、買う側の立場になってみると、特にセレクションセールのような高額取り引きされる場所で、わざわざ脚元に爆弾を抱えている馬を買うかというと買わない人がほとんどでしょう。

生産者にとって、売れない馬を抱えることは最大の恐怖です。在庫を抱えるという生半可な話ではなく、生き物には餌代もかかりますし、馬房も用意しなければいけませんし、何より世話をする人間の手間が必要です。売れない馬は利益をもたらさないだけではなく、未来永劫に大きな負担となってのしかかってくるのです。最高の商品だと思っていたはずが、脚元に骨片がみつかっただけで、買い手がつかない焦げ付いた負債となるのですから残酷な話です。蝶よ花よと育ててきた娘や、お金をかけて一流大学に入れた息子が、引きこもりになってしまったといったところでしょうか。こんなことを書いている自分が嫌になりますが、これが生産牧場や生産者にとっての現実なのです。このあとどのような苦難が待ち受けているのか、少し先を知っている慈さんが言葉を濁したのは当然ですね。

飲まなきゃやってられない。そう感じた僕ですが、残念ながらお酒を一滴も飲めません。代わりに、最近食べたくて仕方なかった肉屋の焼き鳥を買ってきました。タンとレバー、ぼんじり、ハツを3本ずつ、計12本を全て平らげました。やけ食いです。ダートムーアが購入して1か月目に流産してしまったときよりも、スパツィアーレが何度種付けに行っても受胎しなかったときよりも、福ちゃんが小眼球症を抱えて生まれてきたときよりも、今回のことが僕にとって最もこたえました。3年間待ち続けて、あと数週間後にこれまで突っ込んできた資金を回収できるはずだったのに、一転して引き取り手を探すような負け戦になっても、旨い焼き鳥は最高に美味かった。

(次回へ続く→)

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