[連載・片目のサラブレッド福ちゃんのPERFECT DAYS]エルから始まる物語のつづき(シーズン1-57)

オーストラリアのタスマニアで走っているエルの引退話が持ち上がりました。当連載に登場するのは初めてですが、実は僕が初めてセリで購入した牝馬です。2019年6月のマジックミリオンズセールにて、現地に赴き、560頭の中から西谷泰宏調教師と共に自分たちで選び、手を挙げて落札した1頭です。

「馬体は語る」という本を世に出したタイミングでもあり、「競馬道ONLINE」からの提案で、馬体を見て馬を選んでオーストラリアで走らせようという企画でした。僕は馬を選ぶだけでも良いという話でしたが、せっかくゴールドコーストまで行って馬を買うのですから、25%出資することにしました。つまり僕はエルの4分の1馬主ということです。

エルの馴致や育成の様子は、当時のTwitterで動画付きでツイートし、裸馬が鞍をつけて人間の指示に従って走るようになるまでの一部始終をフォロワーの皆さまには見ていただけたと思います。「あまり蹄音を立てない動きが、かなり好感持てます」と西谷調教師からお褒めの言葉をいただき、期待は高まりました。

無事にデビューを果たしたエル(競走名Kay Oh Ell)は、見事に新馬戦を勝利で飾りました。レース後の西谷調教師の勝利インタビューの模様もインターネット中継されて、観ることができました。勝った喜びを冷静に語りつつ、「決して安い馬ではないので」と言ってくれました。もっと高額な良血馬を預かってもらいたいと思っていたのですが、僕たちの予算内で何とか購入できた(日本のサラブレッドの感覚からすると安価な)馬を丁寧に育て、こうしてデビュー戦を勝たせてくれた上でそう言ってくれているのが分かります。そして何よりも、西谷調教師が勝利調教師としてインタビューに答えている姿を見られて、本当に嬉しかった。

その後、タスマニアの3歳牝馬クラシック路線に挑むも全く歯が立ちませんでしたが、この時期は一瞬でも夢が見れたと思っています。休養を挟みつつ、2着、3着と惜しい競馬を繰り返し、勝ち切れないまでも堅実に走るタイプでした。スタートダッシュは良く、スッと折り合いがつき、最後は外に出して追われて追われて伸びてくる走りです。オーストラリア競馬は短距離戦が中心で、馬格がある馬が強いため、線の細いエルはどうしても最後にパワー負けしてしまうのです。馬体の幅が薄く、手先は軽いスピードの出やすい馬体構造をしているのですが、440~450kg台の馬体重は向こうだとかなり小柄な部類に入ってしまいます。距離を延ばして2100m戦を中心に走らせるも、番組が少なく、調整が難しい上に、今年に入ってからは珍しく大敗が続きました。

エルも7歳になったということで、ついに引退の話が持ち上がったということです。成績や年齢的なこと以外にも、実はオーストラリアはインフレが起きて預託費が高騰しており、2019年当時とは状況が大きく変わってしまったこともあります。2019年当時は日本円にすると20~30万円程度であった預託料が、2025年現在は倍近くまで跳ね上がっているのです。飼料代や人件費の高騰により、タスマニアで馬1頭を管理してもらうのに南関東と同じぐらいの預託料がかかるのです。

重賞クラスのレースの賞金は上がっているそうですが、エルが出走するような条件戦のレースの賞金は微増程度です。しかもオーストラリアは出走手当がありませんから、5着を外してしまうと1円も入ってきません。もちろん勝てば良いのですが、どの馬も賞金を目指してくるので簡単ではないのです。

僕は25%しか持っていないので、毎月10万円前後の出費になりますが(それでも苦しい)、50%以上を持っている競馬道ONLINE(株式会社オーイズミアミージオ)が悲鳴を上げるのは当然ですね。今の世界情勢では日本人が海外で馬を走らせることはかなり難しく(日本の方が預託料は安くて賞金が高い)、むしろその逆はありかもしれません。今後、急激に強くなる可能性が極めて少ない7歳牝馬を、このまま競走馬として走らせておくのは、大量出血をしているのに止血しないほど経済的に無頓着であるとも言えます。

西谷調教師とオーイズミアミージオのYさん、そして僕の3名でzoomにて話し合いをすることになりました。その中で、西谷調教師としては、ここ数戦は体調や枠順、相手関係等が噛み合わずに大敗してしまっているが、エルはまだ走り切った(燃え尽きた)感じもしないので、少し休ませて4月からあと数戦走らせてから引退させてあげたいと申し出がありました。

オーストラリアの繁殖シーズンは9月からスタートするので(8月生まれが早生まれ)、もう少し頑張ってもらって、良い走りをして余力を残して繁殖牝馬になってもらいたい。僕も全く同じ意見でした。おそらく、勝つまでは難しく、さらなる出費が重なることになるはずですが、悔いを残さないよう、馬も人もやり切った上で次のステージに進ませたいのです。

オーストラリアは、受胎してもしばらくの期間はレースに出られるという面白い話も聞きました。競走馬登録を抹消して、繁殖牝馬として登録をして、種付けをして受胎する流れではなく、受胎しても競走馬として走れる、いわば二刀流が可能だということです。たしかに受胎してもすぐにお腹が大きくなるわけではなく、競走能力が急に落ちるわけではないので、レースで走ることはできそうです。ただ、そんなことをしてお腹の仔が流れてしまわないのかと心配になりますが、向こうではそこは問題ないそうです。たとえばエルが9月に受胎して、そこからさらに数戦走ることも可能といえば可能ということですね。

次に繁殖牝馬としてどうするのか?という話に進みました。自分たちで持つのか、それとも売りに出すのか?正直に言って、僕もこれ以上、(たとえ25%であったとしても)繁殖牝馬を抱える余裕はありませんし、オーイズミアミージオさんはなおさらでしょう。買い手がつくのであれば手渡したいというのが本音です。もともとエルは繁殖牝馬としても活躍できるということで選んだ馬でもあるのです。

・明らかに高くなりそうな牝馬を除外
・母系に今後の飛躍の可能性のある馬
・繁殖牝馬としての能力評価が見込める馬
・将来的に繁殖牝馬として売却しても価値が見込める馬

という4つの条件に沿って、西谷調教師が事前に選別した馬の中から、当日に馬体を見て、エルが第一候補に挙がったという経緯です。実際に、エルの全兄Moerakiは2歳戦の重賞(G3)で3着しており、78万オーストラリアドルを稼ぎました。半弟のAce Of Diamondsはシンガポールの重賞(シンガポールギニーとシンガポールスプリント)を制しています。

エルの父El Rocaは2023-2024のニュージーランドのリーディングサイアーの5位であり、その父Fastnet Rockはオーストラリアの名種牡馬。母の父はドゥレッツァやカフェファラオの母父としても知られるMore Than Readyです。エル自身は身体が小さかったので競走馬としては大成できませんでしたが、血統的にも、兄弟の実績的にも、繁殖牝馬としては十分な可能性があると感じます。

ただ、現在、オーストラリアの競馬産業は不況であり、1歳セールで馬が高く売れないため、生産しようとする人も少なく、繁殖牝馬がむしろ投げ売りされている状況であるとのこと。僕にとっては寝耳に水でしたが、空胎のエルを売ったとしても二束三文で引き取ってもらうことになるというのが西谷調教師の見解でした。オーストラリアの生産がそのような厳しい環境になっているとは露知らず、エルを買ってもらえばわずかばかりのお金が入ってくるかも、と期待していた自分が恥ずかしいです。

馬を生産しても高く売れないということは、エルを繁殖牝馬として手元に残しても回収の見込みが少ないということです。これ以上の赤字を膨らませないためにも、たとえ無料でも手放した方が良いという判断です。エルの血が残ることが何よりも大切です。あと数戦を良い形で締めくくることができれば、繁殖牝馬としての価値も少しは高まり、良い買い手も現れるかもしれません。

エルを数戦走らせ、良い形で競走生活の幕を閉じ、繁殖牝馬としての引き取り手を探すという方向で、僕たちはほぼ一致しました。しかし、僕はもうひとつの提案を隠していました。隠していたというよりも、現実的ではないと思って言い出せないでいたのですが、せっかくこうして三者が集まったので打ち明けてみようと思ったのです。

それはエルを日本に連れてきて繁殖牝馬にするというアイデアです。思いつきではなく、オーストラリアで走っているエルをいつか日本に呼び寄せてみたいというは僕のかねてからの夢でした。エルにとってはそのままタスマニアの綺麗な空気を吸ってゆっくりする方が幸せかもしれませんが、二束三文で引き取られて、結果が出なければ処分されてしまうかもしれないのならば、生産市場がまだ活況を呈している日本の方が長生きできるかもしれません。

「オーストラリアから日本への輸送費や関税はどれぐらいかかるものでしょうか?」と西谷調教師に聞くと、「日本からオーストラリアへの輸送はトータルで800万円ぐらいと高いのですが、その逆、オーストラリアから日本へはその半分ぐらいだったと思います」と返ってきました。耳を疑う話でしたが、西谷調教師いわく、日本からオーストラリアへは直行便がなく、何カ所かを経由しなければならないのに対し、オーストラリアから日本へは直行便があるからこその違いではないかとのこと。

僕たちは色めき立ちました。エルから始まった物語にどうやって決着をつけるか、敗戦処理のような話を進めてきたところに、もしかすると日本で繁殖牝馬になれるかもしれないという夢のような物語が現実味を帯びたからです。僕の聞いていた話だと、競走馬1頭をオーストラリアから日本へ輸入するには少なくとも800万円前後がかかり、2頭か3頭で乗り合わせをするならば、もう少し料金は下がるかもという程度でした。さすがにそれでは見合わないだろうなと考えていましたが、400万円ぐらいで連れてこられるならば、輸送費は出すからエルを繁殖牝馬としてほしいという日本人のオーナーが現れるかもしれないと直感したのです。今ならば未供用の馬を繁殖セールで購入しても、それぐらいの値に跳ね上がる可能性はあるからです。西谷調教師も「エルが日本で繁殖牝馬となって血をつないでくれるなら、これ以上の喜びはありません」とおっしゃってくれました。

のちに詳しく調べてもらったところ、日本からオーストラリアへは800~900万円、オーストラリアから日本は全コストを含めても200~250万円ということでした。それぐらいのコストであれば、日本からも手を挙げてくれる人もいるかもしれませんし、本心で言うと、お金が出せるのならば僕が引き取りたいぐらいです。そうすれば、エルから始まる物語を書き終えなくても良くなりますね。

(次回へ続く→)

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