[連載・クワイトファインプロジェクト]第15回 伯耆の地にて想う、名騎手の記憶とトウショウゴッドの忘れ形見

7月10日から3週間、本業の関係で鳥取県に滞在していました。このコラムが公開される頃には東京に戻っているはずですが、原稿は鳥取県で書いております。

鳥取県と競馬と言えば、多くの方が大山ヒルズを思い浮かべられると思います。私も関心はもちろんあるのですが、残念ながらノースヒルズ関係者に知り合いはいませんので今回は訪れていません。今後機会があれば訪問したいなとは思っています。

鳥取県と競馬とのつながりでもう一つ思い浮かぶのが、現在は2人のご子息が現役ジョッキーとして活躍している角田晃一調教師です。角田師は鳥取県名和町(現在は大山町)の出身で、米子市にあるWINS米子には、コントレイルのパネルのほか、角田調教師を応援する横断幕も飾られています。

ジョッキー時代の角田師と言えば、リーディングを取るような多くの勝鞍を積み重ねるタイプではありませんでしたが、ジャングルポケットでのダービー制覇など大レースに強いイメージがありました。現役ジョッキーだと池添謙一騎手に近いかも知れません。主なお手馬として、巨漢馬ヒシアケボノ、長距離にめっぽう強かったご存知ヒシミラクル、そしてバトルクウの祖母でもあるシスタートウショウでの桜花賞や、ノースフライトとの名コンビなど牝馬での活躍も多く「牝馬の角田」という異名もありましたね。

私にとって角田騎手のお手馬と言えば、もちろんシスタートウショウの印象も強いのですが、無傷の4連勝で91年桜花賞を制したときは私はまだ競馬を始めて間もない頃で、オークス2着の後は残念ながら93年中山記念の2着が最高で勝ち星は挙げられませんでした。
しかしながら、角田騎手と「トウショウ」と言えば、シスタートウショウの1歳上の牝馬がほぼ同じ時期に活躍し、北九州記念(当時は1800m)など重賞を5勝しました。私はむしろその馬のほうが記憶に刻まれています。

ヌエボトウショウです。

デビューは4歳(今で言う3歳)春と遅めで、1歳下のシスタートウショウのようにクラシック路線に乗ることは出来ませんでした。しかし2戦めで未勝利を脱出した後、夏場から頭角を現しはじめ、エリザベス女王杯(当時は4歳牝馬限定)トライアルのサファイアステークス(現在は廃止)で重賞初制覇を飾りました。

この馬は血統背景的にも、なかなかドラマチックでした。父トウショウゴッドは、わずか4シーズン種付けしただけで、ヌエボトウショウのデビューをみることなく放牧中の事故で死亡しました。ビゼンニシキと同じくダンディルートの仔ですから、この馬もバイアリーターク系でした。

日本競馬でバイアリーターク系といえばパーソロン系のシンボリルドルフ→トウカイテイオーのラインとメジロアサマ→メジロティターン→メジロマックイーンのラインが有名ですが、ダンディルート系もビゼンニシキ→ダイタクヘリオス→ダイタクヤマトのラインがありましたし、他にもトウショウペガサス(グルメフロンティアの父)等の活躍馬がいました。しかし、ダンディルート系もあっと言う間に途絶えてしまいました。ちなみに以前私は自分の繁殖牝馬にダイタクヤマトを付けたことがありました。

もしトウショウゴッドがもう少し長生きしていたら……まあ結果的にサイヤーラインが繋がることはなかったと思いますが、それでも重賞レベルの馬は出すことは出来たでしょう。パーソロン系がクラシックディスタンス以上に適性があったのに対し、ダンディルート系は1600m〜2000mに適性がありましたので、種付けする側としてはむしろ使い勝手が良かったと思います。もう少し後継種牡馬が多かったら、ダンディルート系からサクラバクシンオーやサウスヴィグラスのような短距離〜マイル系種牡馬として生き残る種牡馬も現れたかも知れません。

ヌエボトウショウに話しを戻しますと、古馬になってからも91年朝日チャレンジカップ、92年北九州記念、愛知杯、引退レースとなった93年京都牝馬特別を制しています。

とくに京都牝馬特別などは別定戦で58キロを背負っての勝利ですから立派なものです。G1では連対こそありませんでしたが92年マイルCSではダイタクヘリオスの4着と健闘していますし、同年の天皇賞・秋では7着だったトウカイテイオーに先着(6着)しています。当時にもし古馬牝馬限定の中距離G1があれば、好敵手だったイクノディクタスと覇を競っていたことでしょう。平成初期の牝馬中距離路線ではトップクラスの1頭でした。

引退後は繁殖入りしたものの、自身や父トウショウゴッドの能力を色濃く受け継いだような活躍馬を送り出すことは出来ませんでした。華やかな現役時代と比べると、晩年は不遇だった印象もあります。それでも、ヌエボトウショウの孫にあたるベンテンコゾウが南関東の重賞(19年京成盃グランドマイラーズ)を勝っていますし、1歳に同馬の妹もいますので、どこかでまた活躍馬が現れて、ヌエボトウショウやトウショウゴッドの名が脚光を浴びる日が来ることを、平成初期からのいち競馬ファンとして願っています。

最後にもう一つだけエピソードを。先に、角田騎手と池添騎手はイメージが似ていると書きましたが、池添騎手の重賞初勝利は98年北九州記念、シスタートウショウの全弟にしてトウショウボーイのラストクロップであるトウショウオリオン号です。厩舎もシスタートウショウと同じ鶴留厩舎です。
競馬の面白さの一つは、こうやって血統も人も脈々と繋がっていくことなのかと思います。

写真:かずぅん

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