[連載・クワイトファインプロジェクト]第3回 改めて振り返ってみる、野武士・トウカイポイントの足跡

読者の皆様、こんばんは。
今週はマイルCS、来週はJCと、トウカイテイオーに縁の深いGⅠレースが続きます。
それらのレースに触れる前に、少しだけ前回コラムを振り返ってみたいと思います。1991年のエリザベス女王杯は、後のクラシックホースの母2頭が出走した、ある意味で伝説のレースだったのだなと、改めて思います。

その他、この時の出走馬の子や孫でGⅡ、GⅢに勝った馬を列記します。

  • 1着リンデンリリー ヤマカツリリー(GⅡフィリーズレビュー)
  • 3着スカーレットブーケ ダイワルージュ(GⅢフェアリーS)
  • 4着イナズマクロス 孫イナズマアマリリス(GⅢファンタジーS)
  • 5着キタノオゴジョ ビッグサンデー(GⅡマイラーズCほか)
  • 8着メジロティファニー メジロマントル(GⅢ鳴尾記念)
  • 17着ミルフォードスルー ランフォザドリーム(GⅢ朝日チャレンジC)

孫世代については、イナズマアマリリスのことはたまたま知っていましたが、他にもまだ私が知らない馬もいるかもしれません。それにしても、ここにタニノクリスタルも加わる訳ですから、テイオー同期1991年クラシック世代は、競走馬としても繁殖牝馬としても優秀な馬が多かったのでしょう。

ちなみに……一躍「時の馬」となったキョウエイマーチはこの6年後の桜花賞馬です。


本題に入ります。トウカイテイオー産駒で2002年マイルチャンピオンシップの勝ち馬トウカイポイントの余生・近況については、別のウマフリコラムでも紹介されていますのでそちらを見ていただくとして、改めてこの馬の現役生活を振り返りたいと思います。とは言え、私はもちろん関係者ではないのでデータで追える範囲でしか知りませんが、データで追える範囲だけでも、なかなか波乱万丈な競走馬生活だったと言えるでしょう。

まず、この馬、冠名トウカイが示す通り内村オーナーの所有馬でしたが、デビューはJRAではなく岩手県競馬でした。

おそらく、南関東と門別以外の地方競馬にてデビューをして後にJRAの芝のGⅠ(級)を勝ったのは、平成以降ではオグリキャップ・オグリローマン兄妹と、この馬だけではないでしょうか。

しかも、オグリ兄妹のように地方在籍時にぶっ千切りの強さを発揮したわけではなく、トウカイポイントは4戦目でやっと認定競走を勝ち上がり、中央移籍の権利を得ます。余談ですが、当時の地方競馬は岩手に限らず認定競走が比較的多く組まれていました。今の競馬番組であれば3戦して未勝利の馬はおそらく認定を使えなかったでしょうから、この馬の中央移籍も幻となったわけであります。

中央移籍後は、下級条件から揉まれていき、オープンに昇級したのは5歳(今でいうところの4歳)です。出世のスピードとしては決して遅いわけではなかったと思います。2000年5月には、芝2,500mのGⅡ目黒記念に挑戦(8着)。この時は、去勢前でした。

その後も、当時は降級制度がありましたのでいったん900万条件(今でいう2勝クラス)に下がりましたが結果が出ず、2001年夏、陣営は「去勢」の判断を下します。これでトウカイポイントの種牡馬入りの可能性は消えたわけですが、当時のトウカイポイントは、900万条件を勝ちきれなかった馬なのです。翌年の能力覚醒(しかもマイル路線での)を予想できた人は少なかったと思われます。

そして、去勢後のトウカイポイントの活躍は今更ここで書き記すまでもありませんが、面白いのは去勢後も1,800m~2,500mを中心に使われていたことです。マイル路線に矛先を向けたのはマイルCS前哨戦の富士S(5着)から。そのせいかマイルCSでは10番人気の低評価でしたが、見事に勝利を飾り、続く香港マイルでも3着と健闘しました。

サイレンススズカを別格とすれば、この馬にも、今なお多くのファンの方々から「たられば」が語られています。それは、去勢していなければトウカイテイオーの後継種牡馬となる可能性があったのでは──というものです。しかし、あくまで私見ですが、ずっとオープン馬として活躍していた馬ならまだしも、気性難などにより900万条件を勝ち上がれなかった馬への陣営の「去勢」という判断は、自然な流れでしょう。それが惜しまれるというのは、少し違うのかなと思っています。

私はむしろ、改めてこの馬の戦績を振り返ってみて、最初から1,400m~1,600mを中心に使っていたらどんな出世街道を歩んだだろうと考えてみたり、あるいはさらに飛躍して、気性難を矯正するためダートを試してみたらどうだったかな、などと外野の勝手な妄想をしてみました。とは言え、現実に去勢され、それが奏功してGⅠ馬まで上り詰めたのは事実であります。その圧倒的事実の前には、何を妄想しても無意味なのだということを改めて痛感します。

個人的には、20年前に去勢された馬のことを悔やむよりも、いま突き付けられた現実に対して──どういったチョイスをしていくのがベターなのか、そしてどう行動すればよいのか、というのが重要ではないかと考えています。
私どものプロジェクトは、その精神でスタートしました。

成績や馬格、母系等を勘案するに、クワイトファインが数いたトウカイテイオー産駒たちのなかにおける最良の後継種牡馬だと思っていたわけではありません。他に種牡馬にしたかった馬も何頭かいました。しかし、現実に協力が得られなかった以上、自分で出来る範囲でベストを尽くす……それしかできない、というのが偽らざる本心です。私どもは昔も今もそういう現実に対して抗っています。

そして今ある現実を「可視化」して、トウカイテイオーファンの皆様に目に見える形でお示しして、今後どうしていくべきかの判断に資する材料を提供していくことが務めだと思っています。

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