2001年10月31日水曜日。
アメリカのブリーダーズカップに範をとり、一日で複数のG1(当時はJpn1ではなくG1。また、レディスクラシックはなく、クラシックとスプリントの2つでした)が大井競馬場で実施されました。
各地で熱戦を繰り広げる強豪が一堂に会し、スプリントではその速さを、またクラシックでは総合力を競い、チャンピオンを決定するーー。今までとは一線を画す、ファンにとってまさに血沸き肉躍る開催は『JBC』と名づけられ、平日にも関わらず大変な盛り上がりのなかスタートしました。この日、競馬場は多くのファンで埋められ、会場全体がこの未だかつてない試みに期待しているのだと、当時グリーンチャンネルの中継を観ていた私も画面越しに実感することができました。
レース進行は順調に進み、ノボジャックが人気に応えスプリントを制すると、いよいよメインであるクラシックの本場馬入場が始まりました。ライトを浴び、毛艶を増した出走馬が入場するなか、アナウンサーの紹介文句が流れます。そのとき、ふと耳に残ったのが「ロジータ」という名前でした。牝馬ながら南関東の三冠を制した名牝の孫が、堂々たる1番人気で出走していたのです。
馬名はレギュラーメンバー。
後に手堅い先行策でマキバスナイパーの追撃を振り切りJBCクラシックを制した、まさにその馬でした。
レギュラーメンバー(栗東・山本正司厩舎所属)はコマンダーインチーフを父に、ロジータの娘であるシスターソノを母とする良血馬です。のちに調教師となる松永幹夫騎手を主戦とし、積極的な逃げの戦法を得意としました。デビューこそ年明けの4歳(当時の馬齢表記)と遅れましたが、京都ダート1800Mの新馬戦を鮮やかな大差で勝つと、さっそくオープンレースに出走。芝のアーリントンC・ゆきやなぎ賞では負けを喫しましたが、その後適正あるダートに戻ると危なげなく連勝を飾りました。以降、特に苦手の感が否めない東京コースや展開が向かないレースでの敗け、またトゥザヴィクトリーの影で辛酸を舐めたドバイワールドカップもありましたが、ダービーグランプリ・川崎記念・JBCクラシックのG1勝ちを含め、コンスタントに活躍を続けました。地方交流重賞にめっぽう強く、長期休養後の不調に陥るまでは、うまく逃げられればまず掲示板に載れるという、実に馬主孝行な馬だったと言えるでしょう。
肝心な馬券の面で言えば、スタート後1~2番手につけられるかどうかは実際に走らないと分からないため、不確定要素に運命を掛けるという、ギャンブルの醍醐味を教えてくれる馬でもありました。
とにもかくにも、ホームランバッターよりアベレージヒッターを生んだコマンダーインチーフの仔らしく、ウイングアロー・クロフネ・アグネスデジタルといった異能と肩を並べながらも堅実に走り、レギュラーメンバーはG1で3勝という素晴らしい成績を残しました。
まさにその名のとおり、ダートグレード界のレギュラーとして活躍したのです。
それから16年後。
JBCも定着し、地方競馬も主催者の努力により低迷から抜け出しつつある2017年7月。青森県の山内牧場で余生を送っていたレギュラーメンバーが亡くなりました。ロジータの血を継ぎ活躍し、種牡馬としても2頭の地方ダービー馬(ダイナマイトボディ・サイレントスタメン)を輩出した本馬は、まさに優秀なダート血統の選定というJBCの意義を体現した馬ではないでしょうか。レギュラーメンバーが記念すべき第一回を制したのは、今振り返ると大変象徴的であり、また必然だったと思えます。
その初代覇者が世を去った2017年、JBCは例年に増して注目を集めています。中央競馬と開催が重なったためテレビ中継が決まり、より多くのファンがJBCを体感できるようになったからです。また馬券の売り上げ面でも、中央競馬と同時に買えるとなれば、普段は地方競馬を買わないファンも購入する流れが生まれるのでは、と期待できます。さらに最近では地方競馬のインターネット投票だけでなく中継動画のネット配信も行っており、これらのツールも売り上げに大きな役割を果たすはずです。このようにJBCを広める手段が整い、ファン獲得の間口が広がるとは第一回開催時には思いもよりませんでした。これもひとえに実績を積み重ねた関係者の努力とファンの下支えの賜物でしょう。
はじまりの時代からまた次の時代へ。今年はどんな血のドラマを見ることができるのでしょうか。地方競馬の連綿たる発展を祈りつつ、JBC当日を楽しみに迎えたいと思います。
写真:ウマフリ写真班